女学校を出て花嫁修業をしていた、デザインとも建築とも無縁な、もちろんバウハウスも知らなかった、そんな明治生まれの20歳の日本人女性がバウハウスに入学したら。
著者の山脇道子は1930年(昭和5年)、夫の建築家山脇巌とともにデッサウのバウハウスに入学し、1932年にナチスによって廃校に追い込まれるまでの2年余りをバウハウスで学んでいる。
山脇道子は1910年(明治43年)、祖父の代で資産を成した山脇家の長女として築地に生まれる。父は裏千家の老分(おいぶんとは長老格の役職のこと)を勤めるなど茶人でもあった。18歳の年に12歳年上の建築家藤田巌と結婚。山脇家の分家の跡を継がなければならなかった道子の婿養子になる条件として、巌が申し出たのがバウハウスへの留学だった。最初は夫についていくだけのいつもりが、いつの間にか夫婦一緒にバウハウスに入学することになる。
「山脇家のおしゃまな総領として育ち、恐いもの知らずでバウハウスに入学した」との本人の言葉どおり、物怖じしない好奇心にあふれる20歳の女性が体験した、いきいきとしたバウハウスが伝わってくるの痛快な書だ。青春の書、思わずそんなふうに呼んでみたくなる。
随所に載せられた写真の山脇道子が実に魅力的だ。表紙に載せられているのはバウハウスの学生証の写真だ。富裕な出自を偲ばせる上品な顔立ちのなかにも、上目遣いで見据えるような眼差しと少し力を込めて結ばれた口元が、世界を見てやろうという秘められた意思を訴えかけてくる。
ヨゼフ・アルベルス(アーティストとしては英語読みのジョゼフ・アルバースの方が有名だろう)やヴァシリー・カンディンスキーによる授業風景はこんな風だったそうだ。
「アルベルスにしてもカンディンスキーにしても、そしてシュミットにしても、「こうしろ、ああしろ」と手取り足取り教えるのではなく、学生に自分の頭で判断させる点では共通していました。(中略)学生自身がいかに体得するかがすべてでした。デザインに基本を習うということはこういうことなんだと、強く感じました」
バウハウスでは、教師の模倣ではなく学生に自分自身の手法を見つけさせる、という初代校長のヴァルター・グロピウスが語った言葉を思い起こさせる。
デッサウでの日常生活も詳しく描かれる。道子自身が食いしんぼうだったのだろう、食べ物に関する話が面白い。
下宿の朝食、バウハウスの食堂のメニュー、イタリア米にハムとチーズを乗せて、日本から持っていった海苔をかけたドイツ風(?)のお茶漬けの話、日本から取り寄せた虎屋の羊羹にべらぼうな税金がかけられたこと(当時は貴重品の砂糖が大量に使われていたかららしい)、カンディンスキー夫妻とアルベルスと学長のミースを下宿に招いてすき焼きで持てなしたことなどなど。
あのミース・ファン・デル・ローエがすき焼きを食べている!はたしてミースはどんな感想を持ったのだろうか?
山脇夫妻の優雅な暮らしぶりにも目をみはらされる。渡航の荷物はトランク七個にもなったこと、途中経由のニューヨークでファッションに魅せれれて、結局、洋服をすべて新調したこと、ところがドイツにいってみると、今度は男物のテーラードのカチッとした洋服に惹かれてオーダーしてしまったこと、デッサウのほかにベルリンにも下宿を借りていて毎週末は舞台芸術の研究を兼ねて観劇にいそしんだことなど、戦前の富裕層は今とは桁違いだ。
バウハウスには貧しい学生も多く、日本からの仕送りで不自由しない夫妻がカフェで食事をしている姿をやっかむ者も現れ、それ以降は自重したことなど、大恐慌直後の当時の経済情勢をしのばせるエピソードも披露される。
帰国後、山脇巌が設計して1935年に完成した駒場のアトリエ付き自宅の写真が載っている。シンプルでミニマルな空間に、ミースやマルセル・ブロイヤーのカンチレバーのチェアが置けれた空間は、モダンなセンスでノベーションされた最新のマンションといわれても納得してしまうような、まったく古さを感じさせない空間だ。
(『バウハウスと茶の湯』より)
「私は茶の湯の世界に生まれ育った人間です。そんな私が、何もしらないまっさらな頭でバウハウスに学びはじめて、あっと思ったことがありました。それは、バウハウスと茶の湯はとても似ているということです。突拍子もないことに聞こえるかもしれませんが、いずれの世界にも共通しているのは、シンプルかつ機能的であることを良しとし、材質の特性をできるだけそのまま生かそうとする姿勢です。このことに気づいた時、バウハウスでやっていけると初めて自信を持てたような気がしました」
バウハウスと茶の湯を語ったこの山脇道子の言葉は、双方の実践者の言葉として重みを放っている。
原研哉はこういっている。「日本は西洋モダニズムに先駆けること数百年、室町時代中期に、既に簡素さに美を見出す価値観を生み出していた」。それは茶の湯の美意識に端を発すると。(『白』原研哉 2008)
*初出zeitgeist site
copyrights (c) 2016 tokyo culture addiction all rights reserved. 無断転載禁止。