アルヴァ・アアルト Alvar Aaltoは、合理性や機能に軸足を置きながら、人間味が感じられる建築や家具やプロダクトなど、独自のモダンデザインを生んだフィンランドの巨匠建築家だ。
曲げ木を使ったシンプルな《スツール60》や独特の曲線ガラスで作られた花器《アアルト・ベース》など、アアルトがデザインしたプロダクトは、日本の公私の場でもよく見かけ、これらは日本で最も親しまれている北欧モダンデザインと言えるだろう。
「日本の工芸品や人生への姿勢がどうしてフィンランドのそれとよく似ているのか不思議である」との同じフィンランドのデザイナー カイ・フランク Kaj Franckの言葉のように、アアルトをはじめとする北欧デザインの持つシンプルさと温かさは、日本の感性との親和性も感じさせる(過去記事「シンプルの系譜<5>」参照。)
国際巡回展「アルヴァ・アアルト展-もうひつの自然-」(2019.2.16-4.14 @東京ステーションギャラリー)を観ながら、モダニズムのなかに人間らしさを追求したアルヴァ・アアルトの<アナザー・モダニズム>の源流を探ってみる。
近代建築の教科書と呼ばれている『空間 時間 建築』(1941年)でジークフリード・ギーデオンは、近代建築を代表する建築家として、ヴァルター・グロピウス(1883-1969)、ル・コルビュジエ(1887-1965)、ミース・ファンデル・ローエ(1886-1969)のモダニズムの創始者の3人とともにアルヴァ・アアルト(1898-1976)の名を挙げている。
アアルトはモダニズム創始者の3巨匠に比べ約10歳強年下にあたる。
「最も重要な好条件は、彼の仕事開始時期がフィンランドの独立とほぼ同じ時期だったことである(中略)アールトはちょうどよい時期に、ちょうど良い国に生まれたのである」、「アールトを近代建築の他の多くの先駆者と比較するならば、歴史的環境が彼に有利に働いたのだということができよう」とアアルトの伝記を書いた、友人でもあったヨーラン・シルツは記している(ヨーラン・シルツ編 『アルヴァー・アールト エッセイとスケッチ』 吉崎恵子訳 鹿島出版会 2009)。
アアルトが生まれたフィンランドは、西をスウェーデン、東をロシア連邦に隣接し、絶えずこの二国からの侵略と支配を受けてきた。スウェーデンによる長い支配の後、ナポレオン戦争以降はロシアの支配下にあった。1917年にロシア革命の混乱に乗じて独立を果たすも、両国との領土紛争が絶えなかった。アアルトの代表作のひとつ《ヴィープリ(ヴィーボルク)の図書館》がある都市ヴィープリは、この時期にロシア領となり、現在もそのままだ。第二次大戦ではソ連との関係から枢軸国側となったが、終戦間際に対ソ和解のために同盟国だったドイツとの戦闘(ラップランド戦争)に踏み切るなど、大国に挟まれた小国ゆえの複雑な歩みを辿っている。敗戦後も独立は保たれたが、資本主義国でありながら、NATOやECには非加盟という、ソ連の影響が色濃く残る、東西バランスを意識したかじ取りの時代が続いた。完全に西側になったのは1991年のソ連崩壊後だ。
シルツがいう「好条件」とは、バウハウスを通じてモダニズムムーブメントを先導しながら、結局、祖国を追われアメリカに亡命を余儀なくされたグロピウスやミース、国際的な評価ほど祖国フランスとの関係を上手く結べなかったコルビュジエなどモダニズムの先達者たちに比べ、アアルトはキャリアの初期から公共建築を手がけ、その後も祖国を代表する建築家として活躍できた「歴史的環境」を指している。
この「歴史的環境」は、数百年の他国支配から独立した小さな若い共和国の誕生に立ち会った同じく若い建築家が、新しい社会を志向する若きモダニストとして生きるきっかけにもなったことは想像に難くない。
アアルトは1929年のCIAM第2会議に招かれ、ギーデオンやグロピウスやコルビュジエらと知己になり、終身会員にも選ばれいる。ひと世代上のモダニズムの創始者たちとの交流がアアルトのモダニストとしての信念をさらに強固にしたことは間違いない。アアルトは、それまでの古典主義的な趣が残る作風を一掃して、初期の傑作《パイミオのサナトリウム》(1933)が誕生する。
(* Paimio Sanatorium , photo by Leon-Paimio Sanatorium / CC-BY2.0 )
語ることを滅多にしなかったアアルトだが、前掲書では「小さな人間」と「小さな国」との言葉で、自らの信念と矜持を語っている。
「現代の機械文明のなかで「小さな人間」をどうして保護できよう?」、「フィンランドのような小さな国は(中略)製品の「小さな人間」に対する適合性を試す場としての可能性が考えられる」、「小さな国を、人間の身近な環境や生活様式、そしてそれらに関係する文化形態のための研究所にすることは可能に違いない」。
「小さな人間」とは近代社会がもたらした、機械化、工業化、大量生産、都市化のなかで生きることを余儀なくされた寄る辺ない人間のことだ。そして「小さな国」とは、ヨーロッパ諸国のような「帝国主義的ではない」、そしてさらに、アメリカやソ連のような「大量生産の中心地」でもはない、祖国フィンランドの立ち位置のことだ。
同時に「小さな人間」、「小さな国」という言葉には、大国に翻弄されてきたフィンランドとその国民の思いも重なっていたはずだ。
「小さな国」が「小さな人間」のためのモダニズムの巨匠を生んだ。
アアルトが建築家としてのキャリアをスタートさせた1920年代は、フィンランドをはじめとする北欧で本格的な工業化が始まった時代だった。
人間的モダニズムを目指すアアルトは、建築の目的は「物質の世界を人間生活と調和させることである」、「創造と各々の技術的現象を、調和ある人間生活を人間のためにつくり出すように結合させることによって達成されるのである」と述べ、合理主義、機能主義、技術を「人間化」しなければならないと繰り返し主張している(前掲書)。
アアルト展では、《バイミオのサナトリウム》の部屋が再現されている。若きアアルトは、病床で横になっていることが多い患者にとって、なるべくストレスを感じないで日々を過ごせるように、きめ細かい数々の配慮を創案している。
例えば、天井や家具や壁の色彩を吟味し、光源が直接目に入らない照明を考案し、ベッドから見える窓の位置を調整し、暖房の熱が直接患者の頭に当たらないように工夫し、今で言うところのバリアフリーの取っ手を開発し、洗面台は隣で寝ている人の邪魔にならないように蛇口の水が鋭角に当たるようにして音を立てない設計とするなど、アアルトのいう「人間化」の実践を垣間見ることができる。
(* Armchair 41 Paimio , photo by Ilkka Jukarainen-IMG_0278/CC BY 2.0)
優雅なカーブを描く木の座面と曲げ木のアームを組み合わせた斬新なイメージの《アームチェア41パイミオ》と名づけられた有名なチェアは、《バイミオのサナトリウム》のロビーの家具のひとつして開発されたものだ。
《スツール60》などのアアルトの家具で使われる曲げ木のサンプルが展示されていた。無垢のバーチ材に長さ20センチほどの5本の薄いスリットを入れ、その中にベニヤを差し込んで接着・積層させることによって、厚みのある無垢材を曲げられるようにしたアアルトが最初に特許を取った技術(L-レッグ)だ。
国土の2/3を占めと言われるフンランドの森から切り出した美しいバーチ材に、曲げ加工可能な可塑性と同時に家具部材としての強度と耐久性を付与し、この技術を元にして、それまでのモダニズムの発想にはなかった、金属に代わる木の温もりを持ったモダンファニチャーが生まれた。
この小さなサンプルは、合理性と人間性を両立させようとしたアルヴァ・アアルトの<アナザー・モダニズム>を象徴している。
*初出 : zeitgeist site
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