日本の街並みを作っているのは、建築家とは無縁のなかでつくられる、ごく普通の住宅です。
松村秀一『「住宅」という考え方 20世紀的住宅の系譜』(東京大学出版会1999年)は、建築専門誌で取り上げられる「英雄的な」建築家住宅や住宅専門誌に登場する華々しい住宅とは無縁の、しかしながら市場の大半を占め、日本の住宅地の風景をつくり、住宅文化を担ってきた、いわば無署名の住宅を丹念に追ったものです。
「住宅」とは、「家でも、棲家でも、町でも、村でもない」、まさに20世紀が生んだ産物。「住宅」という考え方を探ることは、近代(20世紀)という時代を探ることと同義であり、それはとりもなおさず、私たちの現在の住まいや暮らしのルーツを探ることにほかなりません。
著者は、建築学の研究者であり、狭義の意味では建築家とは言えないかもしれませんが、住宅の構法や生産の専門家が紐解く「住宅」は、私たちが当たり前だと思っている住宅のイメージを覆し、興味が尽きません。
著者とともに、近代という時代とその産物である「住宅」を覗いてみましょう。
「住宅」が生まれた発端になったのが植民地経営だった。この刺激的な見解で本書は幕を開けます。
「産業革命後の爆発的な人口増加の圧力は、未開の大地を居住地に変えることを世界中のさまざまな場所で強いた」
住宅の伝統や技術や作り手や材料などが存在しない土地で住宅をつくるにはどうすればよいのか。そこで考案されたのが「プレファブリケーション」や「パタン・ブック」を通じた本国による「後方支援」という考え方でした。
「プレファブリケーション」とはあらかじめ製作することの意味であり、専門的な技能を要せずに簡易な方法で組み立てられるようにあらかじめ加工を施した部品を用意する方法です。
アメリカを植民していたイギリスは、遅くとも1624年にはすでにプレファブ住宅をアメリカに輸入していたとされています。当初はイギリスからの輸入が主流だったものが人口増や国家独立によって国内の生産基盤が整い、徐々にアメリカ国内での生産が可能になり、1830年代には、現在のツーバイフォー構法(2×4工法)の原点となった「バルーン・フレーム構法」と呼ばれる、専門家でなくても容易に家を作ることができるパネル式組み立て住宅が考案されています。
「プレファブリケーション」とあわせて住宅の伝統がない土地で大きな役割を担ったのが、「パタン・ブック」と呼ばれる出版物です。当初は住宅づくりの技術的なノウハウを伝える出版物でしたが、徐々に、住宅のデザインを考える際の参考書的な役割に変化し、さまざまな外観デザインや流行のスタイルを紹介することで、文化の地から遠く離れた人びとの夢と希望と欲望を刺激するメディアとなっていきます。19世紀に入ると、婦人向け雑誌がこうした役割を担うようになり、フランク・ロイド・ライトなどの有名建築家の住宅プランを広く紹介したことで知られるLadies’ Home Journal紙の出版部数は1903年には100万部を超えていたといわれています。
■The Ladies Home Journal Aug 1908, photo by Boston Public Library - The summer porch number of the Ladies' home journal/ CC BY 2.0
未開の地の植民のための後方支援から生まれたという「住宅」は、同時にその当初から、メディアを通じて人びとの夢や希望や欲望を膨らませる存在でもあったのでした。
一般に住宅に対応するとされるHousingという言葉には、家や住まい(HouseやHome)という意味のほかに、「住宅の供給」という意味があります。都市計画が、産業革命後の劣悪な都市環境を改善しようとする衛生概念から生まれたのと同様に、住宅という言葉には、住まいに困窮する労働者のための住宅の供給ということが含意されている言葉です。
そのための課題が住宅の量産化でした。二つの世界大戦の後で世界は深刻な住宅不足に直面していました。当時、さまざまな方法で量産化の試みにチャレンジしたのがモダニズムの建築家たちでした。貴族的社会や因習的権威との決別を宣言して登場したモダニズム建築において、市民のための住宅供給とそのための量産化の実現は、真っ先に取り組むべきテーマでした。
本書では、こうしたモダニズム建築の巨匠たちが追い求めた住宅量産の夢が紹介されています。
バウハウスの創始者ヴァルター・グロピウスによる、今日の日本の戸建て住宅では当たり前になった乾式組立構法のルーツともいえる《トロッケン・モンタージュ・バウ》への取り組み、ル・コルビュジエによるコンクリートという新素材を使ったRC造の原理を可視化した《ドミノ・システム》、ジャン・プルーヴェによる職人技によって作り上げれられた、今日のプレファブ住宅の原点のような《ムードンの住宅》、コルビュジエの下で《最小限住宅》を担当していた前川國男が設計にかかわった、戦後日本における量産化住宅のはしりとなった木造パネル構法《プレモス》などが語られます。
こうした試みが基礎になり、今日の住宅産業がかたちづくられていきます。その過程は、住まいが産業化し市場の商品になっていく過程でもありました。
プレファブ化×量産化によって当初、期待されていたようなコスト低減は日本では起こりませんでした。その最大の要因は、ローコストよりも間取りや仕様の自由度を求める、注文住宅方式に慣れ親しんだ日本の消費者にありました。ローコストの代わり人気を集めたのが、マーケティングに基く外観デザインや間取り、さまざまな生活提案と仕様などを盛り込んだ、いわゆる商品化住宅でした。
1980年代に入り、商品化住宅は、巧みな広告コピーとイメージ戦略で市場を席捲します。商品をわかりやすく伝えるためのはずのコピーやネーミングやビジュルが、それ自体で価値を持ち、逆に住宅を決定づけていく。状況は商品化住宅に限らずマンションの世界でも同様でした。本末転倒ともいうべき、こうした状況を著者は「コピーライターの住宅」と呼び、以下のような違和感を表明します。
「現代の住宅づくりは住み手の手が届かないところで管理されすぎているという感じ方がある。市場の読心術とでもいうべきマーケティング、そして消費意欲を刺激する商品の企画・デザインという手順で提供される住宅のあり方には、たとえ居住後の満足度が高いとしても、どこかちがうのではないかという異和感(ママ)が残る」
メディアが刺激する住宅の夢と希望と欲望。「住宅」の本質は、冒頭に見た植民のための後方支援の時代から、なにも変わっていないようにもみえます。
■Photo by edward stojakovic - Eames House/ CC BY 2.0
「長い間住宅は、それぞれの地域の自然から採取できる材料を加工して、それらを適材適所に組み合わせることでつくられてきた。当然ながら、地域ごとに入手できる材料が異なり、対処すべき気候条件も違う以上、でき上がる住宅は地域ごとに個性が存在する。昔ながらの民家が「ヴァナキュラー(方言)建築」と呼ばれる由縁である」
近代以降の「住宅」とは、土地ごとの風土や生活や個性という地域差を無化させながら、市場やメディアを介して、標準的で合理的な器としての住宅を供給するシステムのことを意味していたのでした。
こうした近代以降の「住宅」を取り巻く状況に風穴を開ける試みとして建築家石山修武の一連の「インダストリアライズド・ヴァナキュラー」による取り組みが紹介されています。
「インダストリアライズド・ヴァナキュラー」とは、現在、広く流通している工業製品を選択し組み合わせることによってセルフ・ビルドで住宅を建てるという、いわば産業化社会を逆手に取った民家的方法のことです。
その先駆的な例が、チャールズ&レイ・イームズ夫妻がロサンゼルスに作った《イームズ邸》(1949年)です。”Off-the-Shelf Parts”と呼ばれる既製品の建材を組み合わせて作られた画期的な住宅です。
住み手が自由に住宅建設(あるいはリフォーム)に必要な建材を購入し、施工するという「インダストリアライズド・ヴァナキュラー」に最も近い仕組みが成立しているのもアメリカです。住宅建材ならなんでもそろうDIY向けのホームセンターがそれを支えています。
「すくなくとも住宅スケールの建築は素人でも建てられるし、そうあるべきはないのか。その方が安価で、良く、自由で、面白いものができる」(石山修武『「秋葉原」感覚で住宅を考える』)
住宅がすっかり市場の商品となってしまっている日本において、30年以上前のこの言葉が、今なお新鮮に響きます。
村松秀一(1957-)
東京大学工学部建築学科卒業、同大学大学院博士課程修了。現在、東京大学大学院工学系研究科建築学専攻教授。専門は建築構法。主な著書として『工業化住宅・考』、『「住宅ができる世界」のしくみ』。
*初出 : houzz site
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