小暮修ついに復活。
矢作俊彦の最新作は1974年放映の伝説のTVドラマ『傷だらけの天使』を現代東京に蘇らせた快作とでもいうべき小説。
そのサブタイトルも「魔都に天使のハンマーを」と往時の定番の言い回しを踏襲したもの。
当然ながら綾部貴子と辰巳五郎も復活!あのペントハウスのある「エンジェルビル」(いまも「代々木会館」として実在!)も重要な役割を担って登場する。
登場するのは、TVドラマ『傷だらけの天使』の登場人物や背景だけではない。
山さんや長さん(ご存知『太陽にほえろ』の名脇役刑事)、デーブ中尾(最終回のエンディング曲「一人」を歌った元ゴールデンカップスのデイブ平尾)、バルガス(『二人の世界』のフェリーノ“裕次郎”バルガス)、テンコと呼ばれている典子(掛け値なしの傑作『憎いあンちくしょう』の榊典子こと浅丘ルリ子)、滝伸次(渡り鳥シリーズの小林明)、石山信次郎(石原慎太郎のこと?いやもう一ひねりさせて若大将シリーズの田中邦衛演じる青大将の本名(?)を経由している)、『大金塊』と『怪奇四十面相』(江戸川乱歩の少年探偵団シリーズ)の一度聞いたら決して忘れない不思議な呪文のような暗号などなど、『傷天』とその時代を取り巻くさまざまなアイコンの引用・パロディ・もじり・アリュージョン・隠喩・オマージュ・パスティーシュ・駄洒落などが散りばめられている。
このほかにもハリウッド映画やお得意の巨人V9時代の野球ネタから「天才バカボン」まで、昭和ニッポンのカルチャーを描かせたら熱意と悪意では右に出る者がいない矢作俊彦の世界が広がっている。
そうした中、TVドラマの最終回「祭りの後にさすらいの日々を」で死んだ修の弟分の乾亨(イヌイアキラ)だけが登場人物としては不在だが、逆にアキラの不在それ自体が通奏低音となって物語が展開していく仕掛けとなっている。(1箇所だけ、水谷“アキラ”豊へのほのめかしのシーンあり)
物語は、いまや宿無しとして東東京市の公園に暮らす小暮修が身近に起きた事件をきっかけに、かつて綾部探偵事務所の下働き時代のホームグラウンドであった新宿に30数年ぶりに足を踏みいれることになり、その後大事件に巻き込まれゆくという展開。この先のストーリーは読んでからのお楽しみとして、いかにも快作らしいこの矢作版『傷天』の雰囲気を伝えてくれる箇所を2つばかり。
最もおかしかったのが、一度ヤクザから逃走用で盗んだ親分が宝にしているという元シナトラ所有の64年型のTバードを、近くのコインパーキングに駐車した後、そのキーをヤクザのオフィスのポストに投函することでヤクザに返却した修の携帯に、敵方の「ひょっとこの轍(テツと呼んでいる。このヤクザもいかにも往年の『傷天』に出ていそうな造形でおかしい。もしかしたら出ていた?)」が電話をかけてきての会話。
「修ちゃん?車、ありがとう。駐車料金、近いうち返してね」と、旧友は言った。
「もう、おまえなんか会わねえよ」
「そういうこと言って良いのかな?バルガスの居所が分かったんだけど」
「おお、轍っちゃん。もつべき者は友達だ。返すよ。駐車料金、必ず返す」
たった数行で修や轍の性格とその絶妙な関係性を伝えて余りある見事な描写!
もうひとつ紹介すると、銃で撃たれた(と思った)シーンでそれまではすこぶる威勢が良かった修が
「痛いよ。痛いです。救急車呼んでください!」じたばたのけぞってわめきちらす。
というところも、そうそう、よくあったよナーという感じの場面でよくぞ再現してくれたという名シーン。
閑話休題。
事件をめぐる活劇ストーリーが本書の縦糸とすると、横糸となっているのが、30数年のブランクを経て出会う現代日本というテーマ。
年月を経て、変わらざるを得ない現実と変わることのできない個人、あるいは、変わってしまう個人と変えられない現実。
すべてが相対化された寛容な価値観が行き渡り、欲望の科学技術としてのマーケティングが席巻する自由で便利な世界。しかしながら、そうした世界で感じる決して拭い去れない漠然とした違和感と居心地の悪さ。
こうした感慨は、本書の小暮修や同じ著者による『ららら科學の子』の「私」のような30年数年ぶりに現代日本と向き合う人物だけではなく、ずっとこの国のこの社会に暮らしていたはずのわれわれ自身が今、日常の何気ないことをきっかけにふと襲われてしまう感慨でもあるのではないだろうか。
つい最近だと思っていた「戦後日本」からわれわれは、いかに遠くまで来てしまったのか。
われわれが今の社会や国家や世界に対して統一した現実認識や世界観を失ってから既に久しい。そのきっかけは、ベルリンの壁の崩壊なのか昭和の終焉なのかバブルとその崩壊なのか9.11なのか・・・・。おそらくはそのすべてでありかつそのいずれでもないのだろう。
「戦後日本」へのノスタルジーへと回帰することなく、はたまた現代日本への安易な迎合に組することもなく、どの時代、どの世界にあっても感じる違和感を自らの宿命として引き受けつつ、なおかつ諦めないで良く生きることとは。
現代日本と対峙した1970年代の傷だらけの天使たちが出した答えは如何なるものか?
ラストの「修ちゃん」に聞いたら、きっとこう言うだろう「勝利より栄光を!」と。
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