ジャン=リュック・ゴダールの『ゴダール・ソシアリスム』 FILM JLG SOCIALISMEを観てきました。
描かれるのは第2楽章と題されたエピソードのタイトルでもある「どこへ行くヨーロッパ」 Quo Vadis Europeというテーマ。
ギリシャ、アイルランド、ポルトガルなどヨーロッパのいくつかの国における財政危機とそれを巡るEU内の亀裂という現実は、いやがおうでもこの映画のアクチュアリティを高めてくれる。
「私たちはギリシャに感謝しなければならないでしょう。西洋はギリシャに対して借りがあるのです。哲学、民主主義、悲劇。私たちは悲劇と民主主義の関係を忘れがちです。ソフォクレスがいなかったら、ペリクレスもいません。ペリクレスがいなかったら、ソフォクレスのいなかったのです。私たちが生きているテクノロジーの世界はすべてをギリシャに負っています。論理学を考えたのは誰でしょう。アリストテレスです。これがこうで、それがそうなら、こうだ。これが論理というものです。これは強国がとりわけ矛盾を生じないように、ひとつの論理の中にとどまれるように、毎日使っている手です。ハンナ・アーレントがまさに言ったようにロジックが全体主義を生むのです。ギリシャのおかげで今みんながお金を稼げているのですから、ギリシャは巨額の著作権料を現代の世界に要求することができるでしょうし、ギリシャにお金を払うことはロジックにかなうことでしょう。すぐに払うことです」(『レ・ザンロキュプティブル』 Les Inrockuptibles誌の2010年5月18日付のゴダールへのインタヴューから。引用はFRENCH BLOOM NETによる邦訳に一部加筆。クレイグ・ケラーによる全文英訳もあり。)
ポール・ヴァレリーはヨーロッパ、あるいはヨーロッパ人とは何か?と問いを発して、それは、ローマ、キリスト教、そしてなによりも、ギリシアに負っているとした。
「ギリシアから我々が受け継いだもの、それこそ、恐らく、我々を他の世界から最も深く差異化したものであろう。我々は「精神」の規律、あらゆる分野で完璧を追求した並はずれた手本をギリシアから受け継いでいる」(『精神の危機』 ポール・ヴァレリー 岩波文庫)
第1次大戦終結の1年後の1919年、ポール・ヴァレリーは、『精神の危機』を「我々文明なるものは、今や、すべて滅びる運命にあることを知っている」という衝撃的な一文で書き始め、ヨーロッパ的なものが世界に伝播することによるヨーロッパ没落への危機感を表明した。
「ヨーロッパの帝国が世界を支配する時代は終わった。それでいいではないか。ヨーロッパは相変わらず、世界で最も美しい街と最高の食事とワイン、世界一豊かな文化の歴史、最も長い休暇、そして、最強のサッカーチームを誇る場所でいられるのだから。大方のヨーロッパ人にとってこれ以上快適な人生などないといってよかった。すばらしい戦略だ。しかし、この戦略には1つの大きな欠陥があった。ヨーロッパは快適な引退生活を送っている余裕などないのだ」(2010年5月11日付ファイナンシャル・タイムズより。引用は日経新聞掲載の抄訳に一部加筆。)
「ギリシア人たちが書いた書物で今まで残っているのはどれくらいでしょう。千冊に一冊です。(中略)99.9パーセントは消え果てしまった。(中略)では、ギリシア文学は敗北したか。それは壊滅したか。かれらは賭けに負け、後には何も残らなかったのか。かれらの努力は全くの無駄だったのか。そんなことは無い。あるわけがない。0.1パーセントしか残らずとも、99.9パーセントの死滅を乗り超えてギリシア文化はイスラーム文化を育て、ヨーロッパを創り、そしてわれわれのこの世界の礎となった。彼らは勝利した。0.1パーセントの絶対的勝利です」(『切りとれ、あの祈る手を』 佐々木中 河出書房新社)
この映画において、ギリシアと並んで今日のヨーロッパの重要なルーツとして暗示されるのがドイツ。
第1楽章「こんな事ども」と題されたエピソードは、地中海を巡る豪華客船を舞台にしたスペイン内戦時代の黄金の紛失にまつわる話を軸にして進む。その鍵を握るのはオットー・ゴルトベルグなるフランス語とドイツ語を操る謎の老人。「アイン・リッター!」などと意味深な言葉を口にする。
「アイン・リッター」は、ドイツ語で「1リットル」を意味するが、音節数や口の形が同じであることから、「ハイル・ヒットラー」を風刺的に言い換えた言葉として、ナチ体制下から使われている、とのこと。(堀潤之氏による劇場版パンフレット掲載のシナリオ採録に付された注釈による。同氏による『ゴダール・ソシアリスム』に関する詳細なblogはこちら)
この、ゴルトベルク=黄金の山と呼ばれる老人は豪華客船ゴールデン・ウエブ号(黄金の波!)を航行させる会社の大株主でもあるらしい。
「歴史として信じられてることと違って、今のヨーロッパは、ドイツの君主たちが統一を図った時代に作られたと考えるべきだ」(SUD RAIL MAGAZINE 2010/4/15号掲載のゴダールへの架空インタヴューより。引用は劇場版パンフレットに掲載の邦訳から。英語版はこちら)
これは、どういう意味なのだろうか。フランク王国のことか?神聖ローマ帝国のことか?
第1楽章および第3楽章(「われら人類」と題されている)でゴールデン・ウェブ号が巡る、エジプト、パレスチナ、オデッサ、ギリシア、ナポリ、バルセロナの6つの都市を、ゴダールは「今の自分を作った場所」であると述べている。
ゴダールお得意の言葉と映像の引用、引用、また引用。
ユークリッドが幾何学を創始したのはエジプト王国のアレキサンドリアにおいてだった。エルサレムを目指す十字軍とシオニズム。パレスチナを巡る問題はヨーロッパにとっての原罪なのか?ロシア革命の象徴としてのオデッサ。エイゼンシュタイン『戦艦ポチョムキン』の引用。ヘラスHellas(古代ギリシャ人によるギリシャの古名)、ヨーロッパのルーツ。クルツィオ・マラパルテの引用で語られるナポリ。そういえば『軽蔑』の舞台はマラパルテの自邸だった。そしてバルセロナ。スペイン内戦。ソ連と国際義勇軍が支持する人民戦線政府と独・伊が支持するフランコの反政府軍。結局、英・米・仏が支持したのは勝利したフランコ政権だった。スペイン内戦が第2次世界大戦の先駆と言われる所以だ。
エジプトの独裁政権の後ろ盾はアメリカだった。
déjà-vu。
今、まさにその崩壊に立ち会っている我々。チュニジア、そしてリビア。
「哀れな、ギリシャ。民主主義と悲劇は、ペリクレスとソポクレスのもと、アテネで結婚した。ただ一人の子供は、内戦である」(第3楽章での画面オフで女の声で語られる台詞)
『ゴダール・ソシアリスム』は語りだすと決して尽きない映画だ。
美しい映像とか音楽とか物語とかとは無縁の、バラバラな解像度と様々な出所からの動画や静止画、暴力的なノイズ的音響がちりばめられたゴダールの最新作。
見る者に今、世界のリアリティを描くにはこの方法しかなかったと納得させるラディカルな映像美の誕生だ。
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