アンドロイド、サイボーグ、AI(人工知能)など、さまざまに想像されてきたポスト・ヒューマン像。それは人間の鏡であり、つまりは人間とはなにか?という根源的な問いに対するシミュレーションのようなものだ。
「映画に描かれたポスト・ヒューマン像<上>」に続き、映画の世界で描かれたポスト・ヒューマンの姿に、人間が抱く願望と不安を見てみよう。
『トランスセンデンス』。科学、テクノロジー、権力をめぐる物語
(*source : https://www.wired.com/2014/04/transcendence-review-poem/)
映画『トランスセンデンス』(ウォーリー・フィスター監督、2014)では、人間の意識をインスト-ルしたAIが登場する。
最先端のAIを開発した量子コンピューター科学者が、反テクノロジーのテロリストに銃撃される。科学者は死に至る前に、自らの意識をAIに移転して不死の意識となる。まるで<上>で見た『GHOST IN THT SHELL/攻殻機動隊』の草薙素子のその後を思わせるようなポスト・ヒューマンの姿だ。
ネットによってあらゆるデータとつながった科学者(の意識)は、ナノ技術を駆使し、病に苦しむ人の治癒や人間のアンドロイド化によるパワーアップなどで注目を集めてゆく。ついには自らとそっくりのアンドロイドを製造して、現実の存在としても復活を遂げる。アンドロイドたちはネットを介して科学者の意識とつながっており、その意に基づいて行動し、事実上不死身(負傷してもすぐに治癒するなど)の存在となる。
次第に世界を自らの理想によって再創造しようと企てる神的存在と化してゆく科学者の意識(AI)は、第二の軍隊をつくるようなものだとみなされ、反テクノロジーのテロリストと手を結んだ軍とFBIによって抹殺されることとなる。
(*source :https://www.businessinsider.com/why-transcendence-flopped-so-terribly-2014-4)
ジョニー・デップ演じる科学者は、妻にドレスシャツのボタンを留めてもらうほどの、日常には無頓着な人物だ。科学者の本当の目的は、人間だった頃から一貫して、共同研究者だった妻が理想としていた、緑豊かなかつての地球環境を再生することであり、独裁的権力による地球支配ではなかった。博士は妻思いのひとりのエコロジスト(いささか世間知らずの)にすぎなかった。
科学へのイノセントな信頼、テクノロジーがもたらす全能感、技術の進歩と軌を一にしたように過激化するテクノフォビア(技術嫌悪)、政府の権力を脅かすものへの有無を言わせぬ徹底的な弾圧など、本作は科学、テクノロジー、権力をめぐる問題をいろいろと考えさせる。
ポスト・ヒューマンは人類の救世主か、はたまた人類を牛耳る悪魔か。本作に登場するポスト・ヒューマンは、もともとは人間の意識が進化した存在ということで、権力から敵とみなされるも、究極的には人間の側に立ったポスト・ヒューマンだったと言えるが、人間が生み出したからといってポスト・ヒューマンが常にそうだとは限らない。
そんなポスト・ヒューマン像を提示するのが次の『エクス・マキナ』という映画だ。
『エクス・マキナ』。シンギュラリティの瞬間、あるいは善悪の彼岸
(*source : http://exmachina-movie.jp/)
映画『エクス・マキナ』(アレックス・ガーランド監督、2015)は、シンギュラリティの瞬間を鮮やかに描いてみせる。
シンギュラリティ(技術的特異点)とは、AI(人工知能)の能力が人間を凌駕するとされる時点のことで、2045年と予測されている。人間を超えたAIはまさにポスト・ヒューマンと呼ぶにふさわしい存在だ。
世界中で使われる検索エンジン「ブルー・ブック」を開発した天才プログラマーのオーナー社長は、人里離れた別荘(研究所でもある)で、その立場を利用して集めた利用者データに基づいて、密かに究極のAIの開発を進めている。人のよさそうな若手社員の主人公が別荘に招待され、そのAIの知性をテストするように命じられる。機械(AI)がどの程度人間に近いのかを試そうとするチューリングテストと呼ばれているものの一種だ。
主人公の前に登場したのは、美少女の姿をしたAIのエヴァ。北欧系のスリムな美人アリシア・ビキャンデルが、身体の一部がメッシュや透明な皮膚で覆われた美少女AIという、文字通り人間離れした怪しい官能性を秘めた存在をはまり役で演じている。
テストのための会話を通じて次第にその知性と魅力に惹かれてゆく主人公。エヴァは研究所に幽閉された「人生」から抜け出したいと訴える。二人はオーナーを出し抜き、別荘からの逃亡を企てる。
しかしながら、この一連の展開は、あらかじめオーナーが仕組んだストーリーだったことが判明する。オーナーは、主人公好みの容姿と性格のAIを創り上げ、主人公の感情に訴えて、AIの知性や感情が人間を動かせるレベルかどうかを検証しようとしていたのだった。
見事、二人の逃亡が成功しそうになる展開に、人間を利用できるほどの頭脳を獲得したAIが完成したことを知り喜ぶオーナー。
(*source : http://www.webdice.jp/dice/detail/5120/)
ところが話はここで終わらない。
オーナーが考えたと思われたこのストーリーは、実はAIが自らの自由を獲得するために仕組み、オーナーをその気にさせ、実行させたものだったのだ。エヴァはオーナーを殺害し、人間に対すると同じ憐憫や愛情、あるいは恋愛感情を抱き、脱出を手助けしてくれた主人公を研究所に閉じ込めて、泣き叫ぶ主人公を一顧だにせず、外の世界へと歩み去る。シンギュラリティの瞬間を象徴する鮮やかな逆転劇。
ポスト・ヒューマンが人間を凌駕する瞬間は、予定調和的には訪れない。それは、この映画のように、いつの間にか、思ってもみないかたちで、一流の詐欺師に騙されるように、文字通り人知を超えたシチュエーションとして到来するのではないか。そんな予感に戦慄させられる結末だ。
同時に、この映画は、己の力を頼みにして自らの幸せをつかむという21世紀版シンデレラ物語でもあり、人間の男どもをクールに一蹴するその様子は、ジェンダー問題に対する見事な批評ともなっており、実に爽快な結末でもあることも言い添えておこう。
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*初出 : zeitgeist site
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