バブル時代は、意外にも東京があまり変わらなかった時期だ。商業地の地上げなどが話題になったものの、高騰を続ける地価は、開発の手をウォーターフロントなど新天地に押しやり、それらの壮大な計画の多くも、結局はバブルの崩壊により頓挫し塩漬けされて終わってしまった。
東京が大きく変貌したのは、明治維新、関東大震災、戦災、東京オリンピック(1964年)を挟む1960年代の高度経済成長期、そして、バブルが崩壊した1990年代以降の、現在、進行中の30年間にわたる都心大開発時代である。
2020年の東京オリンピックに向けて、大きく変わりつつある東京を目の前にしながら、変わることをめぐる物語、映画『東京物語』(小津安二郎監督、松竹、1953年)を観かえしてみた。
『東京物語』は家族、親子、老いの物語だと言われている。こんな物語だ。
季節は夏、東京に住む子供家族に会うために周吉(笠智衆)ととみ(東山千栄子)の老夫婦が尾道から上京する。町医者の長男幸一(山村聰)、美容室を営む長女志げ(杉村春子)とも、日常の暮らしに忙しく、老いた両親の上京に迷惑気味で、老夫婦は居場所がない。そんななか、仕事を休み東京を案内し、自宅で歓待するなど老夫婦にやさしく接するのが次男の嫁紀子(原節子)。次男は8年前に戦死しているが、紀子は独り身で事務員をしてアパートで暮らしている。老父は旧友(東野英次郎、十朱久雄)らと、ままならぬ人生を嘆くも、自分たちは幸せな方だと自らを納得させて、老夫婦は尾道に帰る。その直後に母危篤の知らせが届き、家族は尾道で再会する。母の葬儀の後、父と末娘京子(香川京子)を尾道の実家に残し、家族は再び離散する。
帰京を急ぐ長男や葬儀の直後にさっそく形見を要求する長女らが、葬儀の晩にそそくさと東京へ戻るなか、ひとり紀子はしばらく尾道に滞在する。紀子が東京へ戻るという朝、周吉は感謝を表し、これからは次男のことは忘れて、いい人があれば結婚してくれと言葉をかける。
それに対して紀子は表情を曇らせて言う。
紀子 「あたくし、狡猾(ずる)いんです」
「狡猾(ずる)い」とはどういう意味だろう。
亡き夫を想って結婚しないようにみえて実は気持ちが揺れていること、亡き夫のことを既に忘れかけているのを表に出さないようにしていること、そして自分の本心に反しているのを知りながらも、それを正当化して生きてるために「できすぎた嫁」(梶村啓二)という役割を演じて自己欺瞞を続けていること。
『東京物語』は、変わることをめぐる物語である。
老夫婦は変わってしまった息子、娘を嘆く。
周吉 「でも、子供も大きうなると、変わるもんじやのう。志げも子供の時分はもつと優しい子ぢやつたぢじやにやあか」(中略)
とみ 「幸一も変わりやんしたよ。あの子ももっと優しい子でしたがのう・・・」
では変わらない「できすぎた嫁」とはなにか。
「できすぎた嫁」とは、ひとは変わってしまうことを知りながらも、変わってしまうことにひとり苦悩する孤独な人間のかぶった仮面だ。
紀子の「狡猾(ずる)いんです」という吐露に対して周吉は言う。
周吉 「ええんぢやよ。それで。 ―― やっぱりあんたはええ人ぢやよ、正直で・・・」
そして周吉は形見にと言ってとみの持ち物だった懐中時計を贈る。
周吉 「―― 妙なもんぢや・・・。自分が育てた子供より、いわば他人のあんたの方が、よつぽどわたしらにようしてくれた・・・。いやあ、ありがとう」
それを聞いた紀子は、顔を覆い、何ものからか逃れるように顔を横に向け、無言で泣き崩れる。
自らの自己欺瞞の後ろめたさ、一方で自らの自己欺瞞がいつの間にか老父母を慰藉していることに対する複雑な思い、それらを知ってか知らずか、すべてを受け入れている周吉の言葉、その陰にある周吉の孤独。
さながら完璧な演技のような、それでいてどこか痛々しさをも感じさせる笑顔に終始する「できすぎた嫁」を演じる紀子の姿に、変わることと変わらないことの間でひとり苦悩する孤独な人間の姿を発見し、観る者はこころを打たれる。
変わることに対する葛藤に苦しむ紀子、無常さのなかで恬淡として生きる周吉。孤独な二人のこころが一瞬交感するクライマックス。
周吉が紀子に贈る、とみが同じ年頃に持っていた懐中時計とは、いわば時の象徴だ。
映画『東京物語』とは、変わることをめぐる物語である。
時の流れとともに、幸一や志げや紀子らに変わることを強いているのが近代という時代であり、工業化、産業化、都市化、市場化、商品化として僕たちをを取り巻く資本制システムだ。
技術の進歩、商品の差異化、競争による効率化、都市化による集中など、変わることがドライブとなり、前へ前へと進む社会だ。
そんな、変わることを象徴する場所として描かれるのが東京だ。したがって『東京物語』は、同時に近代の物語であり、資本制システムをめぐる物語である。
『東京物語』には、いわゆる「東京」はあまり登場しない。
映画に登場する有名な「東京」はせいぜい、はとバスの窓から望む皇居や丸ビルや銀座4丁目の(服部時計店の)街角、遠景に望む国会議事堂ぐらいだ。堀切駅、銀座松屋の屋外階段、千住火力発電所のお化け煙突なども登場するが、さりげなく場所性を暗示する記号として登場するだけで、それに、それらの場所はいわゆる「東京」をイメージさせるとは決して言いがたい場所だ。
象徴的なシーンがある。尾道から出てきた老夫婦が行き場をなくし逍遥する上野の丘から東京都心を眺め、東京の大きさ、広さに感嘆するシーン。カメラは逆光の老夫婦の後ろ姿を捉えるばかりで、肝心の東京の景色は映さない。東京は抽象的な東京であることが暗示される。
映画に登場する抽象化された東京は、日本、そして世界において今なお支配的な近代というパラダイムと資本制システムの象徴なのだ。60年以上たった今も、映画『東京物語』が、オールタイムベストとして世界で賞賛される由縁である。
映画のなかで、変わるひと、変わる家族、変わる東京と対比されて描かれるのが尾道だ。だが僕たちは知っている。近代に組み込まれた場所は、変わらないことなどできないことを。
事実、尾道の変わりようが、この地出身の作家高橋源一郎による「東京物語2013 - 高橋源一郎に尾道に行く」(2014年1月14日 @GQwebsite)でレポートされている。
「30数年ぶりに尾道の駅頭に降り立った時、わたしには、そこがどこなのか一瞬わからなかった。記憶の中にある『尾道』はどこにもなかった。そこは、日本中のどこにでもある、老い衰えつつある中堅都市のひとつだった。祖父母もとうに亡くなり、わたしが毎年のように通っていた実家もなかった。建物も商店街もすべては装いを一新していて、わたしの知らない街並みが、そこにはあった」
『東京物語』は変わることを肯定も否定もしない。ただ、ひと、家族、都市の、避けがたく変わるさまを、移ろう夏とともに静かに見つめるだけだ。
常なるもののなき世だからこそ、変わることが避けがたいからこそ、ひとは変わることと変わらないことの葛藤に苦悩し、変わるからこそ変わらないものを愛おしく思い、時の流れに消える一瞬やありふれた日常こそが、はかなくも美しい。
変貌する東京の、多くの風景が消え去りつつあるなか、そう語りかける『東京物語』は、僕らにとって今なおリアルである。
(★)参考文献 : 『「東京物語」と小津安二郎』(梶村啓二、平凡社、2013年)
*初出 : 東京カンテイ「マンションライブラリー」
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