徒花(あだばな)と語られることが多いバブルだが、バブルが日本にもたらしたものの一つにインテリアの洗練と成熟がある。
70年代以降、コンスタントに拡大してきた国内の家具の売上は、バブル崩壊直後の1991年をピークに減少傾向に転じ、最近の市場規模はピーク時の半分どころか1/3にまで落ち込んでいる。
一方で家具の輸入は着実に増えている。例えばEUからの家具の輸入金額は、90年代初頭のバブルの崩壊による落ち込みや2008年のリーマンショックの影響による激減などの変動を経ながらも、トレンドとしては右肩上がりが続いている。家具市場全体が縮小しているのとは対照的に、バブル崩壊後もヨーロッパの家具への需要が確実に高まっていることが見て取れる。
長い歴史を経てモダンライフへと至ったヨーロッパの家具への注目を、インテリアの洗練や成熟を象徴する一つの指標として考えた場合、日本のインテリアはバブルを契機として確実に洗練され成熟したといえる。
1980年代まで、インテリア雑誌は片手で数えるほどしかなかった。しかもその多くはプロ向けの情報が中心だったり、住宅建築に重きを置いたものだった。
現在の人気インテリア雑誌が生まれ、インテリア関連の雑誌の数が増加するのもバブル崩壊後の1990年代だ。
「カーサ・ブルータス」(1989年にBRUTUS増刊として創刊。2000年に定期化)、「エル・デコ」(1992年創刊)、「モダンリビング」(1951年創刊の老舗住宅雑誌が2000年代初頭にリニューアル)などが生まれ、新たな雑誌も加わり、今、インテリア雑誌の数は少なく見積もっても10誌は下らないだろう。
いずれも、単なる商品情報やショップ情報の提供だけに終わらない、ビジュアルに訴える誌面作り、グローバルとローカルの双方への目くばせ、商品単体ではなくスタイルを重視した切り口、アートやファッションや食など暮らし全般への関心など、高感度で、商品知識を身につけた、経験豊富なターゲットを意識した編集が行われている。
市場規模が縮小するなか、情報のクォリティが上がり、深化が進むメディアへの共感は、まぎれもなく洗練や成熟と呼ぶのがふさわしい状況といえる。
日本のおいても店舗やオフィス関連のインテリアは、それなりに充実をみせていた。例えば、モダンデザインの源流の一つであるバウハウスの流れをくむKnoll(ノールあるいはノル)は西武百貨店の事業部として1964年から国内展開していたし、例えば、倉俣史郎による前衛的な家具デザインや研ぎ澄まされたショップインテリアは、内外で称賛されていた。
遅れていたのが住宅のインテリアだった。個人が家具を購入するのは、近くの家具店かホームセンターかせいぜい百貨店の家具売り場だった。百貨店の家具売り場とはいっても、おおかたは平場に家具を並べただけの地味で活気のない閑散とした場所だった。
90年代にインテリアの洗練と成熟が起こった背景には、バブルを通じた消費者のさまざまな体験があった。字義どおり<バブルの洗礼>と呼べる体験だった。
日本におけるモダン・ファニチャーは、1970年代に萌芽し80年代に広がりを見せてゆく。
1969年にアルフレックス・ジャパンが創業、1975年に現カッシーナ・イクスシーの前身インターデコール・ショールームが設立される。青山5丁目のVANの2Fにあったアルフレックスのショールームは、ルーム展開と呼ばれるライフスタイル提案型の先駆けだった。
1979年、西武百貨店は池袋店に「スタジオカーサ」を設け、複数のモデルルームによる展示、家具、インテリアコーディネート、設計、工事をインテグレートした展開などにより、面白みのない百貨店の家具売場のイメージを一新する。
1981年、アルフレックス(そして同社が日本での販売権を持っていたB&B ITALIA)とカッシーナは、そろって六本木に新たにオープンした複合デザインビルAXISに大型ショールームを開設し、売り上げを伸ばしていく。
F.O.B COOP(1981年開店)やイデーショップ青山(1985年開店)など、個人の目利きを売りにしたインポート家具や雑貨の専門店がオープンするのも1980年代である。無印良品の直営店が青山にできたのも1983年だった。
70年代・80年代のこうした動きがすべて順調だったとは限らない。
テレンス・コンランが、フランス仕込みの陽気さと明るさと楽しさを持ち込んで、陰気で堅苦しい1960年代のイギリスにライフスタイル革命をもたらすきっかけとなったのがチェルシーのフルハム・ロードにオープンしたhabitat(ハビタ)だった。モダンでカジュアルで高品質。ハビタの新しさはビートルズの登場が音楽を変え、ツイッギーのミニスカートが女性ファッションを変えたように、イギリスのライフスタイルに変革をもたらす。チェルシーはその後のスゥインギン・ロンドンとよばれるストリート・カルチャー・ムーブメントの中心となっていく。
西武百貨店はテレンス・コンランのハビタと提携しハビタ・ジャパンを設立。1982年、池袋西武ハビタ館をオープンする。
専門筋からは大いに注目を集める一方で、当初から売上は芳しくなく、1984年に販売したヴィルセゾン小手指(所沢)というマンションで、モデルルームの1つをハビタの家具でコーディネートしたことがあったが、テレンス・コンランもハビタも、ましてやイギリスにおけるライフスタイル革命など、ピンとくるような人は誰もいなかった。
ハビタはgood design at good priceをコンセプトとしていたが、日本ではgood designを広く普及させるには早すぎたし、1ドル250円の為替レートではgood priceを実現することも困難だった。
小文字だけのスマートなhabitatのロゴは今見てもなかなかなgood designだ。池袋西武ハビタ館はバブルの崩壊を待たずに早々と閉館する。
その後のバブルは土地・株などの資産インフレ、住宅価格の高騰など通じて、新たな高級・高額需要を生み出し、さまざまなマーケットに思ってもみなかった恩恵を与えた。そしてバブルの崩壊は、そうした泡のような需要が雲散し、いつしかそれを当たり前のように思うようになっていた多くの企業に大きな痛手をもたらす結果となった。
同時にバブルによる資産インフレとバブル時代に定着した1ドル120円という価値を倍増させた強い円は、消費者に今までにない消費体験をもたらした。
それまで目にすることがなかったレアな商品やマイナーな情報が店頭に並ぶようになり、手の届かなかった高級品・高品質商品が日常生活に入り込み、当たり前となった海外旅行が束の間とはいえ垣間見させた彼の地のライフスタイルへの羨望を倍加させた。
90年代の洗練と成熟はそうした<バブルの洗礼>の結果といえる。アルフレックスは不動産事業での痛手を乗り越え、カッシーナはユニマットの資本参加で上場を果たし、目黒通りはアンティーク・ファニチャのメッカとなり、コンラン卿のコンセプトは、1994年に開店したコンランショップにおいて、ようやく消費者に大いなる共感をもって迎えられる。
インテリア以上に洗練と成熟の様相を見せたのが、食や衣のマーケットであり、1980年代から徐々に注目され、1990年代にかけての爆発的に普及したイタリア料理、1990年代後半から知られはじめ、2000年代に人気を集めたクラシコイタリアなど、いずれのブームも<バブルの洗礼>としての消費体験がベースになっていた。
今の日本市場の洗練と成熟は<バブルの洗礼>によってもたらされたことを忘れてはならない。
(★)トップ画像はベルサイユ宮殿の一画にあるプティ・トリアノンの室内。プティ・トリアノンは、ルイ15世の愛妾ポンパドール夫人のために建てられたが、婦人は完成前に死去。その後ルイ16世妃のマリー・アントワネットが好んで過ごす場所となった。インテリアは同妃により改装されたもので、ロココ・スタイルの傑作と言われている。18世紀のフランスのルイ王朝時代は、今日につながる個人のプライベートな時間やくつろぎが尊ばれはじめた時代であり、パーソナルな居心地を重視した家具が登場するなど、その後のモダン・ファニチャーが生まれる発端となった。
*初出:東京カンテイ<マンションライブラリー>
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