夕暮れの訪れとともに、また、あの感じがよみがえってくる。
何がしかのユーロをポケットにねじ込んで街中に飛び出し、ブルーに暮れなずむ狭い通りのそこここに看板の明かりが灯り始めたフェルミン・カルベトン通りの入り口に佇んだ時の、世界を目の前にしたような抑えがたい高揚感が。
サン・セバスチャンで何軒かのバルをはしごしながらの飲み歩きは、夕暮れが待ち遠しい世界中の酒呑みにとって、おそらくは至福といっても良いひと時。
バスク語ではドノスティア(DONOSTIA)と称され、大西洋の真珠とも呼ばれるこの風光明媚な「海バスク」の街サン・セバスチャンは、その美しい風景と爽やかな海洋性の気候により、内陸に首都を持つスペイン人達を昔から魅了し続けてきた。
コロンブスのスポンサーだった先代と同じ姓のイザベル女王2世が主治医の勧めにより、海水療法のためにこの地に逗留した1845年以来、サン・セバスチャンはスペイン王室御用達の避暑地になった。
イザベル女王2世の息子アルフォンソ12世と結婚し、国王亡き後、摂政女王となったマリア・クリスティーナは、ことのほかサン・セバスチャンがお気に入りで、毎年夏の間、宮廷をこの地に移し、それは“Summer Court” (なんと優雅な響きであろうか)と呼ばれていた。
そのマリア・クリスティーナの息子アルフォンソ13世を退位に追い込みスペイン王政に終止符を打った張本人であり、その後、40年に渡り独裁を振るったフランシスコ・フランコ・イ・バアモンデもまた、決まって毎年サン・セバスチャンに避暑に訪れたといわれている。
緩やかにカーブする長い美しい砂浜、その海岸線に張り付くように展開するパノラミックな都市のファサード、市街地が唐突に盛り上がり緑の大きな固まりとなって海に対峙するウルグル山、おだやかな流れのウルメラ川と荒波の大西洋がぶつかるダイナミックな河口の風景、市街地のすぐ隣にあるのんびりとした港の風景、コンチャ湾に浮かぶ緑のサンタクララ島など、サン・セバスチャンは海と山と川と都市をひとところにギュット詰め込んだような稀有な街。
ウルメラ川の河口と弓なりにカーブするコンチャ海岸と海に突き出したウルグル山に囲まれたごく狭いエリアがサン・セバスチャンの旧市街地。以前の城壁の内側だったところであり、今日ではバルが密集するエリアでもある。
バルは、日本語でいうところの立ち飲み居酒屋、立ち食い食堂的な空間と雰囲気の存在で、ふらっと入ってちょっとつまみながら1杯やる感じがなんとも楽しい。こうした楽しさは、同じバスクといえども、フランス側には決してない楽しさである。
サン・セバスチャンはまた、世界一3ツ星レストランの密度が高いといわれる美食の街でもある。
例えば「アルサック(ARZAK)」のウルトラモダンでありながら、よそよそしさなどは微塵もない、むしろ趣味の良いアーティステックな遊び心が漂う居心地の良いインテリアのなかで、その土地ならではの素材を活かしながら創造的で前衛的な方法論により極めて個性的な一皿に昇華させた料理の数々を堪能する宴は、なるほど彼の地の3ツ星レストランならでは贅沢な時間である。
とはいえ、宵の始まりつつある時間に立ち飲み居酒屋に出没し、日の高い時分の心のざわめきを鎮めながら、夜の深まりにあわせて普段の時間が少しばかり特別な時間へと少しづつ変貌していくのをほろ酔い気分で眺めて過ごすのもまた、すこぶる贅沢な時間である。
これが、サン・セバスチャンの夜で、また、サン・セバスチャンのバルであったら、それはなんと幸せな時間であろうか。
サン・セバスチャンは、なるほどピンチョス(ピンチョPINCOはスペイン語で串のこと。ピンチョスは串に刺してあるフンガーフードやオープンサンドのこと)発祥の地らしく、どのバルもその店名物のピンチョスがところ狭しと並んでいる様子も実にワクワクする眺めである。
その日にマリネした自家製のアンチョビ、青唐辛子とアンチョビのマリネ、生ハムのオープンサンド、ポテトの上にアンチョビを乗せたオープンサンド、クリーム状のカニのオープンサンド、ツナとサーモンのオープンサンド、小イワシのフライのオープンサンド、ピーマンを散らした蛸の串マリネ、ツナの固まりのオイル漬、自家製のビネグレットソースを乗せた海老の串焼き、イカのオイルソテー、いろいろきのこのソテー、ムシャラとジャガイモの串マリネ、新鮮な小エビのボイル、タラのオムレツ、ムール貝の詰物揚、チーズのコロッケ、青唐辛子の素揚、赤ピーマンの肉詰揚、小イワシとニンニクの素揚などなど、土地の素材の味を最大限引き出した素朴な手作りの逸品の数々。
スタートの1杯はチャコリから。チャコリは微発砲の白ワイン。グラスのかなた上方から注ぎ、空気と攪拌することによりマイルドさを増した酸味が爽やかだ。グラスはボデガと呼ばれる寸胴のタンブラーのようなグラスで飲むのが定番。このグラスがまた気取らない立ち飲み屋の雰囲気にぴったりあって嬉しくなるような代物。
数々のピンチョスに加えてバルのもうひとつの楽しさは、飲み友達の輪が広がる楽しさ。
実に驚いたことは、今回、サン・セバスチャンで飲み歩いたバル全てにおいて、いつの間にか見知らぬ人々と飲み友達の輪が広がり、即席の立ち飲みパーティーで盛り上がったこと。
「僕は陶器の輸入でよく中国に行くよ。日本の陶器も輸入したいけど高級品だから難しいかな」
「俺は自転車レースをやってて、以前日本でレースに出たことがあるんだ。ドゥイタマ(???)ということろさ。知ってるかい?確か日本の北のほうだったかな」
「そいつは、日本製のデジカメかい?こっちじゃまだ見たことないから最新式のやつだネ。え?いいのかい?触っても」
「ああこれかい?こいつはムシャラっていう土地の魚さ。今が旬でうまいぜ。大将!この人にも自慢のムシャラを出してくれ!」
「なんだ、明日帰るのか、残念だな。次回はぜひ俺の別荘に遊びに来てくれ。みんなで泊まっていけばいい。住所はここだ。メールアドレスも書いてあるから絶対に連絡くれ」
なに、言葉などできなくてもOK、夕暮れの最初の1杯にワクワクし、気の効いたうまい肴に目がなくて、立ち飲みの気取りのない潔さがお気に入りの同好の士であれば、すぐに打ち解けて盛り上がること必定だから。
バルのドアは、好きなときにふらっと入って、さっと引きあげられるように、たいていは開け放たれている。同時にそれはきっとバルの店内は決して閉じられた室内ではなく、街に開かれた、そして世界に開かれた一部だというしるしなのだ。
その証拠に、サン・セバスチャンの最初の夜に入った1件目のバルでなんと、私たちは偶然にも日本で旧知のカメラマンと彼らの取材グループ(そのリーダーはかの3ツ星レストランのシェフMr.マルティン・ベラサテギ!)と出会って、これまた大いに盛り上がったのだから。
サン・セバスチャンのバルのドアは世界と世界の飲み友達に開け放たれている。
さあ、今夜も出かけよう「飲み歩きパラダイス」へ!
サン・セバスチャン アフター・ダーク。それは世界を目の前にしたような高揚感。
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