『倉俣史朗とエットレ・ソットサス展』を観てきました。
今回4脚展示されている倉俣史朗の手になる無二の傑作チェア「ミス・ブランチ」 Miss Blanche をはじめ、普段なかなか目にすることが出来ない作品をじかに見られるということもさることながら、そうした作品や映像に触発されながら、デザインやデザインという行為を考える貴重なひと時となりました。
「食事や食卓はその国や民族の文化や生活が現れる場なのだ。キリストが拘束される前に仲間を呼んだのは舞踏会でも音楽会でもなくて晩餐だった。グラスやテーブルウェアをデザインすることは、食や食卓に現れる形式や儀式を改めて考えてみることである」(インタビュー「ヒストリー・オブ・オブジェクト」でのエットレ・ソットサスの発言主旨)
エットレ・ソットサスはいろいろなキッチン用品やテーブルウエアをデザインしましたが、傑作といわれているもののひとつがこのコンディメントセット(コンディメントcondiment とは調味料・香辛料のこと)です。
オイル&ビネガー用のボトル2本とソルト&ペパート用の小型のシェーカー2個が台座から伸びる10本のステンレスパイプの間に配置されきれいなシンメトリーを形成します。ボトルの取り出し易さと固定性を兼ね備えた収まりとなっており使い勝手も抜群です。厚みのある台座と取手として機能する台座中央から伸びるパイプの存在は、置かれた食卓からの独立性、ムーバブルな利便性、場所を問わない安定性などモダンという理念を表象していると思われます。そして、なんといっても絶妙なのが曲線、円、円柱、球などのRのラインが2次元、3次元とさまざまな次元で展開し組み合わされた全体の造形です。高さの違いが生み出す大小のバランス感も見事です。間然としたところが全くない小宇宙とでも呼びたくなるよう完成度のデザイン。それでいて現代的な食卓をイメージさせる親しみやすさも併せ持っているところがこのデザインのこれまたすごいところです。R形状のトップが5つ集合した様子は「食卓のモスク」と形容されているそうです。
我が家ではボトルにお醤油と非加熱用で食するオリーブオイルを入れて使っております(残念ながらソルト&ペッパー用のシェカーの方は、機能的に我が家で使う塩とブラックペッパーの仕様には合致せず今は空のままです。いつか違った用途で使えないものかと日々思案している最中です)。
ダイニングテーブルに置かれた醤油とオリーブオイルの入ったこのイタリア製の「食卓のモスク」を日々見るにつけて、現在の日本の食卓のワールドワイドな相貌を思わずにはいられません。
「食卓はその国の文化を表す」と喝破したエットレ・ソットサスの慧眼、恐るべしです。
「映画を観たりや本を読んだりした後は結構長いあいだ観たり読んだりしたものについて考え続けています。おかしなことに必ずあったと思い、具体的なショットまで覚えているシーンが完全な思い違いで実際はなかったりすることが良くあります。例えば、キューブリックの『2001年宇宙の旅』でボーマン船長が足を踏み入れる床が光る不思議な室内のシーンで、船長が宇宙服のまま大型の冷蔵庫の扉を開けるシーン(*)があったはずだと思って何回も見直すんだけれど、実際はそんなシーンはないんです。考え続けているうちにいつの間にか自分で映像を創り上げているんですね。」(インタヴュー「浮遊へのあこがれ」 “MISS BLANCHE ET L' APESANTEUR” での倉俣史朗の発言主旨)
驚いたのはこの話を聞きながら不思議なことにわたくしも、宇宙服とヘルメットを身に着けたボーマン船長が例の室内に唐突に置かれたGEかなにかの大型の冷蔵庫を厚いグローブをした右手で開けるとワッと光が拡がってくるその瞬間の映像をはっきりと思い浮かべていることでした。
聞いている言葉を自分なりに映像化して理解するということはよくある体験ですが、今回は言葉をきっかけに忘れていた記憶が一瞬のうちに蘇ったという感じのリアリティでした。
これはどういうことなのでしょう。
わたくし自身は、そのシーンを探したりしたことは全くないので、倉俣史朗と同じようにそうしたシーンがあったという記憶をあらかじめ持っていたということではなさそうです。
ただ、『2001年宇宙の旅』の白い光の満ちた不思議な室内のシーンと冷蔵庫の扉を開けると漏れ出てくる光のイメージがどこかで潜在的に意識されていたことは間違いありません。
別々にあったそうした不定形なイメージが、倉俣史朗の言葉をきっかけに一瞬のうちにつながって架空のしかしながらリアルな映像として結実し顕在化したということのようです。
深夜、暗闇の中で開ける冷蔵庫から漏れ出る光の束に包まれると、そこがいつものキッチンではなく、どこか別の時空に迷い込んでしまったかのような感覚に襲われたことがないでしょうか。
そして『2001年宇宙の旅』におけるボーマン船長が迷い込む光床からの均一な白い光が満ちた不思議なモダンバロックの静寂の空間は、まさに時間と場所が不明瞭となった空間です。
白い光に満ちた「どこでもない」場所。
この不思議な体験をきっかけに、これまでさほど熱心に関心を持ったことがなかった倉俣史朗という存在が急に気になる存在となりました。
そして作品集を眺めながら、遅まきながら「そうだったのか」と思い至りました。Lighting Shelvesと名づけられた、側面から光を当てられたアクリルの棚板が白く発光し、どこか怖いようなそれでいて思わず惹きつけられて目が離せなくなってしまう空間を形作っている作品は、きっと倉俣史朗の脳裏にあったボーマン船長が開けるはずであった冷蔵庫から漏れ出てくる白い光に満ちた「どこでもない」場所のイメージがきっかけになった作品なのだと。
* ちなみに、映画をノヴェライズしたアーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』にはボーマン船長が宇宙服のまま冷蔵庫を物色するシーンが描かれている。
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