30数年前、時代が昭和と呼ばれていた頃、日本でもフォークやロックのグループがあまた輩出するなか、さほど一般に人気はなかったものの、優れてときめいていたロックバンドがあった。
そのひとつは、フラワー・トラヴェリン・バンドといい、もうひとつのバンドは、サディスティック・ミカ・バンドといった。
フラワー・トラヴェリン・バンドは70年2月の結成、サディスティック・ミカ・バンドは71年11月の結成といずれも70年代初頭に結成されたバンドだ。
フラワー・トラヴェリン・バンドは、歌詞は徹底的に英語にこだわりながら、オリエンタルな旋律と独特のグルーブが特徴のヘヴィーなサウンド。そして、怪しげでサイケでまさにフラワーチルドレン的なイメージ。
かたやサディスティック・ミカ・バンドは、パロディックな日本語歌詞を乗せた多彩なリズムと高度なポップ感覚が融合したカラフルなサウンド。そして、とびっきりおしゃれでスマートな意匠。
このまったく正反対といってよい2つのバンドは、しかしながら日本のバンドで本格的な海外公演と海外レコーディングを実現した草分けのバンドであるという大きな共通点があった。
この2つのバンドに夢中だった70年代のロック少年は、幸運にもその全国ツアーのなかの地方公演の観客の1人となったのだったが、そのコンサートの内容はほとんど記憶に残っていないものの、ガラガラの客席だったり、キャロル(!)の前座という位置づけだったりする現実を前にして、持って行き場のいない身勝手な腹立たしさを感じたことは今も不思議と記憶に残っている。
時は流れ、時代は変わり、この2つの偉大なるロックバンドが相次いで復活した。サディスティック・ミカ・バンドは06年に17年ぶりに再結成(正確には再々結成)され、そして、ついにフラワー・トラヴェリン・バンドが今年08年に35年ぶりに再始動した。
一昨年のミカ・バンドの再結成コンサートはゴタゴタの内に惜しくも見逃してしまったが、日比谷屋音は70年5月以来、実に38年ぶりという、今月8日のフラワー・トラヴェリン・バンドのコンサートに足を運んだ。
“Make Up”のあのオルガンイントロから始まって、ラストの”Satori Part2” そしてアンコールの”Hiroshima” と”Will It”まで、今年5月にカナダでレコーディングされたニューアルバム”We are Here”から全8曲と以前のアルバムから5曲の計13曲が演じられ、それらは、徹頭徹尾、あのフラワーのサウンドでグルーブだった。
シンプルでプリミティブでタイトなリズム、ジョー山中の驚異の音域のワイルドなヴォイス、そして永遠に続く呪文ような石間秀機のギター、そしてそれらが絡み合うことによって生み出される独特なオリエンタルでヘヴィーなサウンドとグルーブ。
正確にいえば、それは35年前のフラワーのそれとは異なっている。
特注の楽器ギターラを持って登場した石間秀機は、かつてのレスポールを使っていた時代の荒々しい金属的なハードさは後退したものの、肉声のうめきに似たうねるような音の連なりと「間」を重視した音の配置が生み出す、石間独特の唄うように弾くという個性にますます磨きをかけたサウンドを展開した。
ギターラはエレクトリックギターとシタールを融合させたという楽器で、ギターでシタール奏法のミーンド(Meend ギターでいうチョーキングだが、シタールのミーンドは2音半の音程をカバーできるという)やガマック(Gamak ある音からある音へ間の経過音や装飾音のことで日本の演歌でいうところの「こぶし」的なシークエンシャルな音のつながり)などの奏法が可能なように、全体がロングスケールで2倍ぐらいに拡大されたネック幅、深いU字にえぐられたいわゆるスキャラップトフィンガーボード(scallopedとはいってみればホタテの貝殻のようなシェイプという意)、中空のネックとボディなどの特徴を持った石間が特注した弦楽器。その不思議な姿形も石間の芸術職人的な雰囲気にぴったりだった。
ジョー山中のヴォーカルもかつての比類のない音程と伸びのある声を前面に打ち出した絶叫型のヴォイスとしてのキャラクターから、さすが高音域はかつてに比べ苦しそうながら、相変わらずの驚異的な幅の音域に情感や包容力などを感じさせる懐の深い表現力が加わった成熟した魅力を湛える個性へと進化していた。
レコードは過去の記録だが、ライブは今の現実だ。バンドメンバーも時を重ねれば、われわれも同じだけ時を重ねる。
変わったことと変わらないこと。変われないことと変わらざるを得ないこと。そうしたいろいろのことがあり、そして彼らもかつての彼らではなく、われわれもかつてのわれわれではないものの、35年前にフラワーのサウンドを聞いて、感じたり思ったりしていたように、現在もまた、その内容は35年前とはまったく異なったものだが、やっぱり今のフラワーのサウンドを聞いて、感じたり思ったりしていることに気づく。
心を打つのは、なにもノスタルジーだけではない。ノスタルジー以上に、心を打ったのは彼らとわれわれが35年の時を経て、同じ時空で対峙し、再びその関係が築かれたという事実。
そして、フラワーもわれわれも、変わったと同時に変わらない存在でもあるということに思い至り、その結果、深い感動が訪れる。これは、ある意味、齢を重ねなければ決して味わえないすこぶる贅沢な感動なのかもしれない。
かつて70年代のロック少年だったころ、フラワー・トラヴェリン・バンドの名前の由来は、きっと世阿弥の『風姿花伝』からきたのだと信じていた。それは今から考えれば『風姿花伝』自体も読まずなされた単純な思いつきによる語呂合わせだったのだが、このコンサートをきっかけに、それもあながち的外れでもなかったと思い始めた。
花伝書は、若さゆえの「時分の花」に惑わされることなく、「誠の花」を希求するものは、「老い木になるまで、花は散らで残りしなり」と教える。
今のフラワーが老い木かどうかは別として、「散らで残りし花」であることは間違いなく、やっぱりフラワー・トラヴェリン・バンドの由来は『風姿花伝』だったのだという思いを強くした。
5人合わせて307歳というフラワー・トラヴェリン・バンドの生の音を35年ぶりに聞きながら、芸術と人生、文化と時間などに思いを馳せ、年を重ねるのもあながち悪くはないものだと思わせてくれた秋の一夜であった。
※日比谷野音に先立つ原宿「クロコダイル」でのライブ映像はこちらで
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