赤瀬川原平の『千利休 無言の前衛』(岩波新書)にこんなエピソードが載っている。
ある日、赤瀬川はアパートの廊下で見事に正確に折り畳まれている古新聞の束を発見し、強いショックを受ける。それは、古新聞は当然に適当に折り畳まれた状態で捨てられているものと思っていた自分の常識が裏切られたことによる衝撃だった。それ以来、赤瀬川は読み終えた新聞紙をキチンと折り畳むようになったが、一方、何故、何のために古新聞にそのようなある種の美意識を貫くのかに関しては他人に説明することは非常に難しいという。ただ、他人はもちろん家人にさえも説明し得ない常識はずれの無益な行為の繰り返しによって本人が得られのは、「不安をやさしく包み込んだリズム」であり、「このようにして人々は不安と闘っている。この世に存在する不安とわたりあっている。」のだという。
原研哉の『白』(中央公論社)において以下のような考察がなされている。
「室町時代の中期、将軍足利義政は、それまでの日本文化の蓄積を焼き尽くす応仁の乱に倦んでいた。」「遠く霞む太古から営々と受け継がれ京の都に蓄積されてきたこれらの文物が、わずかひと世代の欲に起因する愚かな戦乱で、たやすく灰燼に帰する情況を目のあたりにして義政は何を思ったのか。」「義政は将軍職を息子に譲り、東山の地に隠居」し、通称銀閣と称される山荘・慈照寺を築く。この慈照寺に始まる東山文化の美意識こそが、シンプルさに価値を見出した西洋のモダニズムに先駆けること数百年、日本が簡素さに美を見出した端緒であるいう。そして「義政をはじめ、戦乱に倦んだ当時の都人の胸に去来した心象が、ものの感じ方に影響を及ぼしたのかもしれない。」と控えめな推察が添えられる。
永原孝道は『死の骨董 青山二郎と小林秀雄』(以文社)のなかで、青山二郎の日記の次の言葉を紹介している。
「いい物をみていいと評価する、そんな事に何の意味があるだろう。眼玉があればバカにでも出来る退屈な話だ。早い話がいい物なんか盲人にだって見えるのである。さういふ美が終わったところから美がはじまるのでなければ生涯ものは見えないものである。美とは、美との関係だ。」
こうした話を読みながら何故かデザインのことを考えていた。
デザインの本質とは詰まるところ、モノとモノとの関係やモノと人との関係を図りながら、モノから逃れられない宿命をもった人間の精神とモノとのバランスを目指していく行為なのではないかと思う。
我々は今、モノとそのデザイン(意識的か無意識的かを問わずになされている造形や意匠)の氾濫の中に生活している。意匠のないモノはなく、形の伴わない機能も存在しない。エントロピーはだまっていても増大し続け、混沌は広がり続ける。我々が住んでいる世界とはそういう世界だ。
今の世の中に溢れる多大なモノとそれらが纏った、トゥーマッチな、勘違いの、奇を衒った、これみよがしの、受けを狙った、アリバイ作り的な、何々風の、「個性」豊かな、思いつきの、おもねった、「高級感」のある、等々のデザインもいってみれば、今の消費社会が求めるモノと人との関係性の産物ともいえる。
しかしながら、モノを消費し、デザインを消費する日常の一方で、いちいちモノの好き嫌いやデザインの良し悪しに煩わされない世界、これまでのモノやデザインのすべてが無価値・無意味になった世界、纏わりつく何かから解放されたような世界を一瞬たりとも夢見なかったことがある現代人は皆無なのではないだろうか。
溢れんばかりの古今東西のモノと情報が渦巻く世界でも稀有な消費社会・現代日本。そして過剰なモノと過剰な意匠が引き起こす倒錯した精神のアンバランス。
消費社会のこれまでのモードもそろそろ限界にきているのかもしれない。
デザインも、資本主義の原理を背景にした差異のための差異を生み出す感性技術から、モノとデザインの過剰を前提とした上で改めて人間の精神とモノとのバランスを探っていくデザインが求められるようになるだろう。
それは、日々の人間の存在としての不安を受け止め、過剰さや愚かしさ、さらに、虚無や諦めを乗り越え、モノ以上に関係性の美意識に重きを置いた、そんなデザインのような気がする。
生活を切り捨てるわけにはいかず、また、モノから逃れることもできない我々にとって、デザインという行為のみが消費社会のただ中で唯一、人間精神のバランスを図る手立てなのであり、この意味においてこそ、何故デザインが必要なのかという理由が存在しているといえる。
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