前回に続いて旧フランス大使館でのアート展”NO MAN'S LAND"の模様です。
こちらは、敷地の高低差をうまく利用して建てられた本館。中庭、屋上庭園、バルコニーなど、ル・コルビジェらによって提唱されたモダン住宅の理想が具現化されている。
鉄とガラスの芸術を目指したモダン建築。例えば、この風除室に当時の意気込みが感じられる。上部に掲げられたサインもシンプルかつ力強くなかなかのデザイン。
別館の階段壁面に描かれたものと呼応するポップ・アート。壊すのが惜しいほどの存在感。
すべてシルバー塗られたかつての執務室。時間が止まったような感覚に襲われる。破壊に抗するということは、時間に抗するということだったのだ。まともな人間には決して生きられない空間。
室内に突如として出現した荒れ果てた自然。崩壊を加速させているのか?何ものかを創り上げているいるのか?漂う廃墟のイメージ。
こんなアパルトマンがあったら今すぐにでも住んでみたくなる佇まい。外の景色をまるで構成主義のタブローのように切り取ってくれる窓のフレームが素敵だ。
インテリアでは白く塗られた窓枠がファサードではブラック&ホワイトのコンビネーションに塗り分けられている。んーっ今見てもカッコいい!
50年の間に森と見まがうように見事に根付いた大きな樹木のある屋上庭園。その時間を切り取り、可視化しようとしているかのようなダイナミックなアート。
パリのモダン建築のアイコン的存在とでもいうべきガラスブロックの壁。
モダン建築の定石通りのRの壁の踊り場。存在感のない手摺で連結される上下の気配。
吹き抜け空間を廻るダイナミックな階段。北側からの柔らかい自然光とそれを背景にしたネオンアートの人工の光が降り注ぐ。
旧出羽新庄藩戸澤上総介下屋敷から受け継いだ閑とした緑の森に置かれた光のアート。照らしているのは果たして空間なのか?時間なのか?
それにしてもこの空間とアートの親和性は何なのだろうか?それに比べる居心地の悪そうな美術館におけるアートの数々。
美の前衛としての現代アートが求めるものは、いかにも美術館然とした環境ではもはやなく、既存概念を破壊するアートのパワーと解体を待つ建築空間が放つ無言のテンションとでもいうべき存在感とがシンクロしたということか?
大いににぎわったこのアート展を見た人もどこかできっと感じていたに違いない。創造と破壊は実は表裏一体なのだということを。創造とは所与の現実の裂け目を見せてくれるある種の破壊を起源としており、破壊とは現実崩壊の瞬間の創造に他ならない。現実破壊の創造と現実の破壊創造。
旧フランス大使館におけるアート展はこの両者が現実で交わったまれに見る貴重な瞬間なのだ。そして、一旦、そのことに気づいた者は、決して失われることがない存在など、ちっとも面白味のないひどくつまらないものであることに思い至るはずだ。
P.S. このアート展は、現在、2010年2月18日まで延長して開催されています。お見逃しなく!
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