集合住宅のデザイン論「マンションという風景」シリーズ。
vol.2は広尾ガーデンヒルズイーストヒルを取り上げる。
西麻布から広尾方面へ向かい外苑西通りを通りながら、西側の高台の上方に広尾ガーデンヒルズイーストヒルの上層階あたりが見え隠れするのを目にする一瞬は、日本にはしてはなかなか悪くないな風景だと思う。
少しずつ形態を変化させながら雁行した3棟が並ぶ配棟。表情のあるレンガカラーの外壁とホワイトカラーのサッシュのコントラストが美しい。横に連なるように続いているペントハウスの存在が軽やかだ。
遠めにも表情のあるこの広尾ガーデンヒルズイーストヒルの外観を作り出している最も大きな要因は、せっ器質タイルを躯体コンクリートに直接打ち込むことによって、通常の躯体打設後のモルタル貼りでは到底貼ることが不可能な重量とヴォリューム感のあるタイルによる外壁と濃い陰影をもたらす深い目地を実現したことにある。
厚さ約35㎜の割肌調のレンガカラーのボーダータイルと水平に連続する深く穿たれた目地のラインが、通常の薄っぺらいタイルを貼ったマンションにはない、ランダムさや土っぽさを留めた自然な風合いと彫の深い立体感のある表情とをこの建物にもたらしている。
バルコニーが設けられるのは、リビングルームの前だけである。他の居室の開口はプロポーションを統一した腰窓としている。
バルコニーは、大きな段差が施された厚みのあるRCスラブの水平ラインの上にオリジナルデザインのアルミ縦格子手摺を乗せた、安定感と透過性をうまく組み合わせたデザインとしている。
こうした要素の総合として、レンガカラーのリジッドでマッシブなヴォリュームを背景に独立エレメントとしてデザインされたバルコニーが要所要所に配された、構造とエレメント、躯体とアクセント、重さと軽さ、内と外などが絶妙にバランスされたファサードが生み出されている。
躯体の周りをバルコニーがだらだらと連続するよくありがちな建物にはない緻密に計算された堂々として美しいファサードだ。
最上階は外壁躯体がセットバックし、縦格子手摺が連続するテラス風のバルコニーが廻り、その上にオーバーハングした庇が架けられるいわゆるペントハウスとしてのデザインがなされている。コンサバティブなハイライズにおける最上階デザインの王道といえる。
見上げるように育った大ケヤキのプロムナードと歩道の上で華麗な光のダンスをみせてくれる木漏れ日。都心とは思えない森の中に佇んだ、と思わず形容したくなるようにまで見事に育った樹木とその緑に映える表情豊かなレンガカラーの住棟の存在は、確かに他のマンションにはない集合して住むことで始めて得られるメリットを改めて実感させてくれる価値ある風景だ。
意外にも圓堂政嘉による広尾ガーデンヒルズの最初のプロポーザルは超高層タワー4棟による計画であった。
ヤクルト本社、日本コカコーラ本社、京王百貨店新宿店など、それまで圓堂が手掛けた建物の殆どはアメリカナイズされた合理的な構造やシステムを特徴とする建物であり、広尾ガーデンヒルズの最初のプロポーザルもその作風に沿ったアメリカンデザインの超高層計画だった。
しかしながら、当時の技術とコストの制約により、この超高層計画は中高層連棟方式へと転換を余儀なくされる。この要請を受けて圓堂が再設計したのが現在の計画だ。イメージの源泉はイギリスのタウンハウスだったらしい。
圓堂がそれまでの自らの作風をあえて変え、広尾ガーデンヒルズの再設計に臨んだという話は、そのひと一倍高いプライドを思うとなかなか興味を惹かれる。
中高層の連棟計画となった段階でも何故、当初からのアメリカンデザインで押し通さなかったのか?
それははっきりしている。中高層連棟でのモダンデザインは日本では公団住宅の団地住宅、いわゆる大衆商品でしかなくなってしまうから。
アメリカ的な合理主義を信奉しながらも、一方で(あるいはそうだからこそ)エリートとしてのプライドを持った贅沢好きの圓堂には自らが「団地住宅」の設計を手掛けることは断じて許容できなかったに違いない。
イギリスのタウンハウスへと行き着くきっかけとなったのはニューヨーク好きの圓堂のことだから恐らくはマンハッタンのコンドミニアムにあるのだろうと容易に推察できる。どうせだったらそのルーツたるイギリスにさかのぼろうという発想だったのだろう。
そういえば圓堂はその当時、「建築というよりは、カルチュラルな問題だが」と前置してこんな風に語っていた。「住宅は豊かになればなるほど、その帰属性と民族性を表現しはじめる。英国系の金持ちの住宅はすべからく英国調になってくる。アメリカの権力の中枢をになうアングロサクソンのルーツは英国であり、英国のレンガにホワイトサッシュこそが集合住宅の原型である」と。さらには「帰属する祖国のないユダヤ人がモダンデザインに走るのだ」とも。
再設計によって作られた広尾ガーデンヒルズイーストヒルのデザインは、それまでに作風とは別の意味で、圓堂のコンサバで堂々とした男性的なスタイルが英国調のカラーやテクスチャーとうまくマッチして、結果的に正解だったと思う。
このイーストヒルを第1期とする広尾ガーデンヒルズは、日本における都心高級住宅の代名詞となり商業的にも成功を収める。
評価すべきはデザイン面にとどまらない。このイギリスをお手本にして作られた集合住宅は、一方で十分に試行錯誤され吟味された現代日本における先駆的なモダンハイライズでもあった。
広尾ガーデンヒルズイーストヒルは、欧米派エリートのイギリス回帰による自らのプライドの保守であったのと同時に、ろくな集合住宅を持たない日本の住宅への保守派からの異議申し立てでもあったのだ。
例えば、バルコニーの軒下のスラブ懐に全居室に対応したマルチ空調室外機を収め、住戸別空調方式の際の大きな課題である室外機置場の問題の解決を図ろうとした試み(この空調室外機のシステムのおかげで前述のファサードデザインが可能になった)、室外機と同様に室内機に関しても剥き出しの壁掛けエアコンなどインテリアとしてナンセンス極まりないという発想による天井内配管と天井埋込空調室内機を可能にする階高3,150㎜の確保、廊下側に開口を有するマスターベッドルームなんぞは欠陥商品以外のなにものでもないとの主張に基づく全居室にプライバシーを確保した3戸1エレベーター方式による住戸アクセスなど、その「真っ当さ」は竣工約30年を経た今をもってしても、その水準に届いている集合住宅が殆ど見つからないほどに「先駆的」な計画だったのだ。
広尾ガーデンヒルズのなかでも直接、圓堂が手掛けたのはこのイーストヒルだけだった。それ以降の住棟の凡庸さをみるにつけてそのデザイン性と計画性の質の高さは一目瞭然だ。言ってしまえば、イーストヒル以外の広尾ガーデンヒルズは普通の高層マンションでしかないのだ。
この広尾ガーデンヒルズイーストヒルには「真っ当な」集合住宅を作ろうという志があった。
後に続くものはなかった。その後に続く時代は「真っ当な」集合住宅などにこだわらなくとも、市場とそれをトレースするマーケティングに従っていればそれで十分だったのだ。
皮肉なことに完成した広尾ガーデンヒルズは、そのステイタスや資産性へのやっかみもあって一時「広尾の団地」と呼ばれていた。
もしこのことを圓堂が聞いていたらどんな反応を示したか興味深いところだ。肯綮に中る指摘に激怒しただろうか。
いや、むしろ圓堂政嘉はよく分かっていたに違いない。イギリスのタウンハウスとはもともとは英国の中産階級向けの集合住宅の形式であり、それをルーツと称し、さらに高級住宅にまで仕立て上げる日本の住宅自体に潜むおかしさをこの言葉はよく言い当てている、と。
「私はこのような日本の都市が好きであり、また嫌いでもある。」(『記憶の形象(上)』槙文彦)
*広尾ガーデンヒルズ イーストヒル(A・B・C棟)
所在地 東京都渋谷区広尾
事業主 三井不動産 三菱地所 住友不動産 第一生命
設計 圓堂建築設計事務所・三菱地所
構造・規模 SRC造 8F・9F B1F
総戸数 227戸
竣工 1983年
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