ライブラリーは、今やマンションの共用施設の定番のひとつと言っても良いアイテムです。
マンションの共用施設にライブラリーが設けられるようになったのは《センチュリー・パークタワー》(三井不動産、1999年竣工)あたりからでしょうか。
《センチュリー・パークタワー》の33・34階に設けられた共用施設のコンセプトは、マナー・ハウス(英国荘園領主の館)というものでした。そこに設けられたライブラリーもそうしたコンセプトにふさわしく、木のパネリングがなされた落ち着いた内装、木のテーブルに木の椅子、百科事典が並べられた本棚、静寂を守る木の扉と絨毯の床など、英国貴族のカントリーハウスにある図書室を模したようなイメージでした。
日本においてインテリアとしてのライブラリーが注目を集めたきっかけは、1994年、新宿に開業したホテル《パークハイアット東京》でした。
このホテルのライブラリーは、レセプションへと向かう廊下に併設されています。照明が仕込まれた本棚が動線と直行するように両側に置かれ、ゲストはこの本と光のレイヤーのなかを奥のプライベートゾーンへと導かれます。この斬新な空間構成が注目を集めました。
《パークハイアット東京》は、ライブラリーは部屋でなければならないという固定観念を崩し、ライブラリーがホテルのコンセプトを体現する重要なインテリアアイテムになることを証明してみせました。
インテリアデザインは香港ベースのアメリカ人デザイナーのジョン・モフォード。ジョン・モフォードは、以降、引退するまで《パークハイアット東京》のインテリアに携わりつづけました。
ライブラリーがインテリアに大きな影響を与えたと言えば、ニューヨークのホテル《ザ・マーサー》 The Mercerを忘れてはいけません。
《ザ・マーサー》は、SoHoの倉庫として使われていた19世紀の赤レンガの建物をリノベーションして、1998年にオープンした全75室のスモール・ラグジュアリー・ホテルです。
壁一面を天井までの本棚で埋め尽くしたライブラリーのあるロビーの写真が注目を集めました。ホテルというよりは、まるでモダンな私邸のリビングルームのような雰囲気が印象的でした。1階のラウンジでゲストが朝食をとったり、おしゃべりしたりできる、ヨーロッパによくあるこじんまりとしたホテルを思い出させます。
それまでの高級ホテルのロビーはと言うと、世界中どこに行っても、吹き抜けの空間、柄物の絨毯、高価なシャンデリアなど、時代がかっていて、ひたすら豪華で、非日常的な雰囲気でひとを圧倒するようなデザインを売りにしていましたが、《ザ・マーサー》はそれとはまったく異なる、シンプルで、私的で、親しみやすく、個人がたまり場としたくなるような居心地を創り出しました。
インテリアデザインは、フランス人のクリスチャン・リエーグル。先に手がけた1990年開業のパリの《ホテル・モンタランベール》 Hotel Montalembertが、ライターやフォトグラファーなどのクリエイティブな個人旅行者から話題になっていました。
こうしたホテルがきっかけとなり、空間に知的な雰囲気を創り出し、パーソナルな居心地を生み出すアイテムとして、ライブラリーが注目され、ショップ、飲食店、オフィス、マンションなどのインテリアにも広く取り入れられようになり、今やインテリアデザインにライブラリーを取り入れることはごく一般的になりました。
インテリアとしてのライブラリーへの注目は、なにも今に始まったわけではありません。
イギリスの貴族のカントリーハウスのライブラリーも、読書や執務のためというよりも、18世紀後半に貴族たちの間にも時代の潮流である啓蒙思想が広まり、書物を集める、書物を飾ることが流行になったことから生まれたと言われています。
書物との言葉どおり、紙の本は物理的なモノです。
装丁家の桂川潤は「装丁という仕事は、要はテクストに”身体性(物質性)”というコンテクスト与えていく作業」だと言っています。大きさ、重さ、紙質、タイポグラフィー、表紙、カバー、ページの余白、フォント、挿画、インクetc. 本はテクストであると同時に、モノとしてのさまざまな特性と関係性(コンテクスト)のなかに存在しています。
紙の本は、見た目や印象など視覚的要素以外に、持った時の手に感じる重みや指先に伝わる表紙の手触り、ページを開いた時の紙やインクの匂い、ページを繰る際の紙の摺れる音など、視覚、触覚、嗅覚、聴覚という、味覚以外の五感に訴える存在です。
19世紀の古書蒐集趣味を語った古典的名著と言われている、1881年に出版された『書斎』において、著者アンドルー・ラングは、愛書家にとって古書とは文学的<聖遺物>であり、「神聖かつ貴重な品物」であると述べています。
フランス古書の稀代の蒐集家である鹿島茂も「集めた本を読むわけがない」と題したエッセイでこう言っています。
「洋古書は装丁が価値の半分を占めるので、コレクターの中には、革細工の「工芸品」として愛でる人が多いからだ。つまり、本としての使用価値(読むことによって得られる知識や喜び)ではなく、交換価値(骨董としての価値)によって古書を集めるのである」。
古書趣味の愛書家の本への偏愛はちょっと極端だとしても、盲目になって本が読めなくなってからも本を買い続けたボルヘスも、「それでも、書物は間違いなくそこにあり、私は書物が放つ親しみの込もった重力のようなものを感じていました」とモノとしての本の魅力を語っています。
堀部篤史『コーヒーテーブル・ブックス』では、本と本が置かれた場所、実際に手にした時など、モノとしての本と空間や時間が混然となった、まさに紙の本ならでは魅力が語られます。
この本で語られるコーヒーテーブル・ブックとは「持っていたって役にはたたないけれど、書斎やリビングにおいてあるとちょっと嬉しい、そんなビジュアルブック」であり、「リビングでコーヒーや紅茶、冷えたビールを待ちながら分厚い本のページを手繰る訪問客のような気持ちになって」楽しんで欲しいと。著者は京都の書店 恵文社一乗堂店長(当時)だった人物です。
こうした紙の本が集まってできるのがライブラリーです。ライブラリーはモノとしての本が集まって生み出された物理的な空間です。
モノとしての本に囲まれて、ひとは思いがけない本と出会い、自然に手を伸ばし、しばしその感触とテクストに夢中になり、本から本へと逍遥します。ある時は一冊の本とともに我を忘れる時間を過ごします。ライブラリーはひとになにかを思索させ、ひとになにかを言いたい、書きたい気持ちにさせます。こうした作用は紙の本ならではであり、amazonのデータベースを眺めていても決して起こらないことです。
したがってインテリとしてライブラリーの魅力は、紙の本の、唯一最大ではないかもしれませんが、本質的な価値に由来したものだといえるでしょう。
個人の書斎、図書館、本屋、ブックカフェ、ホテルのライブラリー、マンションの共用施設のライブラリーetc. 本が集積した空間は、すべてライブラリーです。
「その宇宙(他の者たちがいうところの図書館)」というフレーズで、ボルヘスは『バベルの図書館』を書き始めました。
シリーズ<本に囲まれる>では、次回以降、そんな「宇宙」を訪ねます。
(★)参考文献 :
『本は物(モノ)である 装丁という仕事』 桂川潤 新曜社 2010年
『書斎』 アンドルー・ラング 生田耕作訳 白水社 1996年
『それでも古書を買いました』 鹿島茂 白水社 2003年
『語るボルヘス』 J・L・ボルヘス 木村榮一訳 岩波文庫 2017年
『コーヒーテーブル・ブックス』 堀部篤史 mill books 2007年
『伝奇集』 J・L・ボルヘス 鼓直訳 岩波文庫 2010年
(★)トップ画像 : パークハイアット東京ライブラリー photo by moore / CC BY SA-3.0
(★)2枚目の画像 : シャルル・ドジョルジュ作「若きアリトステレス」像 Charles Degeorge's statue La jeunesse d'Aristote photo by Rama / CC BY SA-2.0 fr
*初出 : 東京カンテイ「マンションライブラリー」
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