土地には土地の酒と飲み方がある。
ジンジーニャ GINJINHA または簡単にジンジャ GINJA という酒をご存知か?(以下はジンジャで通す)
ジンジャはポルトガルのさくらんぼのリキュールで、ワインから造ったアグアルデンテといわれる酒(ブランデーやグラッパや焼酎と同じ蒸留酒だ)にさくらんぼの一種であるジンジャの実を加糖して漬けてある。
ジンジャは特にリスボンでよく飲まれているらしい。リスボンにはジンジャだけを立ち飲みで飲ませるジンジャ屋があるぐらいだ。専用バールというのだろうか、ジンジャのボトルそのものも売っていたりして、日本でいう角打ちに近い感じとでもいおうか、この立ち飲みのジンジャ屋がなかなかなのだ。
広さはせいぜい1坪か2坪、4、5人入ればいっぱいという感じだ。メニューはジンジャしかない。他の酒もないし当然つまみなどもないというストイックさがたまらない。カウンター越しに「一杯」とかなんとかいうと、瓶を傾けながら口にかけた親指をちょっとずらしてショットグラスきっかり一杯分の琥珀色の酒を注いでくれる。グラスの底には漬け込まれたさくらんぼがいくつか沈んでいる。さくらんぼは小さなオリーブあるいは本邦の小梅ぐらいの大きさだ。
どんな味がするのか。
はやる気持ちを抑えてショットグラスを口に運ぶ。とろっとしたぶ厚く濃い甘さが舌を流れ喉を打つ。強いアルコール特有の刺激がそれに続く。漬け込まれて深くくすんだ色のさくらんぼを口に含む。甘みはすでに液体の中に散逸しているのか、かすかに残った果実味とアルコールによるビターな味わいが舌にぱっと広がり香りが鼻腔に抜けてゆくのがなんとも心地良い。
店の客は概ねオッサンだ。一口飲んでなにやら虚空に目をやったり、壁を睨んだりしてまた一口という感じでやっている。オッサンの多くは寡黙だ。こちらが濃厚で刺激的な一杯をゆっくりやっているあいだにも、ひっきりなしにお客が出入りする。ジンジャは人気があるのだ。平日であろうが昼間であろうが関係なし。サッと来て寡黙にグイッと煽る。なかには一気に飲み干す猛者も少なくないようだ。寡黙にグイッと煽って、サッと出てゆき、さくらんぼの種を路上にペッと吐き出して去ってゆくのだ、たぶん。
なんと潔い飲み方なのだろうか。場所も相棒も要らない。肴も音楽も無縁だ。酒と己だけが対峙する。そして、そんなストイックさの極北とでもいうべきスタイルの一方で、酒そのものはこの上なく甘美で可憐なさくらんぼまで入っているという、この意表をついた鮮やかなコントラスト。なんともハードボイルドではないか。
ジンジャを知った、というかリスボンの魅力を教えてくれたのが杉田敦の『白い街へ』(彩流社)という一冊だ。
アラン・タネール、フェルナンド・ペソア、アントニオ・タブッキ、カエターノ・ヴェローゾ、ヴィム・ベンダース、マドレデウス、アルヴァッロ・シザ、ヴァルター・ベンヤミンなど、リスボンに魅せられた様々なアーティストたちへの思いとリスボンの街をさ迷う歩く様子を重層的に綴った語り口が旅心を誘う。
ヴィーニョ・ヴェルデ(発泡性の軽い飲み口の白ワイン)、バガッソ(滓とりブランデー)、インペリアル(生ビール)、ビファーナ(ポークソテーのサンドイッチ)、そしてジンジャなど、そこここで登場するバールメニューがまた誘惑する。
その結果、リスボンに行ってジンジャを飲むことになったというわけだ。
「「最初に船出して最後に帰国した」と他のヨーロッパ諸国から揶揄されるように、大航海時代、先陣を切って海外に進出し繁栄したポルトガルは、国内をないがしろにしたわけではないとしても、植民地貿易の独占状態が崩れると同時に、経済状態も不安定になっていく。やがてナポレオンとスペインが侵攻してくると、本国を捨てて植民地ブラジルに首都を移転することになるのだが、この状態は、海外への拡張がたたり、ついには本国を失ってしまうという本末転倒といえなくもない。しばらくして本国は回復するものの、脱植民地経済の流れのなかで一歩も二歩も遅れをとり、結局ポルトガルは、ヨーロッパのなかではある意味で辺境としての地位に甘んじることになる」(同書)
サウダーデ Saudadeの国。懐かしさ、愛惜、未練、思慕、ノスタルジー、喪失感etc. サウダーデとは失われたものへの感情すべてを表している言葉だそうだ。1500年代に世界の先陣を切って大航海に船出していって以来、この国はすでに500年以上に渡ってずっと失い続けているのかもしれない。
Best & Lost こんな言葉が脳裏に浮かんでは消える。
くだんのロシオ広場に近いジンジャ屋では瓶売りもしており、カウンターで一杯やったついでに一本買ってきてみた。瓶の容量は1000mlとワインよりやや大振りだ。
時たまアペリティフなどで一杯やっていたが、その味はいつも、甘くて苦くて濃くて強くて、どこか遠くにいて何かを思い出すような、素朴で切ないような、リスボンの街の記憶そのもののような味だった。
瓶の中身はそろそろ底をつきかけている。またリスボンに仕入れに行かなくては。
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