エントランスの壁面をトラバーチンをあしらったデザインとし、ラウンジ空間には建築家ミース・ファン・デル・ローエの手になる家具を配するという集合住宅プロジェクトが進んでいる。
クローム仕上げのフラットバーが優雅な円弧を描きながらX字に交差した脚部に、ボタン留めのアニリンレザーによる座面と背もたれがセットされたチェアは、バルセロナ・チェアと命名された、バルセロナ・パビリオン(1929年)のために作られたシングルシーターのソファ。
トゥーゲントハット邸(1930年)のために作られ、チェコスロバキアのその邸宅の所在する都市の名前がつけられたブルノ・チェアは、フラットバーを使った安定感のあるキャンチレバー構造のフレームに、タイトな造形のアニリンレザーの座面と背もたれがセットされたチェア。
ミースの手になる家具を改めて眺めてみると、普通、家具が自ずと内包しているはずの使い手である人間や家族との関係性をイメージさせるヒューマンでインティメイトな気配が希薄であることに気づく。ミースの家具は、家族の団欒などというものには無縁の、使い手である人間はもちろん、周囲の空間や他の家具に対して馴染むことを拒否し、むしろ孤立することを望んでいるかのような雰囲気だ。
極論を承知で言うと、ミースの椅子は人が座らない方がさまになる椅子であり、人が座ることを前提としてはいない椅子、いってみれば、ミースの家具は「家具」を否定した家具である。
しかしながらと付け加えるべきか、ミースの手になる「家具」を否定した家具は、なんと力強くかつ美しい佇まいであることか。
何かに似ていると思う。それは、それらのオリジナルが置かれたミースの手になる建築、バルセロナ・パビリオンやトゥーゲントハット邸から受ける印象に実にそっくりなのだ。
内と外を区分し建築空間を完結させる壁の存在しない、「建築」を否定した建築として今もなお無二の存在であり、その衝撃力を失っていないモダニズム建築の起源にして記念碑的傑作バルセロナ・パビリオン。
そして、こちらもまた、激しいポレミックな反響を呼び起こした、「住宅」を否定したような住宅トゥーゲントハット邸。
「これは展示品であって住宅ではない、それにこうも「高価で気取った」空間や派手でこれみよがしな家具では、個人性や親密さなどは圧迫されてしまう」という、トゥーゲントハット邸への批判に対して、当のトゥーゲントハット氏は、「たしかに主立ったところに絵を懸けたりできないし、同じく本来の家具のスタイル統一を崩すような家具は入れられない。しかし、その理由で我々の『個人的生活が圧迫される』だろうか?大理石の又とない模様や木材の天然のきめは美術にとって代われなないが、むしろそれらが芸術の中に、空間の中に参加しているそのことこそ、ここでは芸術なのだ。」と反論したという。(『評伝ミース・ファン・デル・ローエ』 フランツ・シュルツ 鹿島出版会)
ナチスの台頭を目前にしつつあった時期のトゥーゲントハット邸を巡る議論(トゥーゲントハット夫妻はユダヤ人だった)は、今になってみれば逆説的な意味で、つまり、批判に対するトゥーゲントハット夫妻の反論が正統なものであればあるほどむしろ、この住宅の特異さ(なにしろ住宅が「芸術」なのだから)を浮かび上がらせくれる。
ミース・ファン・デル・ローエは、テクノロジー時代の建築の真理は、合理性や機能性にあるとし、「建築はカクテルではない」と言い、建築に個性やコンテクストは不要だとして、鉄とガラスによる透明な建築やユニバーサルスペースとよばれる自由な空間の実現など、モダニズム建築の究極の姿を提示した建築家とされている。
ミースの求めていたものは、テクノロジー時代、工業化時代における建築の美の在り方であったことは確かだろう。
しかしながら、それは、自分の追及する美こそが時代の真理になるという考え方であって、合理性や機能性を追求した先に真理があると考えていたとは到底思えない。
自らの家具をほとんどだまし討ちのように竣工直前に勝手に持ち込んで、既成事実として施主を納得させたミース(トゥーゲントハット邸)、不揃いの見えがかりを気にして、超高層のすべての住戸にグレーのカーテンをつけさせたミース(レイクショア・ドライブ)、I型鋼という量産の工業製品を使いながら、その表面をコスト度返しで徹底的に研磨(サンドブラスト)し、真っ白な塗装仕上げとしたミース(ファンズワース邸)、天井照明がまばらにともっている状態を嫌がり、全館の照明を単一スイッチで(!)操作することを提案していたミース(シーグラムビル)など、ことミースに関しては、自らの美学へのこだわりの強さと非妥協的性格を物語るエピソードには事欠かない。
とはいえ、今日、ミースに関してより興味をそそられるのは、むしろ次に様なことだ。
いまや世界中にあふれ返っている超高層建築の原型といわれる、ガラスカーテンウォールに覆われた無装飾の四角いフォルムの「ガラスの鳥かご」レイクショア・ドライブや、四方の壁をすべてガラスにし、部屋の間仕切りも一切ない「ガラスの箱」ファンズワース邸などの住宅を設計する一方で、自らは生涯、ヴィクトリアン様式のごく普通の建売住宅に住み続け、ハバナ産の極上の葉巻と仕立てのよいスーツと冷えたマティーニを生涯手放さなかったウルトラ・コンサバなミースという対比の方だ。
ミースの生み出す過激なまでに現代を象徴する美の在りようと、それとは見事に正反対なミースのライフスタイルという矛盾の根底に横たわっているのは、テクノロジー時代の真理=美は、実は、人間にとって決して心地良いものではないという直感だったのではなかったか。
自らがテクノロジー時代に生き、そして、とりわけ自分こそが時代の真理を追究する役割を担っているとしても、そのことと、時代の真理を信じることとは、まったく別のものだと思っていたのではないだろうか。
テクノロジー時代の真理など決して本気では信じていない。しかしながら(だからこそ)、それを信じるふりを止めることができない。
テクロノジー時代の真理を追究し、テクノロジー時代の美を実現した結果生まれてくるのは、まともな人間なら決して住まないような「ガラスの鳥かご」や「ガラスの箱」なのだ。こんな御免こうむりたいような真理しか持ち得ないのが自らが住む現代という時代なのだ。そう分かりつつ、現代の真理=美を突き詰めていったシニカルな過激としてのミース。
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