モダンデザインの源流となったバウハウスだが、モダンデザイン誕生の歴史には想像以上に紆余曲折があった。
バウハウスのルーツは19世紀末のイギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動に求めることができる。アーツ・アンド・クラフツというと、機械文明を否定したジョン・ラスキンの思想やウイリアム・モリスによる中世の手仕事に回帰したような植物文様などの装飾性の高い壁紙が思い起こされる。
これらはバウハウスのイメージとは俄かには結びつきがたいが、アーツ・アンド・クラフツ運動の背景には、産業革命によって生まれた低質な工業製品への異議申し立てがあり、生活と芸術の統一によって、新たに生まれつつあった大衆社会にふさわしい造形を創造するという理念があった。
こうした理念と工芸分野で成功を収めているイギリスの状況に関心を寄せたプロイセン政府は、「文化スパイ」としてヘルマン・ムテジウスを6年間イギリスに滞在させ、その成功の要因を研究させている。その実践の場として1907年にドイツ工作連盟が設立され、近代社会にふさわしい芸術と産業の統一が構想された。ドイツ工作連盟の活動はインダストリアルデザインの始まりといわれ、その理念はヴァルター・グロピウスによる1919年のバウハウス設立に大きな影響を与えた。
(ヴァルター・グロピウス 『バウハウス』 マグダレーナ・ドロステ 1992より)
初期のワイマール・バウハウスは、ヨハン・イッテンをはじめとする芸術家らの個性が主導する、いわゆる表現主義的な教育が中心であった。初期バウハウスの「表現主義のごった煮」状況を大きく転換させるきっかけとなったのが、オランダでピート・モンドリアンと一緒に芸術家団体デ・ステイルを結成したテオ・ファン・ドゥースブルフが1921年にワイマールを訪れ、デ・ステイル講座を開いたことだ。
水平と垂直と直角、三原色と黒と白とグレーを基本的な表現手段としたデ・ステイルの理念は、個人による表現主義的な造形を越えた、より理念的で統合的な造形のヒントになり、ラスロ・モホリ=ナギ、パウル・クレー、ヴァシリー・カンディンスキー、ジョゼフ・アルバースらのマイスターによってモダンデザインの具体的イメージへと導かれていった。
「新たなる建築芸術」。バウハウス設立の目的を初代校長ヴァルター・グロピウスはこう宣言している。建築こそ、すべての造形活動とすべての芸術および技術を包括する総合芸術であると規定していた。しかしながら初期のバウハウスでは建築部門は設けられていなかった。建築部門が設けられたのは、バウハウスがデッサウの地に移って一年後の1927年のことだ。
新しい時代にふさわしい建築のイメージを模索していたグロピウスらに具体的なヒントを与えたのが、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトが1910年にドイツのヴァスムート社から刊行した作品集だった。
その作品集は、グロピウスの事務所では「ハウス・バイブル(住宅に関する聖書)」と呼ばれ、ミース・ファン・デル・ローエは「これはわれわれにとってある種啓示であった」と評したという。(バウハウス・アーカイブ美術館 マグダレーナ・ドロステ博士の言葉 『バウハウスとノールデザイン』 井筒明夫1992)
壁を取り払い、内外を融合させ、流れるような空間を実現するというライトの建築が、それまでのクラシシズムによる建築を乗り越えるインスピレーションとなった。その結果、今日、モダン建築の原型として知られているグロピウスによる1926年のバウハウスのデッサウ校舎やマイスター宿舎が生まれ、さらには三代目の校長だったミースによるモダン建築の傑作バルセロナ・パビリオン(1929年)へとつながってゆく。
(バウハウスデッサウ校舎 『バウハウス』 マグダレーナ・ドロステ 1992より)
(マイスター宿舎 『バウハウス』 マグダレーナ・ドロステ 1992より)
モダン建築のヒントになったといわれるフランク・ロイド・ライトによる流動する空間には、実はさらなるルーツがあった。それは1893年に開催されたシカゴ万博に出展された日本館鳳凰殿である。この宇治の平等院鳳凰堂を原型として建てられた建物で、ライトは初めて実物の日本建築と出会い、つぶさに研究し、それまでの堅固な造りの箱形の欧米建築にはない空間の着想を得たといわれている。
第一次大戦に敗れたドイツ産業の再興を期して始まったバウハウス。その後のモダンデザインのルーツとなったといわれるバウハウスだが、実は、イギリスのアーツ・アンド・クラフツ、オランダのデ・ステイル、新大陸アメリカの建築家フランク・ロイド・ライト、さらには極東の日本建築などからの直接、間接の影響を受けて生まれたものだった。
シンプルさ、ミニマルさなどを特徴とするモダンデザインだが、それが生まれた歴史は、決して単純でも直線的でもないことがわかる。
*初出:zeitgeist site
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