それは、サンジャン・ド・リュズ、サン・セバスチャン、ビアリッツと訪ねてきたバスクの旅を終え、パリに戻る日のことであった。
ホテルの1階のステンドグラスのある小さな食堂での典型的なバスク柄の食器で供されるプレーンで飛び切りおいしい朝食のあと、昼過ぎのフライトまでの間、ホテル周辺の雑貨店に買いそびれていたバスク柄の食器を探しに出た。
今年の春のバスクの大西洋岸は散々な天候だったが、その日は珍しく雨も上がり、傘を持たずに外出できる空だった。
生憎、目指した雑貨店は、月曜にあたるその日は閉店とのことで、仕方なく近くの歴史美術館を訪ねる。すでに開館時間の10時を回っているというのに何故か閉じられたままの門の前で、これからどうしようかと考えあぐねていると、隣接のアンティーク屋らしき構えのショップが眼に入いった。まだ開店前らしかったが、オーナーらしい人物が店の前に停めた車から出入りしていたので、ためしに「もう開いているか」と声をかけてみたら、「OK」とのことで、その小さな骨董屋を訪ねた。
オーナーは40歳前後の大振りの体型のフランス人らしき男性で髪型や服装にあまりかまわない代わりに自分のコレクションには一家言ありそうな雰囲気の人物。
その店が気になったのは、入口の傍らに飾られた古びた木馬や小さなショーウインドウに置かれた太陽を模した大振りの鏡など、店先に飾られているものになんとなく心惹かれたからだった。この手の店は、「なんとなく心惹かれる」ということが案外大切なことで、量産されている商品を並べている店ではない分、オーナーの好みや癖が良くも悪くもその店の品揃えを左右する。極論すれば趣味やテイストが合わない店では決して欲しいものは見つからないといっても良いぐらいだ。
「心惹かれた」といっても、実際はフライト前の中途半端に持て余した時間に、いってみればほとんど冷やかし気分で偶然に入った店ということもあり、店先に飾ってあった直径80センチほどの太陽を模した鏡などの値段をためしに尋ねたりしているうちに、ふと店内のガラスのショウケースの最下段に積まれている皿に目が留まった。
それはバスクのシンボルマークであるラウブル(Lauburu フランス語ではロウビュル)を控えめにあしらいながら、モノトーンで抽象化された人物などを描いたサンドカラーの手作りによる皿で、枚数は数十枚はあった。
バスクに限らずフランスのアンティーク陶器の大半は、クラッシクな造形が持ち味の品が多いなか、和洋中エスニック混合の現代日本の食生活にマッチして普段使いできる陶器は極めてまれである。
その皿のクールなモダンさと気取らない素朴さが渾然一体となったような稀なる魅力が一瞬にして心を捉えた。
さっそく、鍵を開けて貰って手に持って見てみたが、それは、手作り品ならではの甘さのあるフォルムと使い勝手が良さそうな直径26センチほどの大きさと、なによりサンドカラーに墨のようなモノトーンで絵付けされたモダンでアーティスティクな感じがガラス越しに見ていた時以上に魅力的な品だった。
直感的に買おうと思い値段を尋ねると、「6,000ユーロ」の一言。しばらくして、それはざっと見積もって全部で50~60枚程度あったすべての皿のセットでの価格であるらしいことに気がついた。バラで何枚か欲しい旨を伝えるも、「それはセットでないと売れない」を繰り返すばかり。
「クウラアフェル」。話しているうち、そのジェラール・ド・パルデューを小柄穏便にしたようなオーナーの口からその不思議な言葉が発せられた。「クウラアフェル」、「ドゥユウノウ、クウラアフェル」、「コレクシィオン、クウラアフェル」。
フランス語なまりと日本語なまりの英語による会話の頼りなさのなかで、その「クウラアフェル」とは、カール・ラガーフェルドのことであり、オーナーが言うには、その皿はカール・ラガーフェルドがビアリッツの別荘で使っていたものであり、もともとはお気に入りのアーティストに作らせた彼のコレクションのひとつであるとのこと。オーナーは、別のショーウインドウのなかの壷やオブジェ、立てかけてあった数枚のタブローなども、同じアーティストの手になるカール・ラガーフェルドのコレクションであり、それらは、彼が別荘を引き払う際に、そのオーナーが一括して引き受けることになり、ここにこうしてあるのだといった。
西洋の壷やアンティークのタブローには興味が無いので、気がつかなかったが、なるほど、それらは同じ作家の手になるアルカイックな感じの作風の個性的な作品であった。
とはいえ、やはり心惹かれているのは皿だ。
1枚あたりはいくらになるのだろうか、一括して買うといえばきっと少しは安くしてくれるハズだがいくらぐらいから話を切り出そうか、アメックスは使えるのだろうか、どうやって日本まで持って帰れば良いのか、手分けすれば手荷物で持って帰れるかもしれない、皿はアンティークといえども輸入の際はディスプレイ用として申告しないといろいろと面倒だというを事前にJETROで調べておいて良かった、フランス人のパッキングは信用できないので、やっぱりパリのBHVの地下でビュル(いわゆる「プチプチ」ことエアクッションのこと)とガムテープを入手しておけば良かった、ところで数十枚もの皿を買って一体どうするんだろうか、などとガラスケースの前に佇み、クールな表情の皿達を眺めながら、しばらくあれこれ真剣に悩んでいること自体が今から考えればすこぶるおかしいが、その時は、本気でそう考えていたのだった。
いや、今でも半分ぐらいはそう考えている。バカンスシーズンの書き入れ時とはいえ、数十枚の皿を一括で買う客はフランスの高級リゾートといえどもそうはいないハズだ、バカンス後のシーズンオフを見計らって再訪すれば、きっとその頃はバラ売りも可になっているはすだし、もしかしたら値段ももっと手頃になっていて、一括でまとめ買い(!)もできるかもしれない、など、日本に帰ってからも妄想は尽きず、逆に膨らむばかりだ。
そうこうしているうちに、フライトの時間が迫ってきたことに気づき、あわててオーナーとカードの交換をして店を出た。
残念ながらというか、当然ながらというか、皿は買わなかった。
その店を出ると一転して天候が変わり、雨が落ちてきた。大粒の雨はすぐに大粒の雹に変わり、バラバラと大きな音を立てて屋根や道路や停まっていた車の上に降り注いだ。
明日から4月だというのに・・・・。しばらく雨宿りしていた市場の張り出した屋根の下で次々と落ちてくる大粒の真っ白い雹を眺めながら、そのあまりに劇的なまでの天候の変化に何故か可笑しくなってしまい、しばらく佇んでいた。
止まない雨の中をホテルに戻り、慌てて空港に向かった。出発前だというのに不思議と閑散として誰も並んでいないチェックインカンターでチケットを見せると、飛行機は既に離陸(!)したとのこと。
事態が掴めず「Why?フライト時間まで30分もあるじゃあないか」と主張している途中で、ようやく3月の最終日曜日の午前1時を境に時計の針を1時間進めるサマータイムのことを思いだした。
そして、その時、同時に気がついた。偶然入った骨董屋で数十枚の皿を眺めていた時間や雹に降られて市場の屋根の下でしばらく佇んでいた時間は、サマータイムに従っていれば、本来無いはずの時間、失われたはずの時間の出来事だったのだと。
そう思えば思うほど、そこで出会った魅力的なモノたちや季節はずれの荒ぶる天気が、まるで夢の出来事のように思えてきた。
王侯貴族の別荘地に端を発したリゾート地ビアリッツはまた、ガブリエル“ココ”シャネルが1916年33歳で初めてオートクチュールの店「メゾン・ド・クチュール」を開いた場所でもある。カンボン通り21番地の帽子屋「シャネル・モード」とドーヴィルの「モード・ブティック」に次いで3店目にして始めてのオートクチュールのブティックであった。
エレガントという言葉に、今日まで続く「シンプルで上質な」という新たな概念を吹き込んだのは、第一次世界大戦を境に表舞台に登場した“ココ”シャネルである。その初めてのオートクチュールの店がここビアリッツに開かれたことは、文字通りのエレガントという価値観がまだ健在だったころに起源を持つこの街を象徴する出来事のように思える。
そして、ビアリッツの骨董屋で偶然出会った魅力的なコレクションのオーナーだったカール・ラガーフェルドは、1983年以降、その「シャネル」を牽引したデザイナーである。
失われたエレガントの残り香が漂うビアリッツで失われたはずの時を旅して出会ったエレガントの後継者ゆかりの品々。
やっぱり、夢の出来事だったのだろうか。
失われたはずの時を旅したわれわれは、当然のこととしてパリに戻る予定にしていたフライトを逃した。
次の便を待つ空港のカフェでの期せずして手に入った無為の時間。この時間もまた無かったはずの時間である。
窓の外はいつの間にか雨も止んで、そこにはバスクに来て初めての見事な青空が広がっていた。
copyright(c) 2008 tokyo culture addiction all rights reserved. 無断転載禁止。
最近のコメント