第13章は新たに仕事の依頼があったニューヨークの編集者ハワード・スペンサーという人物に会うためにマーロウが出向いたリッツ・ビヴァリー・ホテルのバーのシーンで幕が開く。
バーの外にはスイミングプールがありマーロウは飛び込みをやっている肉感的な女性を見つめている。女性がプールから上がって男の待っているテーブルに戻って来る。wobbleは揺らすという意味。
She wobbled her bottom over to a small white table and sat down beside a lumberjack in white drill pants and dark glasses and a tan so evenly dark that he couldn't have been anything but the hired man around the pool.
white drill pantsは清水訳では単に「白いパンツ」、村上訳では「ぴったりした白い水着」となっているが、ここのdrill ドリルとは太い糸を使った綾目が特徴の綾織(ツイル)の生地のことを指していると思われる。いわゆるチノクロスをもっと厚くしたような生地のことだ。ざっくりとしたカジュアルな風合いが快晴のプールサイドの雰囲気にぴったりだ。
口角泡を飛ばす才気ばしった2人組みの映画関係者、ひとりバースツールでバーテンダ相手に管を巻く男。午前中のハリウッドのホテルのバーにはいかにも連中が陣取っている。
遅れているハワード・スペンサーに悪態をつくマーロウ。ニューヨークの高層オフィスで働くタイプのエスタブリッシュメントに対する皮肉たっぷりの罵詈雑言は多分、チャンドラーの本音なのだ。fatheadはまぬけ、paroxysmは発作、operatorはやり手、nine sharpは9時きっかり、という意味。
And right now I didn't need the work badly enough to let some fathead from back east use me for a horse-holder, some executive character in a paneled office on the eighty-fifth floor, with a row of pushbuttons and an intercom and a secretary in a Hattie Carnegie Career Girl's Special and a pair of those big beautiful promising eyes. This was the kind of operator who would tell you to be there at nine sharp and if you weren't sitting quietly with a pleased smile on your pan when he floated in two hours later on a double Gibson, he would have a paroxysm of outraged executive ability which would necessitate five weeks at Acapulco before he got back the hop on his high hard one.
horse-holderは乗り手のためのに馬をホールドしておく役目の人のことで、相手に従順に従うことが必要な勤めのことを意味するのだろう。Hattie Carnegie とは当時の富裕層向けのブティックを全米で展開していたハッティ・カーネギーのこと。on your panはパン(平鍋)のなかでおとなしくおさまっているというニュアンス。
後半のThis以下の文章のアクロバティックな比喩がすごい。面白いので日本語にしてみると、
「その人物は相手に9時きっかりに来くように言いつけるような偉そうな人間であり、さらに自分がダブルのギブスンで酔っ払って2時間遅れても、相手がおとなしく笑みをたたえながら待っていないことが判ると、激怒というエグゼクティブ特有の発作を起こすような人物だ。そしてそうした激しい発作を起こすような仕事を続けるためには、アカプルコでの5週間の休暇でもないと、とてもじゃないがやってられない、と主張するような人物だ」。
という感じだろうか。チャンドラーの筆が冴えわたる。
この章ではマーロウの一人称独白形式を借りてチャンドラーの斜に構えた自説がいろいろと披露される。
例えば、さまざまな金髪がいる、という金髪談義。ここではひとつだけ紹介しよう。anemiaは欠食、ncurableは不治の、languid はもの憂い、という意味。
There is the pale, pale blonde with anemia of some non-fatal but incurable type. She is very languid and very shadowy and she speaks softly out of nowhere and you can't lay a finger on her because in the first place you don't want to and in the second place she is reading The Waste Land or Dante in the original, or Kafka or Kierkegaard or studying Provençal. She adores music and when the New York Philharmonic is playing Hindemith she can tell you which one of the six bass viols came in a quarter of a beat too late. I hear Toscanini can also. That makes two of them.
「ニューヨーク・フィルハーモニーの6人のヴィオラ奏者のうちどの奏者が4分の1拍遅れていたかを指摘できる」というのがおかしい。最後の「トスカニーニもそれが出来るそうだ。そんなことが出来るのが世の中に2人いるわけだ」というのも皮肉たっぷりだ。
バーに1人の美女が入ってくる。a dreamと形容されるすこぶるつきの美女だ。sharpiesとは先に挙げたバーでアイディアを競い合っているやり手の映画関係の2人のことを指している。burblingはぺちゃくちゃしゃべる。
and right then a dream walked in. It seemed to me for an instant that there was no sound in the bar, that the sharpies stopped sharping and the drunk on the stool stopped burbling away, and it was like just after the conductor taps on his music stand and raises his aims and holds them poised.
She was slim and quite tall in a white linen tailormade with a black and white polka-dotted scarf around her throat. Her hair was the pale gold of a fairy princess. There was a small hat on it into which the pale gold hair nestled like a bird in its nest. Her eyes were cornflower blue, a rare color, and the lashes were long and almost too pale.
cornflower とは矢車草のこと。こんな色の瞳だったのだろうか。
ハワード・スペンサーがやっと現れる。担当している作家ロジャー・ウェイドがアルコールに溺れて家からしばらく姿を消したり、奥さんに暴力を振るったりする困った状況にある。彼は何かで苦しんでおり、マーロウにその原因を突き止め、なんとか正常に戻して本を書き上げさせて欲しいと頼む。
あなたが求めているのは私立探偵ではなくて魔法使いだ、彼に会ってもよいが家から放り出されるのがおちだ、とマーロウは依頼を断る。
それに対する反応は意外にもスペンサーではなくa dreamと形容された美女からだった。
"No, Mr. Marlowe, I don't think he would do that. On the contrary I think he might like you."
"Please don't get up," she said in a voice like the stuff they use to line summer clouds with.
「夏の雲の線を引く時に使うthe stuffのような声」とは一体どのような声なのだろうか? stuffは素材や漠然とものを意味するが、なぜ、こんな間接的で曖昧な言い方をしたのか分からない。村上訳では「刷毛」と訳されている。
a dreamはロジャー・ウェイドの妻のアイリーン・ウェイドだと名乗る。自己紹介する前にマーロウを一目見ておきたかったのだと非礼を謝る。そしてこんな風な忠告をマーロウに与え去ってゆく。
She was very serious now. The smile had gone. "You are deciding too soon. You can't judge people by what they do. If you judge them at all, it must be by what they are."
"And you have to know them for that," she added gently. "
「人は何をしたかではなくて、どんな人かで判断すべきではないでしょうか」
「そのためには実際にお会いになってみることが必要ではないのでしょうか」
人は行いではなく性格や人柄で判断すべきだ。まさにレノックスに対してはそうしてきたことを思い出してマーロウは複雑な思いに駆られる。
ハワード・スペンサーはマーロウとひと悶着あった後、この話はなかったことにして欲しいと告げて立ち去る。
お昼近くになり、リッツ・ビヴァリーのバーは込み合い始める。
The bar was filling up. A couple of streamlined deini-virgins went by caroling and waving. They knew the two hotshots in the booth farther on. The air began to be spattered with darlings and crimson fingernails.
streamlined demi-virgins 「流線型の半処女たち」とは一体なんのこと?チャンドラーの造語?と思って調べてみると、demi-virginはフランス語のdemi-viergeからきており、性的に寛容で挑発的な振る舞いをしながらも処女は頑なに守る女性を意味するのだそうだ。
元々はマルセル・プレヴォーのLes demi-vierges (1894)という小説のタイトルに由来する言葉らしく、もしかしたら19世紀のフランスでは処女ながらdemi-monde(高級娼婦)のステイタスにあこがれる、そんな女性たちもいたということだったのだろうか。
チャンドラーはdemi-virginという19世紀からの古い言い回しを、当時は最新の言葉だったと思われるstreamlinedで形容することによって、まさに「最新の」「当世風の」というニュアンスをそこに付与したのだろう。
これを日本語にするとなると一体どう訳すのか?
清水訳の「しゃれた身なりの」では曖昧すぎるし、村上訳の「職業的生娘」では反対の意味にも取られかねない。
いちばんシンプルなのは「当世風デミ・バージン」とでもなるのだろうが、これでは意味が通らないので「挑発的な態度で周りを翻弄して楽しんでいる処女」、「身持ちが固い割には態度だけは奔放な生娘」とでも訳するしかないのだが、どうしても解説風になってしまうのとstreamlinedというニュアンスは盛り込めていない。
なにごとか仕組まれたような気がしてモヤモヤが募るマーロウ。帰り際に誰かがマーロウの身体にぶつかる。モヤモヤを発散させる機会を待っていたマーロウは相手に絡んでゆく。
前半部のケンカ腰のやり取りの臨場感と後半で一転して雰囲気が和むところが読みどころ。doublはこぶしを固める、Nuts to youはばか言えという意味のスラング、sneerはあざ笑う、snarlは唸る、という意味。
I took hold of the outstretched arm and spun him around. "What's the matter, Jack? Don't they make the aisles wide enough for your personality?"
He shook his arm loose and got tough, "Don't get fancy, buster. I might loosen your jaw for you."
"Ha, ha," I said, "You might play center field for the Yankees and hit a home run with a breadstick."
He doubled a meaty fist.
"Darling, think of your manicure," I told him.
He controlled his emotions. "Nuts to you, wise guy," he sneered. "Some other time, when I have less on my mind."
"Could there be less?"
"G'wan, beat it," he snarled. "One more crack and you'll need new bridgework."
I grinned at him. "Call me up, Jack. But with better dialogue."
His expression changed. He laughed. "You in pictures, chum?"
"Only the kind they pin up in the post office."
"See you in the mug book," he said, and walked away, still grinning.
It was all very silly, but it got rid of the feeling.
真ん中の少し後の"Could there be less?" はCould there be less on my mind?の略。前の文の「用事がない時なら相手になってやるぜ」を受けて「用事がない時なんかあるのかい?」と相手の言葉尻を捕らえれてからかっているわけだ。
後半の"Call me up, Jack. But with better dialogue." 「連絡を待っているぜ。ただしもっとマシな台詞を考えてからにしてくれよ」というマーロウの台詞がきっかけとなって、相手が表情を変えて「おたく、映画に出ているのかい?」となり、一転、雰囲気が和む。いかにもハリウッドらしいエピソードだ。
次ぎもpicturesが映画と写真、mug bookがタレント名鑑と前科者ファイルという2つの意味があることを踏まえた冗談の掛け合いになっている。
マーロウの"Only the kind they pin up in the post office." はI’m only in the kind of pictures that they pin up in the post officeの略で「郵便局に張ってあるたぐいのpictures」とは指名手配写真のことなのだ。
ところでハリウッド人種が集まり、こうした会話が交わされても不思議はないリッツ・ビヴァリー・ホテルのモデルとなったホテルはどこなのでろうか。
映画『プリティ・ウーマン』の舞台ともなったビヴァリー・ウィルシャー・ホテルというのが定説だが、Elizabeth Ward and Alain Silve RAYMOND CHANDLER’S LOS ANGELES (1987) では、ビヴァリー・ヒルズ・ホテルのバーPolo Loungeの雰囲気がチャンドラーをインスパイアしたのではないかと推測している。
下の絵はリロイ・ニーマンの”Polo Lounge”と名づけられた作品。スターや監督やプロデューサーなどまさに往時のHoolywood power playersがポロ・ラウンジに一同に会している。チャンドラーの『大いなる眠り』を原作とした映画『三つ数えろ』に出演したボギー&バコールも前列左端に描かれている。監督のハワード・ホークスと思しき人物も描かれている。さて何処でしょう?
アイリーン・ウェイドの名刺の住所はアイドル・ヴァレーとなっている。アイドル・ヴァレーは、昔は湖畔にカジノがあり50ドルの高級娼婦がいたようなところだったが、今は宅地分譲されて高級住宅地となっているところとされている。アイドル・ヴァレーのモデルはロサンゼルスの北部一帯を占めるサンフェルナンド・ヴァレーとされるのが定説だ。
I belonged in Idle Valley like a pearl onion on a banana split.
「私はアイドル・ヴァレーにふさわしい人間だ。パールオニオンがバナナ・スプリットにふさわしいのと同じ程度にだが」とへらず口を忘れないマーロウ。
家に戻ると殺人課のグリーン刑部から電話がありレノックスが2日前に埋葬された告げる。
何か他に聞きたいことはないかとの問いにマーロウの質問は"Yeah, but you can't tell me. I'd like to know who killed Lennox's wife."
マーロウにとってレノック事件はまだまだ終わっていないのだ。
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