「美とは美との関係だ」と喝破したのは青山二郎だが、このことは美を標榜する分野に限ることではないのだろう。
かつて読んだ本の一節が以前とは全く別のリアルさを持って迫ってくることはないだろうか。物事の理解とは対象との関係性に大いに「関係」するのだ。
宮脇檀『コモンで街をつくる』(丸善プラネット)は、戸建の街並みづくりの理論と実践に関する、今もって唯一といってよい書籍である。
過去に繰り返し読んだ本書を、今回、仕事上の必要に迫られ読み返した。
宮脇は冒頭にこう記している。「自分の敷地に自分の家、という願望の現実としての強さをどう評価すべきか」と。
戸建の街並みづくりの実務書の冒頭に置かれるにはあまりにふさわしくない反語的な含みを持った問いかけだ。
宮脇はこうも記している。
「現実の強さが否定できないのだったら、それを正しく全体の体系の中に組み込み、正統な子として扱うことはできないだろうか」
「戸建て住宅地の形成に関する試みは、スタートしたばかりだ。私たちはさまざまなケーススタディの中で暗中模索を繰り返している。本当に戸建てが正しいのか、本当に全体を決定的に建設する以外にないのか、だれも答えを知らない。けれど人びとが今求めているものが、こうした住宅地であり、しかもそれが放置されたままにされているという事実がある時に、何とかしてその住宅地をより良くする方法がないだろうかを考え続けてきて、1つ1つ小さな部分の解答を見つけだす努力をしながら今日に至った」
宮脇は持ち家戸建てという居住形態に疑問を呈しつつ、その戸建ての街並みづくりに奔走していたのだ。
宮脇檀をして、自らとしては容認したくない、しかしながら現実の願望としては強固な持ち家戸建てという存在を都市の住環境としてなんとか馴致させようとする地味で勝算のなさそうな仕事にコミットさせたのものは何だったのだろうか。
彼独自の都市に対する倫理観だったのか、建築を生業として、なかんづく住宅建築にその持てる才能を発揮した者のある種、意地のようなものだったのか。
その動機や理由の如何によらず、本書で提案・実践された成果が今もって戸建街並みづくりの唯一の参照項であるという事実は、宮脇の残した仕事の価値の高さを裏づけている。
宮脇はコモン(共有)をキーワードに、固い所有権の塊である戸建て住宅地を街や外部に開こうとしていた。
残念ながら、こうした宮脇の思いと実践とその成果は、バブル崩壊後の地価の下落傾向によって街づくり型の戸建開発という事業モデルそのものが成立しなくなってしまい、今日ではあまり省みられなくなってしまった。
宮脇にとって住宅は公共的存在としてあるべきであり、都市型住宅の本来のあり様はあくまで集合住宅だった。宮脇は集合住宅を「公共の住宅」と呼んでいる。
しかしながら日本における集合住宅は、とても「公共の住宅」とはいえない。経済対策の目玉として戦後一貫して持ち家政策のアクセルを踏み込み続ける日本においては、集合住宅の主流は、分譲マンションあり、この国では公的住宅の供給は何年も前に事実上ストップしている。
この分譲マンションもまた、居住者の高齢化や単身化、建物や設備の老朽化が進むなかで、区分所有権の陥穽に落ち込んで喘いでいるようにみえる。
「自分の敷地に自分の家、という願望の現実としての強さをどう評価すべきか」と宮脇が反語的に問いかけた問題は、戸建てを超えて集合住宅の領域においても顕在化しており、日本の住宅はその所有形態のあり方という根本へと遡及せざるを得ないのが今の日本の住宅の置かれている状況のように思える。
「戸建住宅地が、公共的な立場からは正統の子としての扱いを受けず、私生児として民間の商行為に委ねられたまま放置され、結果として無視できぬ強さになって街並みという形で住環境を考えねばならなくなった、という事実。そんな歴史のつけが、今、ドッと被さっているのだから、その重さは一度に取り払えるものではなく、あらゆる部分で少しずつ部分的な戦術的勝利を積み重ねながら、戦略的な勝利へ持ち込む以外に方法がない」
宮脇は冒頭の反語的問いで始まった文章を、最後はややパセッティクなリアリズムで結んでいる。
日々の戦線に身を置くなかで私たちもまた言わなければならないのだろう。「過剰な希望は持たず、絶望することもなく」(アイザック・ディネーセン)と。
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