モダンデザインを一言でいうとシンプルなデザインということになるだろう。
広辞苑には「シンプル」とは「単純なさま」とある。シンプルとは、色・かたち・素材が簡素で抑制されているさまである。
シンプルはモダニズムの専売特許ではない。また、建築やプロダクトのデザインに限られるというわけではない。シンプルという価値観はどこから来たのか。シンプルの具体的な現れ方とは。シリーズ《シンプルの系譜》では、さまざまな切り口でシンプルの様相を探ってみる。
ウィーンの建築家 アドルフ・ロースは1908年の講演で、装飾は造形芸術の始原であったが、「文化の発展は日用品から装飾を削ぎ落としていく過程に相当する」と主張し、装飾に依存し「生活の芸術化」を唱えるウィーン分離派やドイツ工作連盟などの建築家や造形作家たちを批判する。
(*Adolf Loos,sorce :https://www.plataformaarquitectura.cl/cl/884508/exposicion-adolf-loos-espacios-privados/5a1d4d26b22e38ccb000040d-exposicion-adolf-loos-espacios-privados-foto)
無装飾こそが時代精神であると宣言したその主張は、後に「装飾と犯罪」として活字化され、近代建築史上最大の問題作にしてモダニズム建築の誕生を記す記念碑的ドキュメントと言われた。
ル・コルビュジエの『今日の装飾芸術』(1925年)における装飾批判に先立つこと十数年、アドルフ・ロースの先見性は注目に値する。
ロースは建築家と同時に、生活文化(今の言葉でいえばライフスタイルか)に一家言を有する論客でもあり、自身もファッションのエピキュリアンであった。
(*Adolf Loos,source : https://www.pinterest.jp/pin/541769030167813540/)
「人はどのように装えばいいのか?現代的にだ。では、いったいどういった服装を身につけているとき、現代的な装いをしているといえるのか?もっともめだっていないときだ」
「たとえ皿に青いタマネギの絵柄が入っていたためにスープの色がいかにもまずそうな緑灰色になっていようと、ロココの人は気にしなかった。それに比べ、われわれは繊細な感覚を持っている。この現代に生きるわれわれは、なんとしても白い皿から食べたいのだ」
「ベートヴェンが作曲したような交響曲の数々は絹やビロードの飾りのついた服を着て歩くような人間にはとうてい作曲しえなかっただろう」
「時代が進み、男たちのセンスが現代的になればなるほど上着の前をぴっちり留めるようになっていく」
「いい材料と質の高い仕事こそ、どんな時代であれ、たとえ新しい流行が隆盛し消えていこうとも一貫して価値を下落させない権利を有しているのである」
「個人個人がしっかりした個を確立し、人間の個性が非常に強くなったため、もはや服装で個性を主張する必要がなくなったのだ。無装飾とは精神の力の証である」
「私がいま着ている無装飾の上着こそ、われわれの時代精神にもとづいてつくられているのである」
ロースは建築と生活文化を同じ地平で、なかでも自身がエピキュリアンでもあったファッションと同じ地平で語り、時代精神を反映した建物もファッションと同様、目立つものであってはいけないとして、モダニズム建築の先がけとなる装飾を廃した建築を実現していく。
建物を身体を包む衣服と同じものであると認識する、建築を特権化しないその視点は、今日の人類学的発想にも通じるものだ。ここにもロースの先見性が伺える。
インテリアを設計した《カフェ・ムゼウム》(1899)は、建築家たちからは「カフェ・ニヒリスム」と蔑まれ、初めての建築となった通称《ロースハウス》(1911)は、ファサードが簡素すぎて醜悪きわまりないと、当局から差し止めを食らう。晩年の《モラー邸》(1928)、《ミュラー邸》(1930)の白いキュービックのそっけないほど簡素なファサードは、MOMAがインターナショナル・スタイルと呼んで普及させたモダニズム建築の原型のような建物だ(★1)。
(*Looshous photo by Andrew Moore)
ロースの先行性、先見性を生んだものはなにか。それは当時のウィーンが属していたオーストリア=ハンガリー二重帝国の後進性であった。
オーストリア=ハンガリー二重帝国の起源は、962年に成立した神聖ローマ帝国にある。15世紀以降、帝位を世襲してきたのがハプスブルグ家である。その後、ハプスブルグ家はスペイン王国も統治し、ヨーロッパ最高の家系といわれた。三十年戦争、ナポレオン戦争を経て、ドイツは、プロシアやオーストリアなどに分裂するが、ハプスブルグ家は1806年にナポレオンによって解体されるまで神聖ローマ帝国王として留まっている。
その後、ドイツではビスマルクのプロシアが、オーストリア以外の地域をドイツ帝国として統一し、勢力を拡大する。1866年の普墺戦争に敗北したオーストリアは、国内のスラブ民族の独立機運を押さえ込むために、ハンガリーに自治を与えながら、オーストリア皇帝であるハプスブルグ家がその王位を兼ねるという、ねじれた体制のオーストリア=ハンガリー二重帝国が成立する。
フランスやイギリスはもちろん、同じ領内のドイツが近代国家として実力をつけていくなかで、近代国家としての内実がともなわず、過去の絶対王政の残光と名門貴族社会のプライドという前近代的なメンタリティが色濃く残る当時のウィーンは、一言でいうと、現実逃避の耽美主義に沈潜する社会だった。
そうした当時のウィーンを、ロースはポチョムキンの村と同じであると皮肉っている(「ポチョムキンの都市」、1898年)。
ポチョムキンの村とはロシアの女帝エカテリーナがクリミアの地に行幸した際、かの地出身の宰相のポチョムキンは、実際はみすぼらしい寒村にすぎない村を、幸福そうな農村の風景を書割にして飾り、繁栄をアピールしたという逸話だ。
「リングシュトラーセをブラブラ散歩する時、私はいつも思うのだが、現代にもポチョムキンが存在し、ウィーンを訪れる人達に、なにもかもが気高いもので満ち満ちている都市に来ているようだと思い込ませようと、この男が企んでいるのではないかといった気がする」
帝国の威光を示すウィーン大改造として、中世の城壁を撤去して作られたリングシュトラーセとその両側を埋め尽くした、ギリシア、ローマ、バロック、ゴシック、ルネッサンスとあらゆる様式が混在した、なんでもありの意匠の建物群を、ロースは「ポチョムキンの都市」と呼んで揶揄したのだった。
(*Haus Moller,source :http://farm4.staticflickr.com/3139/3032115008_3cdab3aaa2_z.jpg)
ロースは23歳(1893年)のときイギリス経由でアメリカに渡り、シカゴの万国博覧会を見学し、ニューヨークで自活している。19世紀後以降、アメリカの工業生産は急速に拡大し、19世紀終わりには、イギリスを追い抜いて世界一となった。ロースはめざましく発展する共和主義の新しい社会を目の当たりにする。
そんなアメリカから帰国した26歳のロースの目には、当時のオーストリア=ハンガリー二重帝国の首都は、時代から取り残された世界の<辺境の地>として映ったはずである。
「時代にあった手工業を、そして時代にあった日用品を求めるなら方法はひとつ。建築家を毒殺せよ」、装飾を喜ぶのは一部の非文化人であり「非文化人とは建築家のことである」
(*Muller house,sorce :http://youhavebeenheresometime.blogspot.jp/2011/07/villa-muller-adolf-loos.html)
ロースの先見性とは、<辺境の地>に置かれた鋭敏な感受性だけが先行して見えていた時代精神であり、その過激さ、先鋭さは、<辺境の地>に生まれた者だけが感じる屈折に由来する不機嫌さの現れだった。
シンプルは中心からは生まれない。シンプルは<辺境の地>から誕生した。<辺境の地>の感受性と不機嫌さが創造した。建築とファッションにおけるアドルフ・ロースという《シンプルの系譜》はそう教えてくれる。
(★1)ロースが設計した住宅の内部は、そっけないぐらいに無装飾な外観とは一転した、濃密な素材感と三次元の空間感が充満するセンシュアル(肉感的、官能的)な閉鎖空間である。内と外を通底させたコルビュジエの「吹っ切れた」印象の空間とは大きく異なる。外から守るべき人間の内面性や精神性の存在をあくまで信じるロースの「吹っ切れなさ」ともいえるが、このロースの内部空間の特異性もファッション論として読み解けるかもしれない。ファッションにおけるシンプルやミニマルは、身体性の意図的な隠蔽として機能しているといえるからだ。いずれにしても、一筋縄ではいかない、ロースおよびロースを取り巻く都市ウィーンの空気が伺える。
参考文献:
アドルフ・ロース 『にもかかわらず』(鈴木了司ニ・中谷礼人監修、加藤淳訳、みずず書房、2015)
アドルフ・ロース 『装飾と犯罪』(伊藤哲夫訳、中央公論美術出版、2005年)
川向正人 『アドルフ・ロース』(住まいの図書館出版局、1978年第一刷)
ビアトリス・コロミーナ 『マスメディアとしての近代建築』 アドルフ・ロースとル・コルビュジエ(松畑強訳、1996年)
S.トゥールミン+A.ジェニク 『ウィトゲンシュタインのウィーン』(藤村龍雄訳、平凡社ライブラリー、2001初版)
*初出 zeitgeist site
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