住宅とは家でも住まいでもなく20世紀が発明した産物だ。住宅とは近代に出現した産業労働者のための供給される住居、いわゆる専用住宅のことだ。
新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の蔓延を機に、にわかに普及したリモートワーク。これがきっかけになり、住宅が働く場となり、これまで住宅から排除されていた経済が住宅に接続された。「脱住宅」の始まりだ(『「脱住宅」のすすめ<前編>』参照)。
住宅に経済がつながったのが「脱住宅」の第一局面だとしたら、「脱住宅」の第二局面は、<一家族=一住宅>という構図の崩壊だ。
崩れつつあるある<一家族=一住宅>
<一家族=一住宅>という「常識」は、実は既に崩れつつあるのが現実だ。
<一家族=一住宅>でいう「家族」とは産業労働を担う最少単位としての夫婦+子であり、「住宅」とはその「家族」の再生産のための住居、具体的にはn=家族数-1で計算されたnLDKと呼ばれる「家族」だけが住む住居のことだ。
ところが、この夫婦+子から構成される近代家族は、思ったほど長続きはしなかった。
夫婦+子からなる世帯は昭和時代までは全世帯の4割超を占めていたが、2018年(平成30年)時点では29.1%と3割を切っている(平成30年国民生活基礎調査 厚生労働省)。
2018年時点でみると、単独世帯(一人世帯)が27.7%、夫婦のみ世帯が24.1%と、一人または夫婦のみ世帯が同程度の割合となり、合計では半数を超える。夫婦+子からなる「家族」はもはや主流とはいえない。
一人または夫婦のみ世帯の増加は、結婚しない人、子供を持たない世帯が増加した結果でもあるが、長寿高齢化による影響も大きい。
戦後すぐは50歳程度だった日本人の平均寿命は、その後、着実に伸び、2018年時点で男81.25歳、女87.32歳と男女とも80歳を超えている(厚生労働省2019年7月30日)。
長寿高齢化は、夫婦+子の「家族」にとって子供が独立してからの時間が伸びたことを意味する。
夫婦+子がひと所に住む時間は、20年から長くても30年程度だ。成人して家を出た子がその後、自宅に戻る確率は高くなく、将来、同居する確立はもっと低いだろう。かつてのように長男が家を継ぐ風習はとうの昔に消滅しているし、住宅自体が、かつてのように大家族で住むようには作られてはいないし、2世帯ですら住めるような広さはもうない。
子供が独立してから、二人あるいは一人世帯で住まう時間が、人生80年の時代は30年間続くことになる。近代前半の人生50年の時代にはありえなかった事態が出現している。
さらにこれからの「人生100年時代」ともいわれる時代が到来すれば、二人あるいは一人で生きる時間は50年にも及ぶことになり人生の半分を占め、「家族」の時間の30年間よりはるかに長い。
共時的な意味で、現代日本の約半数は二人ないし一人世帯であり、通時的な意味では、二人ないし一人の時間は、将来、人生の約半分を占めるようになる、これが近代 100年が行き着いた世界だ。
二人で暮らすにはnLDKの「住宅」に縛られる必要はない。夫婦それぞれが個室を持った住まいやあるいは夫婦それぞれが別の住まい<一人=一住宅>という選択肢もありうるかもしれない。
ましてや一人で暮らす場合は、文字通り<一人=一住宅>であり、シェアハウスに住む場合は<二人=一住宅>や<複数人=一住宅>であり、あるいは老後の「おひとりさま」が持ち家を離れてケアハウスなどに暮らす場合は、<一人=二住宅>だ。
夫婦+子からなる「家族」が当たり前でなくなり、その結果nLDKという形式の「住宅」も主流ではなくなり、自ずと<一家族=一住宅>という構図も崩れた。
バックミンスター・フラーの慧眼。モノからシステムへ
アレクサンダー・グラハム・ベルが売っていたのは電話機ではなくて通信サービスだ。バックミンスター・フラーは通信産業の本質をこう見抜いた。
バックミンスター・フラー(Richard Buckminster Fuller, 1895年-1983年)は、「20世紀のレオナルド・ダビンチ」とも称されるアメリカの思想家、建築家、発明家、デザイナーなど様々な肩書きをもつ異能多才な人物。フラー・ドームとして有名な正二十面体を曲面に近似して作った「ジオデシック・ドーム」などを発明。『宇宙船地球号操縦マニュアル』など著作多数。
■Buckminster Fuller, photo by Beth Scupham / CC BY 2.0
地球を「宇宙船地球号」と呼び、その有限性を前提にこれからの社会はどうあるべきかというフラーの思想はその後の社会に大きな影響を与えた。
カウンター・カルチャーのバイブル的存在だった雑誌『ホール・アースカタログ』は、スチュアート・ブランドが、バックミンスター・フラーの講演を聴いたことがきっかけになって作られた。
アップルの創業者のスティーブ・ジョブズは、『ホール・アースカタログ』を紙のグーグルと呼び、その先駆性を称えた。“Stay hungry, Stay foolish” (ハングリーであれ、フーリッシュであれ)。ジョブズがスタンフォードでの講演で卒業生に送ったこの言葉も『ホール・アースカタログ』に書かれていた言葉だった(『ホール・アース・エピローグ』1974の裏表紙掲載)。
PCやインターネットやスマホやグーグルなど、今のデジタル社会のルーツを辿るとその行く着く先のひとつがバックミンスター・フラーであることは間違いない。
バックミンスター・フラーは、住宅産業も住宅(ハウス)という建築物(モノ)を売るのではなく、居住というサービスを売るようになるべきだと考えていた。
「船が一部の海と一緒に販売されることがないのと同様に、住宅が土地付きで販売されることはなくなるだろう」とフラーは言った。
フラーが想い描いていた地球規模の《ダイマクション居住システム》は、地球上のどこにいても、個人が安価に居住環境を手に入れることができる、グラハム・ベルの通信サービスのような住むための仕組みの提供を目指していた。
住むということが、住宅という空間を専有することではなくて、居住というシステムに身を置くことを意味する世界。住宅の概念はもちろん、所有の概念が変わり、土地や建築や都市の概念が変わる世界。
「住宅」が解きほぐされる「脱住宅」の世界
<一家族=一住宅>という構図が崩れた「脱住宅」とはいったいどんな住宅なのだろうか。
これまで人生は、学ぶ → 働く → 引退という直線的に流れる時間とステージで語られてきた。
「人生100年時代」とは、単に人生が長くなるだけではなく、年齢を問わず学び直し、新しいことを探求し続け、自らを変身させていくことが求められる時代だと言われている。
さまざまな学びや仕事や生きがいやアイデンティティを年齢に関係なく、自在に行き来しながら、あるいはマルチにこなしながら生きる、そんな時代にふさわしいのは、自在な生き方を受けとめる自在な住宅だ。
<一家族=一住宅>、<一人=一住宅>、<二人=一住宅>、<複数人=一住宅>、<一人=二住宅>など、さまざまな選択肢があり、自らが選んだ現在のステージに最もフィットする住まい方を自由に容易にチョイスして暮らすことができる住宅。
家族の団欒の場であると同時に、学びの場所、働く場所、商いの場所、趣味の場所、生きがいの場所、集まりの場所、社会と接続される場所であるような、そんな自在でマルチな機能の住宅。
ホテルの部屋を変えるように、さまざまな住まいを住み替えながら暮らすことができる住宅。レンタカーのように日本中、世界中の住まいを住み継いて暮らすことが可能な住宅。
固い「住宅」に合わせた生き方から、自在な生き方に合った柔らかい住宅へ。変化する人生をひとつの流れとしてとらえ、その時々の流れを自在に受け止める住まいの仕組み。「脱住宅」はそんな居住のサービスやシステムとして立ち現れてくるのではないだろうか。
今日、AT&T(ベル電話会社の後継)やNTT(電電公社の後継)を電話機を売っている会社と言う人は皆無だろう。資産としての固定電話やステイタスとしての固定電話という神話も消えた。バックミンスター・フラーが喝破したようにかつての電話会社は通信サービスを売るシステム産業となった。
近い将来、グーグル検索と自動運転技術が目的地まであなたを運んでくれるだろう。そんな予測が言われ、モノからシステムへという大きなうねりのなか、今、車業界に激震が走っている。
揺るぎない「家族」に向けて強固な「住宅」というモノを売っていたこれまでの住宅産業。「脱住宅」の世界は、固い「住宅」が解きほぐされる世界かもしれない。
(★)参考文献:ジェイ・ボールドウィン『バックミンスター・フラーの世界』(梶川泰司訳、美術出版社、2001年)
(★)Top 画像 photp by すしぱく from PAKUSO,adapted
*初出:東京カンテイ「マンションライブラリー」
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