下の写真の椅子は、ミース・ファン・デル・ローエが、自身の設計した《トゥーゲントハット邸》のためにデザインしたダイニング・チェア。一般には《チューブラー・チェア》(1930)と呼ばれている(★)。
このスチールパイプのカンチレバー構造のチェアは、モダンファニチャーを代表するアイテムのひとつだ。カンチレバーとは、片側からの張り出しで重量を支える構造のことだ。
ミースは《チューブラー・チェア》に先だって、同じカンチレバー構造によるチェアをいくつかデザインしているが、その完成度の高さからいって、《チューブラー・チェア》は、スチール系のモダンチェアのひとつの到達点といっても過言ではないだろう。
レッグとアームが一体になって連続する構成、座面と背もたれのタイトなフォルム、シンプルでクールでかつエレガントな風情、これ以上足すものもなければ引くものもないといった、その隙のない姿は、いつ見ても溜息がでる。
「これは展示品であって住宅ではない」とナチスの台頭を背景になされた《トゥーゲントハット邸》に対する批判に対して、トゥーゲントハット氏(氏はユダヤ人だった)は、ミースによる内装や家具が「空間の中に参加しているそのことこそ、ここでは芸術なのだ」と反論したという(『評伝ミース・ファン・デル・ローエ』 フランツ・シュルツ 鹿島出版会 2006)。
その華麗な印象ほどには座り心地が快適ではない《バルセロナ・チェア》とは異なり、この《チューブラー・チェア》はカンチレバー構造ならではの、体重による適度なクッション性を有しており、座り心地も申し分がない。
一脚の椅子を原点にモダンチェアの歴史をたどる展示会「長く生きる。”DNA”を繋ぐ50脚の椅子展 永井敬二コレクションより」が開催されている(@無印良品銀座6F ATELIER MUJI GINZA 2019.07.26-11.24)。
展示されている50脚の椅子のなかから、モダンファニチャーの歴史に名を残すエポックメイキングなプロダクトを見てみよう。
《No.14》(1859)は、その後のモダンチェアの歴史の原点となったミヒャエル・ト―ネットの作品。ト―ネットは無垢材を煮沸させ鉄の金型に沿って曲げ成型する技術を開発し、試行錯誤の結果、生み出されたのがこの椅子だ。わずか6つのパーツからなるシンプルな構成、軽量、量産可能、ノックダウン方式による輸送コストの軽減など、その後のモダンファニチャーに大きな影響を与えたルーツと呼べき革新的な作品だ。当時からカフェなどをはじめに爆発的に普及し、今年ですでに160年。これまで約2億脚が製造されているそうだ。今なお複数のメーカーが生産を手掛けている。
ト―ネットが開発した無垢材の曲木技術によるデザインは、その後、スチールパイプを使ったデザインへと移行・発展してゆく。《クラブチェアB3ワシリー》(1925-1926)は、バウハウスで教鞭をとったマルセル・ブロイヤーの作品。自転車から発想を得た、室内家具で最初にスチールパイプを採用したこの椅子は、工業化社会でのデザインを希求するバウハウス、そしてモダニズムを象徴する時代を画す作品となる。
ト―ネットの曲木技術は、スチールパイプへと素材を変えて発展する一方で、新たな曲木の技術へも進化してゆく。それを担ったのが森の国フィンランドに生まれたアルヴァ・アアルト。《アームチェア パイミオ》(1931-32)は、アアルトの初期の傑作《パイミオのサナトリウム》のための椅子としてデザインされた。積層合板を曲げたフレーム、有機的なフォルムの座面など、アアルトは曲木の技術を進化させ新たなデザインを生み出してゆく。アアルトは無垢材を曲げる新たな技術「L-レッグ」なども開発し、木を使ったモダニズムというバウハウスとは異なる潮流を創り出した。
マルセル・ブロイヤーによるスチールを使った椅子は、スチールフレームのカンチレバー構造へと発展する。オランダの建築家マルト・スタムが、後ろ脚のない椅子を実現するために、ガス管を用いた構造実験を重ねた結果、完成させたのが《S33》(1926)。世界最初のカンチレバー構造の椅子として歴史に名を刻む作品だ。ステュツガルトの「ヴァイセンホーフ・ジードルンク」住宅展(1927)に出品され注目を集め、その後ブロイヤーやミースによるさまざまなバリエーションにつながってゆき、カンチレバー・チェアは時代精神のシンボルとなる。
下の写真の右側が《S33》。その左がマルセル・ブロイヤーによる有名な《S64》(1928)。最初に登場したミースの《チューブラー・チェア》もこの流れの先に生まれた作品だ。
本展示会には出品されていないが、モダンファニチャーを代表するル・コルビュジエとシャルロット・ペリアンらによる一連のスチールパイプ・チェアは、マルセル・ブロイヤーの《クラブチェアB3ワシリー》からの影響の結果であり、アメリカのミドセンチュリーをけん引したチャールズ・イームズやエーロ・サーリネンらによるプライウッドを3次元加工する技術は、アルヴァ・アアルトの曲木技術にルーツを持っている。世界有数の森林国である日本も曲木家具の宝庫であり、その代表的メーカーである秋田木工は、ト―ネットの曲木技術が日本に伝わった直後の1910年に創業している。
こんな情報も頭に入れながら、50脚の椅子でモダンファニチャーの歴史をたどってみるのはいかがだろうか。
(★)本展示会では、この椅子は《ブルノ・チェア》と紹介されている。ブルノは《トゥーゲントハット邸》が建てられた旧チェコスロバキアの都市の名前。ミースは同邸のために3つの椅子をデザインしている。一般に《ブルノ・チェア》という時は、フラットバーを使ったカンチレバー構造のアームチェアを指す場合が多いと思われる。《ブルノ・チェア》も《チューブラー・チェア》と甲乙がつけがたい完成度が高い名作である。
*初出 zeitgeist site
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