今回のパリ・バスクの旅ではパリで3ホテル、バスクで3ホテルに泊まった。
パリの3ホテルは星付ホテル1,462件の内、100件を超えるホテルを調べた上で絞り込んだ3ホテルではあったが、「パーソナルなフィット感」という点で最も満足できたのは、その内のHotel Le Sainte-Beuve だった。
実はこのホテルは約20年前に1度泊まったことがあるホテルで、今回も期待を裏切られずに満足できたことは、ある意味、すこぶる貴重なホテルといえ、ホテル探しの苦労も報われた気がする。
「パーソナルなフィット感」と書いたが、Hotel Le Sainte-Beuve の場合でいうと、以下のような個性と魅力が渾然となって醸し出されるホテル総体としての空気が個人の感性に訴え、その結果もたらされた深い満足感とでもいおうか。それは、「ホテルの着心地」とでも名づけたくなるような感じ。
そのホテルは、6区の雰囲気と利便性を享受できると同時にラスパイユ・ブールバードから1本入った、リュクサンブール公園に程近い住宅地に位置するという絶妙なロケーションにある。ホテル周辺はさりげないビストロやマニアっぽい靴の仕立て屋などが街に溶け込んだ感じでたたずむ界隈。ライムストーンカラーの壁にダーク系のサッシュがはまった控えめなホテルエントランスの佇まいも普通のパリのファサードという感じで好みである。
そのホテルは、客室が全部で22室と小さい。そのスケール感がつくりだすコージーでインティメイトな感じが、アーバンスケールのパリの街を歩き回った後の疲れた身体と心になんともほっとする時間と空間を与えてくれる。
そのホテルは、ノーブルなフレンチテイストをベースにしたインテリアながら、パリのプチホテルにありがちなトゥーマッチ感やいかにもの古色蒼然とした感じが露ほどもなく、さりとて、デザインホテルなどに良くみられる思い付きのアイディアが放つ薄っぺらさや寒々しさとも無縁の、モダンな感性を経由した今日的なコンフォートさとでもいえるベストバランスのインテリアが魅力。
建築や家具はもちろん、置かれている雑貨ひとつひとつを含めたすべてにデザインのトータリティの視点から心配りされていながら、これ見よがしな感じは微塵もなく、おそらくは利用者には当たり前に居心地が良いとしか感じさせないような完成度がまた見事である。
今回、リニューアルされて以前のホワイト基調からレッド基調へとカラースキームが様変わりしたが、上品で、パリらしくて、コンフォートで、それでいてコンテンポラリーな感じはまったく変わっていなかった。
初日には壁とベッドスローが同色の微かにマロンが混じったようなグリーンカラーで統一されており、どちらかというと渋めの印象の客室が、次の日にスローがはずされその下から真っ白なリネンが現れると、その白の鮮やかさに思わずハッとさせられると同時に壁のグリーンカラーの上品さも初日以上に際立って感じられるというインテリア好きならずとも思わず唸ってしまうような心憎い演出もこのホテルならではの魅力である。
そのホテルのプチ・デジュネは1階のサロンで供される。そこは、アラカルトでカフェだけでもOKという気軽さながら、例えばクロワッサンは当たり前にジェラール・ミュロのものが出されるなどそのクオリティに妥協はない。サロンの雰囲気は肩肘が張らず、それでいながらカジュアルには流れすぎない絶妙な空気感が漂っている。それはイタリアやイギリスからの余裕のありそうなカップル客が主体であるというホテルの客層が放つ雰囲気もさることながら、それ以上にサロンの空気を決定付けているのは、街なかのカフェなどでは決してみられないポライトな立ち振る舞いのディレクタースーツが実に似合う控え目なムッシュ・メートルの存在感によるところが多分に大きい。
サロンでの新鮮で、ゆったりとして、少し高揚したような朝のひと時は、旅の記憶に静かながら深い印象を残してくれる。
そのホテルは、モダンなホテル哲学を背景にしたさりげないフレンドリーなサービスが供される一方で、清掃やリネンサービスなどのベーシックなサービスがしっかりしており、その背景には、そうしたクリーンさやニートさを維持する日常のオペレーションの質の高さが、実のところハード面以上にこのホテルの魅力支えているのだという王道ともいえるホテル哲学が感じられる。
そのホテルは、普通に当たり前にあって欲しいものが普通に当たり前にあるという、昨今では決して当たり前でない、むしろすこぶる希少な存在のホテル。
パリで泊まった他の2件のホテルがとんでもなかったというわけでは決してない。
サンシュルピス教会の裏手という左岸好きなら最高の雰囲気とロケーションながら、驚くほど静かな滞在を約束してくれる1件だったり、最上階の屋根裏部屋から望む夜明けのパリを背景にしたサンジェルマンデプレ教会の姿が、ボードレールの散文詩を下敷きにした鹿島茂の印象的な一節を思わせる眺めの1件だったりとそれぞれに個性があり満足できる滞在ではあった。
とはいえ、「パーソナルなフィット感」という点では、微妙な違和感が否めなかったのも事実であり、もう一度泊まりたいかといわれれば、「もう十分」という印象であった。
パリのホテル、あるいはことホテルに限らず、衣食住すべからく「パーソナルなフィット感」にこだわりたいと思う。流行や他人の情報に流されない確固たる意思、自己の世界を広げる想像力と好奇心、自分自身の評価眼を養う経験と知識、独断に溺れない素直さと批評性。その結果たどり着いた「パーソナルなフィット感」を大切にしたいと思う。
「パーソナルなフィット感」を希求すること、それはいってみれば、差異の再生産を自己目的化したような現在の消費社会において唯一残されたる倫理的な態度といえるかもしれない。
今日、消費本来の素朴な満足感を得るためにわれわれに残されたすべは、「個人の欲望」をいかに「他人の欲望」から取り戻すか以外にはないのだから。
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