『時は老いをいそぐ』は今年3月に亡くなったアントニオ・タブッキの短編集。イタリアでは2009年に出版されたが、日本での刊行が亡くなる1ヶ月前ということもあり、何となく遺作のように思えてくる。
買って積んどいた本書をタブッキの訃報を聞いてからあわてて読んだ。ジョセフ・クールデカのちょっとシュールなカヴァー写真が秀逸だ。
アントニオ・タブッキを知ったきっかけは、須賀敦子が『インド夜想曲』の訳者だったからだ。
『逆さまゲーム』、『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』、『島とクジラと女をめぐる断片』、『供述によるとペレイラは・・・・』など、タブッキの作品はそのタイトルがユニークだ。見知らぬ世界がぽんと目の前に投げ出されているような感じが良い。どうだい、読んでみたくなるだろう?と語りかけているようだ。タブッキワールドへの誘い。『ダマセーノ・モンテイロの失われた首』なんて、思わず手にとってみたくなるではないか。
今回のタイトルも相変わらずタブッキらしく印象的でかつ意味深だ。原題の ”Il tempo invecchia in fretta” は、直訳すると時間は急速に年を取る、時は急に老けるという感じだろうが、その意味するところはなんなのだろうか。
冒頭にソクラテス以前の哲学者による断章ということで「影を追いかければ、時は老いをいそぐ」というエピグラフが載せられている。
本書の物語りのほとんどは、あることが終わった時点から語られる記憶の物語だ。
ジュネーブでの夫の親族の集まりで一族の年の若い妻と2人の子供の姿をみたことをきっかけに、結婚して15年たっても子供がいない現実を改めて自問する38才の女性。集まりを抜け出して高原に佇む彼女に生まれたマグレブの砂漠や育ったパリの高級アパルトマンの記憶が蘇ってくる。そして馬の群れが現れ、彼女を取り囲み円を描き出すのだった。(「円」)
テル・アヴィヴの立派な老人ホームでルーマニア系ユダヤ人が語るブカレストの思い出。そこではファシスト政権も共産党の弾圧も同じような懐かしい記憶として語られる。そして今はローマに住むイスラエル生まれの息子に向かって「ブカレストは昔のままだ。そう思わないかおまえも?」と問いかける。(「ブカレストは昔のまま」)
クロアチアの海辺のリゾートで薬を飲みつづけながら一日中パラソルの下で過ごす45歳の男は、実はコソボ紛争の平和維持軍に参加して劣化ウランを浴びたイタリア人兵士であり、療養と称しながらその効果が顕在化するかどうか待っている人物であるということが、知り合った少女との会話のなかで明らかになる。「退屈しないの」と問われ、「ちっとも。雲占いの術をみがいているんだ」と答え、ペルーからイタリアに養女に来たらしい少女にその術を教え始める。(「雲」)
60がらみの白髪まじりのイタリア男がフィウミチーノ空港からギリシアのクレタ島に向けて旅立つ。男は滞在予定のホテル向かおうとするがいつの間にか何かに導かれるように古い修道院に行き着く。男は扉から出てきた隠者のような老人にこう告げる「交代しに来たんだ」。この物語は作者による物語のように始まりながら、実はこの男自身が構想している創作であることが次第に判ってくる。事実、クレタ島についた男は物語の執筆に意欲を燃やし滞在予定のホテルに向かおうとするが、やはりいつのまにか・・・・。自らの物語に取り込まれるようになる男の語る物語とはやはり記憶だったのだろうか。(「いきちがい」)
人は気がつけばいつも今を生きている。今はいつの間にか過去となり、今いる自分にふと気がついて愕然とする。今から振り返れば時は常に老いを急いできたように思える。光陰如箭。影を追うとは、たぶん人生を生きるということなのだ。
記憶とは何なのか。現在から思う過去であり、それは過ぎ去った生であるとともに、それを語る今の生の一部でもあるのだ。記憶とは決して昔の時間ではなく今の時間の一部なのだ。
物語の主人公の多くは、記憶を語りながらそれを語る今に戸惑っているようにみえる。それは急ぐ時に対する戸惑いなのか。今の時点から思えば過去はすべて遠い彼方のことのように思えてくる。
急ぐ時に戸惑いながらも記憶を語り、今を生きる私たち。記憶を語ることは、老いを急ぐ時へのささやかな抵抗のようなものかもしれない。収められた9編の物語の主人公はすべてそういう人々だ。「ミニマリスト」のタブッキらしく、主人公の置かれている状況や過去の経緯やその理由などの説明はほとんどない。しかしながら、あるいは、説明がないからこそ、彼らの語る言葉が内包する時への思いのようなものが普遍性を宿し読む者の心を打つ。
タブッキの『フェルナンド・ペソア最後の三日間』を手にとっていたら、2枚の絵葉書と1片のチケットが挟んであった。絵葉書にはそれぞれリスボン名物の黄色い市電エレクトリコとサンタ・ジュスタのエレベーターの写真が印刷されている。チケットはこれも坂が多いリスボンの名物ケーブルカーに乗
ったときのものだ。
何年か前のポルトガルへの旅のお供はそういえばこの本だったことを思い出した。アズレージョ(ポルトガルのタイル)が描かれた紫がかった濃いブルー表紙の本 は、その結果、いい具合にボロボロだ。
リスボンへの旅のお供にするとすれば、タブッキがポルトガル語で書いた『レクイエム』の方がむしろ良いかもしれない。主人公はペソアと思しき詩人(の魂)と会う約束でリスボンを訪れるという想定の、ペソアへ捧げられた鎮魂曲のような美しい作品だ。
そういえば、ペソアもリスボン案内を書いているのだ。しかも英語で(『ペソアと歩くリスボン』 彩流社)。こちらは正真正銘のガイドブックとして書かれている。実に詳しい。リスボンをこよなく愛するペソアは、リスボンを顕彰し、広く知らしめる文章をなれない英語で書いていたのだ。なんといっても驚ろかされるのが、約100年前の案内や地図が今もほとんど通用するということ。ポルトガルの黄昏は年季が入っている。大航海時代を頂点とするともうすでに400年以上だ。
もしかしたら、タブッキは、ペソアが英語で書いたこのリスボンのガイドブックへのオマージュとして、リスボンを舞台にした作品をポルトガル語で書いたのかもしれない。レクイエムとは黄昏つづけるリスボンへの鎮魂をも意味しているのだ。
『レクイエム』の主人公は、詩人との約束までの間、リスボンの街をさまよい歩きながら死者を含むさまざまな人物と出会う。旧友が埋葬されている墓地を尋ね、その霊と会話を交わす一節がある。その舞台が、リスボン市内のプラセレス霊園cementerio dos Prazeresという由緒ある霊園。
アントニオ・タブッキは2012年3月25日リスボンで息を引き取る。タブッキはペソアが1935年に亡くなった時に最初に埋葬された墓地と同じ墓地に埋葬された。その霊園はプラセレス霊園という。
アントニオ・タブッキ 享年68歳 R.I.P.
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