『メタボリズムの未来都市展』を観てきました。
メタボリズムとはもともとは新陳代謝を意味する言葉で1960年代に日本で興った建築運動を指しています。この展覧会はチラシの文言にあるように当時の「建築家たちが夢見た理想の都市像」を振り返る展覧会でもあります。
本展覧会でもメタボリズム運動誕生の起源として位置付けられている丹下健三による《東京計画1960》に象徴されるように、当時の高度経済成長下における最大の都市問題は、人口の流入、混雑を極める交通、不十分なインフラ、不足するオフィスや住宅など、急速に拡大する都市への対応でした。
そうした都市の膨張圧力に対して、メタボリズムは生物のように増殖してゆく都市像を対置させました。
当時の図面や模型あるいは最新のCG技術で初めて可視可される当時の壮大な計画の全貌などを改めて観ながら、メタボリズムとは、「建築をつくるように都市を発想し、都市をつくるように建築を作った」、そんな運動だったのだと思い至りました。
都市の理想像の掲示、タブラ・ラサ(白紙)に展開される新しい都市、予測可能で操作可能な未来、永遠に続く成長、クリーンで整然としたイメージなど、今観ると、そこには批判し乗り越えたはずの、近代的都市計画を推し進めてきた理念(例えばCIAM)と同様の、全体を対象とし、現実に理想を対峙させ、計画を信頼する、という発想が相変わらず横たわっていたことが分かります。
一方で、西欧的な意味で堅固で明確な構造や秩序を持たない日本の住まいや都市をベースしているが故に発想し得たと思われる、永遠に過渡期にあり可塑的で容易に更新可能な都市というイメージは、日本オリジナルの都市像の提示といえるでしょう。
現在のプレハブ住宅の源流となった浅田孝による《南極観測隊昭和基地》のモデュール化された部材とその組み立ての模様、今、観るとレトロなSFとしか思えない黒川記章の《中銀カプセルタワー》の販売用ビデオ、丹下健三の《国立代々木競技場》の吊り構造による屋根を架構するプロセスの映像、《EXPO70 お祭り広場》の大屋根のジャッキアップの映像などなど、建築好きにはこたえられない展示が目白押しです。
建築や都市計画がまさに国家や時代と一体化して最も勢いがあった建設の時代だったのだと気づかされます。メタボリズムとは、こうした日本における永遠の建設の時代を象徴するアヴァンギャルドなプロパガンダでもあったのです。
万博が終わり1970年代に入るとそれまでの成長神話にかげりがみえ、公害や過密など成長のマイナス面がいわれ始め、1973年のオイルショックを契機に高度経済成長が終焉します。
永遠にも思われた都市の成長と拡大の時代は終わり、あわせて壮大な理想都市の計画も現実味を失っていきます。メタボリズムは急速にその輝きを喪失します。
都市は建築ではなかったし、建築も都市ではなかったのです。
成長の果ての日本の都市は、巨大で無秩序で醜い姿として認識されていました。
成長と理想が消失したなかで、こうした目の前の現実の都市、例えば東京、をどう捉えるかはそれ以降の大きな課題になりました。
都市とは建物や道路や都市施設などのハードが集積したものであり、都市計画や都市デザインとは、欧米の都市の成り立ちや都市構造を物指しとして考えるのがスタンダードとされていた時代でした。
しかしながらこうした従来型の発想では、都市を理解することができなくなってしまっていました。都市はもはやその全貌やトータルのイメージが誰にもつかめない《見えない都市》になってしまっていたのでした。
1967年に磯崎新が「見えない都市」と題する論文を書いています。丹下健三門下でメタボリズムのメンバーとも交流があった磯崎新は、ロスアンゼルスの街を上空から眺めた際のとまどいをこう書いています。
「都市は形をもち、物理的立体的に連続性をもち、まとまった活動をしているはずだったのだが、ロスアンゼルスにおいては、そんな外貌は発見できない。都市は姿を消したのだ。(中略)私たちが用いてきた都市という概念、物理的構成が緊張感をもって一望のもとに把握しうるような都市空間概念が、ここでは崩壊しているといいかえてもいい。それは地上に降りたつとより明瞭になる。この都市ではすべてがうごめいているのだ。(中略)私はアメリカの都市について多くを述べすぎたのだが、実は、うごきまわり、とめどなく拡散し、いつまでも牢固な像を結ぶこともなく、広告や騒音の増殖に渦中にあるのは、この東京の日常的な空間だといったほうがいい。(中略)しかも(東京は)より複雑で、多様化し、混沌としている」(『空間へ』 鹿島出版会 1997)
《見えない都市》 Le Citta Invisibili とはイタル・カルビーノの同名の小説(河出書房新社)の題名でもあります。そこではマルコ・ポーロが幻想の旅で出会った55の都市の様子を皇帝フビライ汗に語るという設定になっています。
憂い顔のフビライ汗はいいます。「ともかく無駄なことよな、最後の道は地獄の都市(まち)以外にはあり得ぬとするならば。そしてそのどん底にむかって、ますます環をせばめてゆく渦巻きのなかに、流れはわれわれを吸い込んでゆくのだ」
それに答えてマルコ・ポールがいいます。「生ある者の地獄とは未来における何ごとかではございません。もしも地獄が一つでも存在するものでございますなら、それはすでに今ここに存在しているもの。われわれが毎日そこに住んでおり、またわれわれがともにいることによって形づくっているこの地獄でございます」
《見えない都市》を求めて。
メタボリズム展をきっかけに、次回以降は、これまでの《見えない都市》をめぐる思考を振り返ってみたいと思います。
to be continued.
*「メタボリズムの未来都市展」は2012.01.15まで開催しています。
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