入場料を払って利用するという新しい試みの本屋 文喫が六本木にできた(公式サイト)。
文喫ができたのは、六本木6丁目の麻布警察署の一軒隣にあった、かつての青山ブックセンター六本木(通称ABC、あるいはABC六本木)の跡だ。
「諸君はレストランなどで食事をした後に、どこで時を過ごすのが一番楽しいか知っているかな(中略)本屋でブラーッと時を過ごすというのがぼくは気に入っている」と書いたのは加藤和彦だった(★)。
つづけて「さいわい我が六本木には明け方近くまで開いている、きとくなABCという本屋があるので事足りているが、そういった本屋をレパートリーに持っているのもステキである」とも書いていた。当時、加藤は六本木に住んでいた。
この「アフター・ディナーは本屋で」と題されたエッセイ読んだとき、思わず膝を打った。
酔っぱらって本屋をうろつく。この秘かな楽しみの同好の士を発見したようで、さらにはその恰好の本屋としてABCが挙げられていたから、そしてなによりもそれを語っているのが、あのサディスティック・ミカ・バンドの加藤和彦だったから。
雲の上のような存在だった加藤和彦が急に身近になったようで、ひとりニンマリした。
もっともABCの夜の常連客という彼我の共通点があったとしても、加藤が主に語るのは、NYのレストランであり、本屋もブレンタノスだったり、「57丁目の5番街をちょっと折れた所にあるリゾリ書店」だったりするわけで、こちらが夜な夜なたむろしていた六本木のディスコや飲み屋や定食屋とは大違いだったのだが。
バブルの前ぐらいまでは、まだ優雅やCHICや気障といった言葉やふるまいが、かろうじて価値を認められていた。
ABCは80年代初頭に六本木を徘徊する夜遊び好き酒好き本好きにとって、夜の海に浮かんだ孤高のアイランドのような存在だった。
ABCの空間構成はちょっと変わっていた。鰻の寝床のように間口が狭く奥に長い空間で、入ってすぐのところが吹き抜けとなっており、進むとレジや雑誌が並ぶコーナーがあった。ここも天井が高く、左手に吹き抜けに面した2階が細長く奥に伸びていた。雑誌コーナーの奥には階段があり、その階段を半階分上がったところがメインの書籍コーナーだった。2階にはさらにそこから半階分階段を上がる仕掛けになっていた。
細長く天井が高い吹き抜けの空間、奥へと誘う半階分の階段、階段の先には思った以上の広々したフロアーが現れ、さらに半階スキップしたところに別のフロアがあるという、一望できない入り組んで奥まった感じの空間がちょっとした劇場を思わせて少しワクワクさせた。階段を登るたびに、今夜はどんな本と出合えるのかと気分が高揚したのを覚えている。
カルチャー系、ファッション系、デザイン系、ライフスタイル系などの雑誌と洋雑誌の最新号が並び、書籍はサブカル、アート、服飾、映画、音楽、演劇、写真、建築、都市、デザイン、グラフィック、広告、思想、批評、海外文学、スピリチュアル、漫画、食、旅、ペーパーバックなどの品ぞろえが充実していた。
こうした品ぞろえは、芸能関係や外国人が多く居住し、建築やデザインや編集や制作関係などの個人事務所が点在し、カルチャー系やクリエイティブ系の個人顧客が中心であるという六本木独特の客筋を見据えたものだ。
軟派で硬派、ファッショナブルで硬骨、気取っていて真面目。ABCのそんな雰囲気が好きだった。
インテリア系の洋雑誌はABCが都内随一の品ぞろえと買いやすさで、90年代に入ってからはELLE DECORATION、MARE CLARE MAISON 、ELLE DÉCOR、CÔTÉ SUD、HOUSE &GARDEN、CASA abitare、INTERNI、domusなどの洋雑誌は毎号ここで購入していた。
酔った勢いに任せて買ってしまった沢山の洋雑誌が入った紙袋を両手に下げて深夜の日比谷線にふうふういいながら乗り込んだことが何度あったことか。終電をスルーした夜は、麻布警察署の先にあった立ち食いうどん屋か芋洗い坂を下りた左手にあった定食屋(たしかびっくり食堂という名前だった)で深夜(早朝)の腹ごしらえの後は、ABCの本棚の間をウロウロしながら始発を待つというのが常習になった。
なにしろABCは朝5時半まで営業していたのだ。
加藤和彦はアフター・ディナーにおけるABCの楽しみを書いたが、ビフォー・ディナーのABCの楽しみも忘れてはいけない。ガールフレンドとの待ち合わせはもちろん、男の遊び仲間との待ち合わせにもABCを利用した。「ABCで○時」というのが合言葉になった。
時間調整と新刊チェックが同時にできる、デートのために最新の話題を仕入れられる、相手が遅れてもさほど腹が立たないなど、ビフォー・ディナーのABCもいいことづくめだった。
ABCは経営母体の青山ブックセンターが取次からの破産申し立てを受けて突然の店舗閉鎖、閉鎖を惜しむ多くのファンからの支援の声、その後も支援会社の洋販が倒産するなどの紆余曲折を経ながら、青山店が一店舗だけ残った。現在の経営はブックオフ・コーポレーションだ。発祥だった六本木のABCは2018年6月25日に閉店し38年の幕を閉じた。
六本木の夜の海に浮かんだ孤島のような存在だったABCの跡に2018年末にオープンしたのが文喫だ。
次回は入場料を払って利用するという新しい試みの本屋 文喫を訪れてみる。
(★)月刊「サヴィ」に1986年から1989年に連載されていたエッセイ『男を知るための優しい時の過ごし方』のなかの「アフター・ディナーは本屋で」というタイトルから。連載は後に『優雅の条件』(京阪神エルマガジン、1991年)というタイトルで書籍化された。本稿掲載の画像は『優雅の条件』の書影(カバー)から。金子國義の作品On Exquisite Condition Ⅱ(1989)が使われている。
*初出:東京カンテイ「マンションライブラリー」
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