失われつつある東京の坂と路地を訪ね歩く「東京坂路地散人」シリーズ。
前回のvol.8に続いて六本木の残影と坂路地をさまよい続けよう。
70年代後半には人気ディスコが集まった金字塔的存在として文字通り輝いていたスクエアビルも解体され跡形もない。「ネペンタ」、「フーフー」、「スタジオワン」、「サンバクラブ」、「キスレディオ」、「キワニス」、「ギゼ」など何故か記憶に刻み込まれているディスコの名前の数々。
かつて、あこがれと人気の頂点だった伝説のディスコ「キサナドゥ」、後の「ナバーナ」の跡。同名のディスコが営業している。
スクエアビルの奥に突然あらわれる急階段。夜の帳が下りると中腹のマーキーの奥には、この絶妙なロケーションにぴったりのバーがひっそりとオープンする。
夜も明けるころになるとブルーの闇から浮かび上がるように、すり鉢状の地形の底辺に六本木墓地の墓石群が姿を現しはじめる。
六本木墓地そばの蔦に覆われた廃屋。一体いつ頃からこうなっていたのか?記憶にある限りかつても今もこのままだ。廃屋の後ろには不動坂(この坂はなぜかどこにもその名前が見当たらない)に残る見事な樹形の大欅が見える。
この廃屋から丹波谷坂へと抜ける谷底のひと一人がやっと通れるような狭隘な路地。深夜の様々な思いが蘇ってきそうだ。
丹波谷坂。この辺はさすがに交差点付近の喧騒さは皆無だ。とはいえ、隣接する六本木三丁目の再開発が出来上がれば、廃屋も大欅も谷底の路地も丹波谷の静寂さもきっと一変するだろう。
廃屋の前の路地を六本木墓地に沿って登っていくと、鳥居坂を登ってきて六本木五丁目の交差点で外苑東通りを渡り、その後急に幅員が広がり児童公園に突き当たって唐突に終わる不思議な道へと行き着く。この道に面してあったかつての溜まり場「ハンバーガー・イン」、「ヘンリーアフリカ」、「T.G.I.フライデーズ」などもすべて姿を消した。
「六本木」は六本木というごく普通の街になった。なるべくしてなったのである。どの街も特別な街であり続けることなどできはしないのだから。
六本木がかつての「六本木」ではなくなったとしても、坂路地は今もまだかろうじて昔のままだ。
ただの坂路地が都市の奥の魅力的な闇のトポスとして復権し、その街が特別な輝きを取り戻すような、そんな夜をまだ諦めてはいけないのかもしれない。
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