今年2018年は1968年から50年、半世紀に当たる。
1968年はスタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』が公開され、フィリップ・K・ディックの小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』が発表された年だ。
(*『2001年宇宙の旅』日本公開時(1968年)のポスター)
これらの作品を、その後の科学とテクノロジーによる未来像を決定づけたエポックメイキングな作品(★1)として位置づけ、1968年から半世紀経た今を、さらにはその先を見据えようとするアート展が昨年末に資生堂ギャラリーで開催された。
『1/2 Century Later.』と題されたこの展示は、寒川裕人(Eugene Kangawa)が率いるTHE EUGENE Studio(ザ・ユージーン・スタジオ)によるものだ。
今回の展示の中核をなすのが”Beyond good and evil, make way toward the waste land”(邦題:『善悪の荒野』、直訳すると「善悪を超えて荒野に向かって進め」という意)と名づけられらた作品。
幅8,900mm奥行き4,200mm高さ3,200mmのガラスのボックスの中に美しき廃墟が出現する。
フランス・ルイ王朝のロココ・スタイルで設えられた空間が、破壊され、朽ち果て、廃墟化した様子は、ひと目見て息を飲むような圧倒的なインパクトを有している。
焼け焦げ、灰まみれなったベッド。床には一面に残骸が散乱し、白い灰が厚く積もっている。絵画が架けられた壁は崩れかかり、そこでの暮らしを偲ばせるように、食器や書籍が無造作に放置されたままのテーブルも白い灰に覆われている。
この作品は、特撮などを撮影するセットで一旦組み立てたものを燃焼させ、その後解体し、再度、展示現場で組み立てて制作されている。一部は18世紀の家具や本物の大理石、オリジナルで描かれた絵画などが用いられているそうだ。
この部屋は明らかに前掲の映画『2001年宇宙の旅』のラスト近くで、木星探査宇宙船ディスカバリー号のボーマン船長がモノリスと対峙する部屋をモデルとしている。
(*source:http://www.filmsufi.com/2016/08/2001-space-odyssey-stanley-kubrick-1968_16.html)
ボーマン船長は、その後、急速に老化が進み、宇宙の彼方へ飛翔し、肉体を脱した精神のみのスターチャイルドへと生まれ変わり、人類の新たな進化が暗示されて映画は終わる。
モノリスは、いわゆる人間が「神」と呼び習わしてきた人知を超えた存在、実は高度に進化した地球外生命体が作った高度なコンピューター(あるいは究極のAI)として登場する。映画の要所でモノリスは人類の進化を促す。
なぜSF映画に場違いな懐古的なインテリアの部屋が出現するのかは不明だが(★2)、人間の究極の場(生き死に≒進化)として、コンピューター(あるいはAI)が生成したのが懐古的な空間だったことは、人のイメージを裏切るかのように、あるいは人の潜在イメージを先取りするかのように働くコンピューター(あるいはAI)の意思を思わせ、えも言われない不気味さを覚えたことは記憶に残っている。
と同時に、光る床の上に浮かぶように出現したその場違いな空間に、不思議な美しさを感じたことも忘れられない。
「神」は人工物だった(人工といってもモノリスは、人ではなく地球外生命が作ったと想定されている訳だが)という物語も、ディスカバリー号の頭脳であるコンピューターHAL9000の反乱というエピソードも、『2001年宇宙の旅』で含意されているのは、科学とテクノロジーによって制御される未来像だ。
1968年に発表されたもうひとつの作品『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』で描かれるディストピアとしての未来像も同様だ。フィリップ・K・ディックの描く地球は、<最終世界大戦>の後の、ほとんどの人間が他の星に移住してしまった、放射能灰が降りしきる地球だ(★3)。
輝かしいユートピアを夢みる未来像も、あるいはその反転としてのディストピアとしての未来像も、いずれも科学とテクノロジーの優位を語る同じ言説といえる。
インスタレーション『善悪の荒野』は、こうした半世紀前に提示された未来像の遺産化(死の宣言)が意図されている。『2001年宇宙の旅』のモノリスが生成したロココの部屋を焼きつくし、廃墟化させることでピリオドを打ち、その先の地平を見据える。
鮮やかな反転。
<後編に続く>
(★1)その後の未来像を画したエポックメイキングな作品として、フィリップ・K・ディックの小説を原作とした映画『ブレードランナー』(リドリー・スコット監督 1982年)を加えてもよいかもしれない。
(★2)アーサー・C・クラークの同名の原作では、この部屋はモノリスが、地球のTV番組に登場したホテルの部屋の映像に基づいて作った張りぼての部屋であることが説明されている。「地球の大都市ならどこにあってもおかしくない、上品なホテル・ルーム」という表現や本棚、TV、雑誌、花をいけた花瓶などが置いてあるとの描写から、原作におけるイメージは映画のそれよりも、もっと普通のホテルの部屋のイメージに近いもののようだ。何故、ロココ調が選ばれたのかは依然として不明だが、映画では映像のインパクトを重視して、未来的なイメージの光る床と、それとは正反対の懐古的・装飾的なインテリアを組み合わせて、地球の時空とは異なる、不思議な浮遊感と荘厳さを演出した、というような解釈は可能だろう。このほかにも、個人空間の発祥をルイ王朝時代のインテリアに求めた、円環的時間の表現など、さまざまな解釈を考えることも本作を観る楽しみのひとつといえる。あるいは、未来のイメージは意外に懐古的かもしれない、という映画『ブレードランナー』で表明されたメッセージと同じものを読み取ることもできるかもしれない。
(★3)『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』においては、ディストピアとしての未来像と呼応するように、人間存在のアイデンティティが問われる。
*参考文献 : アーサー・C・クラーク 『2001年宇宙の旅』、ハヤカワ文庫、1977年
フィリップ・K・ディック 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』、ハヤカワ文庫、1977年
*初出 zeitgeist site
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