「太陽・緑・空間」。CIAM(近代建築国際会議)が1933年にアテネ憲章として提唱した近代都市のスローガンだ。元ネタはル・コルビュジエの《輝く都市》のコンセプトである。
このスローガンに既に欠落しているものがある。それは<大地>であると磯崎新は指摘する(『栖すみか十二』、住まいの図書館出版局、1999年)。
建築の始まりは、「始原の小屋」 primitive hutと呼ばれる、森の中の四本の木(柱)に梁(エンタブレチュア)を渡し、三角形の屋根組(ペディメント)を組んだ簡素な小屋であるとされている。ロジェ神父による『建築試論』(1753年)に掲載された挿図だ。<建築>は<大地>の上に簡素な構造を組んで人が住まうことで始まった、というわけだ。
近代とは、人が<大地>に住まうことが不可能になってしまった時代だ。その回復を企てたのが「血と大地」をスローガンにしたヒットラーであり、「大地派」のイデオロギーが第二次大戦で敗北したあとに残ったのが「空間派」だった。
「空間派」の勝利に拍車をかけたのが大都市(メトロポリス)の出現であり、グローバリゼーションであると磯崎新は説く。
<大地>の喪失と「空間派」の勝利を象徴する建物は、ル・コルビュジエではなくミース・ファン・デル・ローエによって実現される。《レイクショア・ドライブ・アパートメント》である。
(*Lake Shore Drive Apartment,souce :https://www.archdaily.com/59487/ad-classics-860-880-lake-shore-drive-mies-van-der-rohe)
シカゴのミシガン湖畔に建つ26階建てのガラスのツインタワーは、<大地>から切り離され、場所性を失った立体格子である。どこでもなく、かつ、どこでもあるという固有性を失った場所で宙吊りになって暮らす。これが世界の都市の現実だというのが、20世紀の終わりに磯崎新が至った結論だった。
映画『ブレードランナー2049』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、2017年)では、この「空間派」の勝利の先にやってくるであろう世界が描かれる。今回は『ブレードランナー2049』を都市論として読み解いてみよう。
先の「太陽・緑・空間」のスローガンにおいて、すでに<大地>は切り捨てられていたが、<大地>に降り注ぐ太陽と<大地>を覆う緑はまだ残っていた。
『ブレードランナー2049』で描かれるのは、環境破壊と生態系崩壊が進行し、<大地>そのものに加え、太陽も緑も喪失した世界である。気候変動により、地球は常時、曇り空に覆われ、酸性雨が降りしきり、雪や嵐が常態化している。食糧は合成農場とよばれる工場のような施設で<大地>ではなく、培養液の中で栽培される。
海面上昇で多くの土地が失われ、残った土地も生命の息吹を失った荒地となっている。舞台となるロサンゼルスの近郊のいくつかの都市はすでに遺棄されており、サンディエゴは廃棄物処分場のゴミの山と化し、ラスベガスは砂漠化した廃墟となっている。
失われているのは<大地>や太陽や緑だけではない。<建築>もまたその輪郭を失っている。
映画『ブレードランナー』(リドリー・スコット監督、1982年)では、酸性雨が降り止まない、アジアンティックなカオスと化したロサンゼルスの未来像が衝撃を与えた。本作でもこの基本スタイルは引き継がれている。
(*Blade Runner,source :http://japanese.engadget.com/2016/10/06/blade-runner-2049-vr/)
ネオンの反射でかろうじて判別できる酸性雨に煙る建物、ファサードはすでに雑多な看板と電子広告に覆われている。香港や歌舞伎町あるいは中東のバザールを思わせるカオスの様相を呈する街角。あらゆる時代と場所の衣装を纏った人物が溢れかえるストリート。
この懐古的な意匠をまとったカオスとしての未来都市というイメージは、リドリー・スコットがお気に入りだった、フランスのバンド・デシネ作家メビウス(ジョン・ジロー)の短編”The Long Tomorrow”に由来することは知られている。混沌とした未来都市でのフィリップ・マーロウ的探偵物語の作品だ。ちなみに”The Long Tomorrow”の原作者は映画『エイリアン』の脚本家であるダン・オバノンであり、この二人を結びつけるきっかけになったのが、アレハンドロ・ホドロフスキーの映画『デューン 砂の惑星』だった。
(*The Long Tomorrow,source:https://mikecanex.wordpress.com/2012/03/10/r-i-p-jean-moebius-giraud-artist/)
リドリー・スコットが、そのイメージを具現化するために招聘したのが、フォード車などをデザインしていたシド・ミードだ。『ブレードランナー2049』でも後述する廃墟化したラスベガスのイメージはこの人が手がけている。
ここでは20世紀の立体格子さえも、暗闇と酸性雨と広告に覆われて輪郭を失くしている。街を埋め尽くす太陽光パネルや巨大なダムのような防潮堤やビルの屋上を占拠するスピナー(飛行自動車)の発着所などの建造物が強烈なインパクトを放っているのに比べ、<建築>のイメージはあまりに希薄だ。<建築>はもはや<都市>を象徴する役割を下りているのだ。
<建築>の喪失とは裏腹に入念に描かれ印象的なのがインテリアだ。
冒頭に登場する、旧型レプリカントが隠れ住む合成農場は、即物的なシェルターのような建物だが、内部は昔からの農家の暮らしを思わせるようなインテリアに設えられている。年代ものの革張りのソファが置かれキッチンでは昔風の鉄鍋から湯気が立っている。
主人公のK(ライアン・ゴズリング)の住むアパートは内部しか描かれない。素っ気ないインテリアのなか、マヤの意匠を模したキッチンの壁が映される。『ブレードランナー』でも登場した、フランク・ロイド・ライトのエニス・ブラウン邸で使われているコンクリート意匠ブロックだ。
極めつきは、前作の主人公のリック・デッカード(ハリソン・フォード)が隠棲しているラスベガスのカジノホテルだ。爆心地(本作には2022年にレプリカントの反乱による高高度核爆弾が爆発したというプロローグがある)とされるラスベガスの街は、放射能で汚染され廃墟となり、オレンジの霞のようなものがかかった砂漠化した場所となっている。ホテルの外観はほとんど無視され(ガラスカーテンウォールのまさに立体格子のようなビルであることがかろうじてわかる)、描かれるのは、古典様式、アールデコなど過去の様式が折衷した懐古的なインテリアだ。デッカードのお気に入りだったとしてプレスリーやマリリン・モンローやフランク・シナトラのフォログラフィーなども意味ありげに登場する。
未来は再帰的な過去である、というのは『ブレードランナー』から連続する基本コンセプトだが、懐古的なインテリアは一体なにを意味しているのだろうか。
*初出 zeitgeist site
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