『倉俣史朗着想のかたち』 鈴木紀慶編著 (六耀社)のなかで深澤直人がこんなことを言っています。
「エクスキューションをいかに極めるかによってそのものの魂が宿る、完成度の高いもののみがそのものの概念をピュアに伝えることができるということがわかってきた」
エクスキューション execution とは作品、演奏、演技、製作、施工の出来映えのことです。
このことはなにがしかデザインや創作や製作に携わっている人にとっては、深く肯かざるを得ない真理ではないでしょうか。
深澤直人はこうも言っています。アメリカに渡ってしばらくしてこのことに気づいた時に、日本人デザイナーで「唯一はっきりとした存在として思い浮かんだのは倉俣史朗だけ」だったと。
そして、倉俣史朗のデザインのエクスキューションの具体例として、<イッセイ・ミヤケ・メン・南青山>のインテリアにおける入り幅木と眠り目地を挙げています。
普通の幅木(出幅木)を僅かばかり引っ込めて入り幅木とすることによって、壁が床から少し浮いて始まることにより床と壁が交わる空間の「隅」をきりっと見せながら、床と壁から構成される空間そのもの質を改めて意識させるようなデザイン。
粒子の細かい花崗岩を目地なしで施工することによって、花崗岩のなかの細かい石英、長石、雲母のテクスチャーがまるで都市の室内空間に一面に砂を敷き詰めたようなイメージを作り出しているデザイン。
「ミニマリズムを達成するということは、隅や縁やつなぎ目を整えることに集約してくるのです」
こうしたフレームレス(境界に枠的なものがない収まりのことこう呼んでいます)の収まりの重要さはことミニマリズムに限りません。
同じイメージやアイディアに依ったデザインでも、フレームの有無にこだわるかどうかで出来上がりは雲泥の差です。ダルな空間、ノイジーな空間、しまりがない空間、落ち着かない空間などなど、精神の安定に資することを求めれらる今日の空間デザインにおいてオウト・オブ・センスといわざるを得ないデザインが大半を占めるのが我々の置かれている現実です。
入り幅木も眠り目地も、材料や施工の精度が問われ、手間やコストもかかるため、技やこだわりに重きを置かず手間を厭う今日的な建築業界風土では明らかに嫌がられる手法です。
エクスキューションを極めるには、研ぎ澄まされた概念(デザイン)に加え、それを実現する技術やこだわり(職人)、そしてそれらを粘り強く求めていく現場での踏ん張りが不可欠なのです。
原研哉はこう言っています。
「センスの悪い国で精密なマーケティングをやればセンスの悪い商品がつくられ、その国ではよく売れる。(中略)ここで言う「センスのよさ」とは、それを持たない商品と比較した場合に、一方が啓発性を持ち他を駆逐していく力のことである」(『デザインのデザイン』 岩波書店)
何故、しつこくディテールや細部にこだわるのか。それは単にデザインする側の独りよがりの趣味や気まぐれではないのです。こだわらなければ前線が後退してしまうのです。
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