「リゾートの女王にして、王のリゾート」。
そう呼ばれるフランス大西洋岸のリゾート地ビアリッツは、1854年、フランス皇帝ナポレオン3世が皇后ウージェニー・ド・モンテージョのために別荘(現在のホテル・デュ・パレである)を建てたことがリゾートとしての始まりといわれてる。
それ以降もイギリス国王エドワード7世、スペイン国王アルフォンソ13世などの王侯貴族が頻繁に訪れ、優雅なリゾートとして名を馳せる。皇后ウージェニーはスペイン王室から迎えたお后であったことや、もともとブルボン家であるアルフォンソ13世の王妃はヴィクトリア女王の孫にあたり、したがってエドワード7世はその叔父にあたるなど、ビアリッツに集った王侯貴族たちの関係をみると、ここはまぎれもなく、いわば「ヨーロッパ王国」のロイヤルファミリーのためのリゾートであったことが窺える。
ビアリッツは、海の予感と気配がそこここに漂っている街だ。海に向かう通りの先にはいつも荒く波立つ大西洋の姿が眺められるし、洗練された街並みを歩きながら不意に荒波の大西洋が現れる場面などは日本では体験できないにはない新鮮で心躍る瞬間である。
波立つ海は良い波を求める世界中のサーファー達を呼び寄せ、ビアリッツはヨーロッパのサーフィン発祥の地でもある。今年の春のバスクの天候は散々で、雨と風と寒さに見舞われ通しで、ビアリッツ滞在の間もほとんど晴間はなかったが、嵐と見紛うほどの風雨のなかでも幾人かのサーファーが果敢に腕を磨いていた光景は、いかにもリゾートらしい光景以上に忘れ難い印象を残してくれた気がする。旅はまことに不思議なものだ。
きれいに整備された街並みの中に、清潔な印象のカジノやエルメスのショップが建ち並び、岬の先には壮麗なオテル・デュ・パレの建物が望めるビアリッツは、ちょっと現実離れした美しい風景の都市だ。海岸通りのひと気のない安ホテルの白いファサード、高台の住宅地のまだ鎧戸が下ろされた上品な別荘群、街の中央にあるジャルダン・パブリック(人民公園とでも訳すべきニュアンスか)の木々の緑の深さ、胸をを締めつけられるような日没の海岸通の街並みなど、季節はずれの閑散とした印象のせいもあり、静かな夢の光景にように思い起こされる。
福田和也によると、第一次世界大戦(1914~1918)は、開戦当初の楽観的な認識とは裏腹に、近代兵器を使用した近代国家同士の総力戦が想像を絶する悲惨な結果をもたらし、ユーロッパ文明を唯一最高の価値と信じていたそれまでの文明観や騎士道以来の名誉や勇気に基礎を置いた伝統的な戦争観を一変させた出来事であった。(福田和也 『新・世界地図』 光文社)
また、第一次世界大戦は、19世紀の覇権国イギリスが没落して、新大陸のアメリカにそれ以降の覇権を譲り渡す契機ともなった事件であり、それは同時に、19世紀末まではまだかろうじて存続していたヨーロッパ的価値観が終焉をむかえる契機でもあったという。
アメリカの高級百貨店ニーマン・マーカスの経営者が第一次大戦後にヨーロッパに買い付けに行った際に、ロンドンの老舗で店一番のエレガントな商品を見せて欲しいと頼んだのに対してその店の老番頭が、「お客様申し訳ありません。われわれはもうエレガントな品物を扱っておりません。エレガントな品物というものはもうこの世に存在しなくなりました。私どもがお売できるのはグッドなもの、良いものしかないのです」と言われて衝撃を受けるというエピソードが象徴的に紹介されている。
エレガント”elegant”は、ラテン語ではelegansであり、「選ぶ」を意味するlegereに「外へ」を意味する接頭語のe(=ex)と現在分詞語尾のansがついた言葉で「選び抜かれるほどの」という意味らしい。同じlegere「選ぶ」から派生した「選び抜かれた」という意味のeligereはエリート”elite”の語源でもある。
21世紀の今日、エレガントとは単に「上品な」、「優雅な」という意味で使われているが、その語源を辿れば、もともとは、選ばれし者、すなわち王侯貴族のたちの価値観や彼らのスタイルを意味する言葉であったことが分かる。
こうしたエレガントの担い手たちも1900年前後を境にその主役の座を追われ始める。ビアリッツに集まった王侯貴族達もそうした歴史の流れの中でそれぞれの末路を迎えていく。
フランス皇帝ナポレオン3世は普仏戦争で自らも捕虜となって敗北した後1871年に亡命、フランス革命後の共和制を挟みながらも約900年に渡って存続してきたフランス君主制は完全に幕を閉じた、イギリス国王エドワード7世は1910年に死去、古きよき時代の代名詞といわれた「エドワーディアン」が終焉。フランスびいきの彼の手によるドイツに対抗した英仏協調はその後の第一次世界大戦の遠因となったともいわれている。スペイン国王アルフォンソ13世は混乱のなか1931年に亡命、スペイン王政は廃止され、その後スペインは内戦になだれ込んでゆく。
今も開店当時と同じビアリッツの中心地ジョルジュ・クレマンソー広場に面してある菓子店「ミールモン」の創業は1872年。ナポレオン3世が別荘を建てた18年後にあたる。
自らもビアリッツ近くのカンボに別荘を構えていた「シラノ・ド・ベルジュラック」の作者エドモン・ロスタンをして「ティータイムのころのその店では、残っているペイストリーは女王の数より少ないし、ラムババは大公の数よりも少ない」といわしめたように、「ミールモン」は、前述のエドワード7世やアルフォンソ13世をはじめとするヨーロッパ中の王侯貴族達を虜にした菓子店だったらしい。
この菓子店のスペシャリテは、セルビア女王のナタリーがとりわけ愛したとされる「キャラメル」。日本ではほとんど知られておらず、同じフレンチバスク地方の菓子でもマカロンやカヌーガの方が有名だが、「ミールモン」のキャラメルはそれらを凌駕するといっても良いまことに美味なる逸品。その2センチ四方足らずのキューブを口に入れた時のサクッとしてハラッと崩れながらかつクリーミーにとろける感じは、これまでにない味わいで感動ものだ。定番のチョコレートフレーバーに加え、ミントやピスタチオ味などいずれも甲乙付けがたいバリエーションが数種用意されている。
また、ポルトガルのアメリア女王がお気に入りだった海の見える1階奥のサロン・ド・テの優雅なインテリアも特筆される。大西洋の荒波を望むパノラミックな窓と両サイドを時を経た見事なメルキュール・ミラー(水銀を使った製法の時代の鏡)に囲まれたサロンは、ビアリッツでもひと際ゆったりとした時間が流れている。窓のすぐ外の荒くれた大西洋と空気の存在そのものを映すかのような古いメルキュール・ミラーに2重映しになった静謐な室内は、不思議な対比を見せた光景として忘れ難い印象を残してくれる。
ナポレオン3世がスペイン王室からの皇后ウージェニーのための別荘を建てたことからリゾートの歴史が始まったビアリッツ。サンモリッツから来た菓子職人が当時のヨーロッパ中の王侯貴族を虜こにした菓子店を開いたビアリッツ。
ビアリッツは文字通りの意味でエレガントという価値観とスタイルがまだ辛うじて存続していた時代に起源を持ったリゾートである。
20世紀に入って、Elegantという価値観はGoodにとって変わられ、その後、GoodからLow Priceへ、さらにConvinientへ、そして21世紀の現在はさしずめSafetyあたりであろうか、時代の美意識と価値観は目まぐるしくかつ大きく変化してきた。
コピーは作ることはできても、起源となる時代と歴史は作れない。
21世紀のビアリッツは、街中に海の予感があふれる解放的で白と紺のマリンカラーが似合う美しいモダンリゾートである。
シーズン前の人もまばらな春の日の午後、「ミールモン」のサロン・ド・テのノーブルな空気に包まれ、ゆったりとした時間の流れに身をまかせながら、もう既に失われて久しいエレガントの残り香とでも呼ぶべきものに一瞬、出会ったような気がした。
to be continued
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