食にまつわる書籍を紹介する“食のエクリチュール”シリーズ。
第4回は伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』(文春文庫)。
この本は決して食をメインの話題にした書籍ではない。しからば、なにゆえに取り上げるのか。それは、この本にアーティーショーとアル・デンテの話題が登場するから。
『ヨーロッパ退屈日記』は1965年が初刊。『北京の55日』の撮影が終了してヨーロッパから帰った29歳の伊丹十三が書いた初めての文章。初出は1963年の「洋酒天国」である。
そこには、当時、最もセンシティブだったであろう日本の才能が出会ったヨーロッパと同じ目で見た日本が書き込まれている。
「カクテルについて書いたついでに、おつまみについて知るところを述べる。といっても、わたくしは別に料理に趣味を持つわけではないから、自分では至極簡単なものしか作らないことになっている。(中略)
また、わたくしには仏蘭西料理だってできるのだよ、その気になれば。
アーティーショーというものがある。英語でいうとアーティーチョークである。一見、緑色した巨大な百合根のごときものであって、その、松傘風に重なった、鱗状の葉っぱの一つ一つは、肉の厚さや、先が針のようになっているところなど竜舌蘭の葉に似ている。(中略)
これを二十分ばかり茹で、次に冷蔵庫に入れて冷やすのである。これで調理は終わり。
小皿にオリーブ油を入れ、これにレモン汁を少々絞り、ブラック・ペパーをたっぷり、塩を少量振りかけてドレッシングを作る。
食べ方、などといっても格別のことはない。アーティーショーの葉っぱを、外側から順に一枚ずつむしってはドレッシングにつけて食べるのである。
ただし食べるといっても、葉っぱの一番根元のところに少量の柔らかい肉があるだけだから、葉っぱの真中あたりを歯でくわえ、葉っぱの先端をつまんでしごくように引き抜くのである。
こうして何十枚もの葉っぱを順番に食べてゆくと、内側になるに従って、葉っぱはだんだん柔らかくなり、ついには殆どそのまま食べられるようになる。
さて、葉っぱを全部むしってしまうと、お皿の形をした芯が残る。芯には細かい毛が密生しているが、これはつまんで引っ張れば一団となって簡単にはがれるから、むしり取って捨てる。この芯がまたうまいね。しかもこの芯に至るまでの工程が、どんなに急いでも十分や二十分はかかるから、こんなに愉しい食べ物はまたとあるまい。わたくしは、マドリッドでアパートを借りてから毎日二つか三つずつ食べ続け、多い時には一日七つも食べたのである。
どんな味がするかっていうと、そうですねえ、一等ちかいものはそら豆じゃないかな。」
約50年前にアーティーショーに対してこのような態度で接した日本人は伊丹十三以外にはいなかったに違いない。1963年という時期の早さが驚きなのではない。アーティーショーを枝豆やそら豆と同種の、酒宴の手始めなどに最適な気の置けない、それでいて手が止まらなくなるような魅力を持った食材と正確に認識し、かつあたりまえに実践しているところが驚きなのだ。
「イタリー人が給仕していないイタリヤン・レストラン、中国人が給仕していない中華料理店、で食事する味気なさは、たとえばイギリス人の給仕で、イギリス料理を食べるにに匹敵すると思うのですが、マドリッドについて最大の失望は、まさにこれであった。
イギリス人なんていうのは、そりゃすごいものを食ってるから。パリパリしたポテト・チップスの上に目玉焼き、なんて、そんなすごいものを食べております。おりますが、ロンドンには本当のイタリー料理があった。中華料理も、渋谷あたりの小さい店くらいに味を出していました。
何故かというと、これは本国人がやっているからです。
ところが、マドリッドのイタリー料理で、メニューにスパゲッティ・イタリアーノなんて出ている。これはいけません。
こういう店のスパゲッティは、概して日本で食べるスパゲッティに似ています。スパゲッティが茹で過ぎてフワフワしている。色んな具が入っていて、トマト・ソースで和え、フライパンで炒めて熱いうちに供す、ということなのでしょうか。
これは、断じてスパゲッティではないのです。これをスパゲッティだという人は、銀座あたりにあるアメリカ人目当てのスーヴェニア・シュップに行ってもらわなばならぬ。そして絹のキモノ・ドレスとかいうものを買っていただく。そして、それを着てハイ・ヒールで街を歩いてもらおうじゃないか。わたくしはそう思います。
しからば、真のスパゲッティとはどういうものなのか。まず、イタリーのスパゲッティを手に入れる。
次に手持ちの中から最大の鍋を選んでお湯を沸かします。大きな鍋がなければ、洗面器でもバケツでもよい、水は多いほどよいのです。
沸騰寸前に塩を一つかみ入れる。
沸騰したら、スパゲッティを、なるべく長いままいれる。
茹で加減は、信州そばよりやや堅いくらい。スパゲッティを一本前歯で噛んで、スカッと歯ざわりある感じ。これをイタリー人はアル・デンテと呼ぶ。
さて、スパゲッティが、アル・デンテにゆであがりました。
これを、たとえば大きな笊にサッとあける。手早く水を切る。まちがっても水洗いなんかしてはいけません。今、空にした鍋にバターを一塊りいれる。まだ、鍋は熱いからバターは溶け始める。そこへ水を切ったスパゲッティを入れる。スパゲッティもまだ熱い。グルグルかきまわすと、バターがまんばんなくゆきわたりますね。
これが、蕎麦でいえば「もり」。スパゲッティ・アル・ブーロと呼ばれるものです。
つまり、スパゲッティというのは、白くて、熱くて、つるつるして、歯ごたえがあって、ピカピカしたものなのです。」
この文章こそ「アル・デンテ」という概念が日本に紹介された嚆矢ではなかろうか。今の日本におけるイタリアンは、ここで書かれた状況を遥か昔のものとするレベルに達していることは衆目の一致するところであるものの、ここでも時期の早さよりも、本質を正確に捕らえる感性こそ感嘆すべきところなのだ。「つまり、スパゲッティというのは、白くて、熱くて、つるつるして、歯ごたえがあって、ピカピカしたものなのです。」とは、今なおパスタ(正確にいえば、乾麺のロングパスタ)というものの本質を捉え過不足なく表現している言葉ではあるまいか。
情報の早さはやがて時代に追いつかれるが、本質を掴む感性には普遍性が宿り、いつの時代にも古びない。
内容と同様に、あるいはそれ以上に、伊丹十三の持つ、正統、正論、正確、矜持という姿勢と、そして同時に漂う、含羞、屈託、倦怠、諦観の空気を伝えてくれるのはその文体だ。
「である」と「ですます」の独特の混在、「硬」による論述の後に突然「軟」の表現に出会うフェイント的展開、地の文とは一転してライブ感あふれる会話文の魅力、などなど。
中でもその独特の語り口の白眉と思われる「黒豆の正しい煮方」(『女たちよ!』(文春文庫))の最初と最後を引用しよう。
「黒豆を食べたかね。黒豆はどういう具合いだったかね。お正月にひとの家で食べさせられる黒豆は、色は真っ黒、長湯したあとの手の指のように皺だらけで、しかもおそろしく堅い。
じょうずに煮られた黒豆は、ほんのり紫色であった、舌で押しつぶせるほどに柔らかくなくてはかなうまい。
さて、そこで黒豆の正しい煮方でありますが、これにはさまざまな説がある。今ここに述べようとするのは、私の京都の宿における流儀でありますが、これはさしてむつかしいものではない。二日間だけ真剣にとりくめば日本一の黒豆ができるのだから、読者よ、どうかその労をいとわないでもらいたい。
それでは、第一日目について記す。(中略)
こうして、二日間の奮闘の末、本格的黒豆ができあがるわけだが、仏も無情ではないか、この黒豆は三日以上は決してもたない仕組みになっている。
たかが黒豆を煮るのに二日の手間を厭わない。しかもできあがったものが三日しかもたないという。これが料理におけるダンディズムというものではありますまいか。」
山口瞳はそうした伊丹十三の姿勢を「優しさから生まれた「厳格主義」」と呼んだ。
『ヨーロッパ退屈日記』をきっかけに、それまでの俳優の世界から文筆業へと転進し、その後は編集者、TVの世界などを経て、映画監督として名声を博したことは語るまでもないだろう。
山口瞳は、この本のあとがきで、未来を予見するかのごとくこうも書いている。「私は、彼と一緒にいると「男性的で繊細で真面(まとも)な人間がこの世に生きられるか」という痛ましい実験を見る思いがする。」と。
伊丹十三。1997年12月20日、自殺。享年64歳。
正統も矜持も含羞も屈託も、この日本では聞かなくなって久しい。
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