骨董通りを歩いていたら、ショーウインドウのガラスに映されたDaniel Craig ダニエル・クレイグの映像が目にとまり、よく見ると12/1から日本で公開されている007シリーズの新作 SKYFALL 『スカイフォール』の予告映像だった。『スカイフォール』はボンドの敵役をJavier Bardem ハビエル・バルデムが演ずるということで注目をしていた一作、しばし予告編の映像に釘づけになってしまった。
『スカイフォール』が映し出されていたのはヴァルカナイズ・ロンドン青山店のショーウィンドウ。同店はハケット、ターンブル&アッサー、グローブ・トロッター、フォックス、スマイソン、クリケット&ジョーンズなど英国のハイ・ファッションを扱うショップだ。
ショーウィンドウに流されていた予告編は、007シリーズの公開50週年を記念して同店で開催されているJames Bond ジェームス・ボンド衣装展”A taste of 007 stylet展”の一環だったようで、グローブ・トロッターが今回の23作目のオフィシャル・パートナーとして劇中のライフルケース”SKYFALL CASE”を製作しているのが縁のようだ。
1階入口に展示された”SKYFALL CASE”を横目で見ながら2階に足を運ぶと歴代のジェームス・ボンドとボンドガールが着用した衣装などが数点展示されている。
注目はSean Conney ショーン・コネリーが『サンダーボール作戦』(原題Thnuderball 1965)で着用したという茶のスーツ。仕立てはAnthony Sinclair アンソニー・シンクレア。ナチュラルショルダー、2つボタン、狭いラペル、控え目なウエストシェイプ、短めの着丈、スリムなトラウザースなど、初期のコネリーボンドではお馴染みのスタイルのスーツだ。ショーン・コネリーのがっしりした上半身にあわせたジャケットの肩幅の広いこと!スレンダーな今時のマネキンでは肩と胸が明らかに持て余し気味だ。もちろん007ならではの左サイドに設けられたワルサーPPKを吊すホルスターのためのゆとりのせいもあるのだろうが。シャツは白のターンブル&アッサーのワイドスプレッドカラーのものが合わせられている。
映画では最初の方でMから指令を受けるジェームズ・ボンドが着用していたスーツだ(★1)。
ジェームズ・ボンドのスーツはその後、いろいろと変遷を重ね、現在のボンド役のダニエル・クレイグのスーツは、前作の『慰めの報酬』からはTom Ford トム・フォードが担当しており、今回の展示では、『スカイフォール』で着用したグレイのストライプスのスーツも展示されている。
もちろんショーン・コネリー時代のものに比べると、圧倒的にタイトな仕上がりだが、ダークなカラー、ナチュラルショルダー、狭いラペル、抑制されたウエストシエイプ、細いネクタイ、白のTVホールドのポケットチーフなど、初代ボンドが確立したスタイルを強く意識したものになっている。
展示されている『サンダーボール作戦』で着用したスーツをはじめ、初代ボンドのショーン・コネリーが着用したスーツはすべてアンソニー・シンクレアによるビスポークであり、一般にConduit cut コンジット・カット(コンジット、あるいはコンドュイットとは、アンソニー・シンクレアの店があった通りの名前でサヴィル・ロウに直行している)の名で呼ばれている。展示されてるスーツに見るように、それは当時のサビル・ロウからイメージされる、いわゆるイングリッシュ・ドレープの優雅な印象とは一線を画したシンプルな仕立てのスーツだ。
ジェームズ・ボンドのイメージを決定づけた、この初代ボンド ショーン・コネリーが着たスーツのルーツは一体どこにあるのか?その謎を追ってみた。
アンソニー・シンクレア、ターンブル&アッサーなどはもともと、第1作目の『ドクター・ノー』、2作目の『ロシアから愛をこめて』、そして4作目の『サンダー・ボール作戦』の監督だったTerence Young テレンス・ヤングが贔屓にしていたテーラーだった。
テレンス・ヤングは007シリーズ以外でも、『暗くなるまで待って』、『レッド・サン』、『バラキ』などの秀作や話題作を撮った70年代に活躍した監督。
DRESSED TO KILL (flammarion)という007のスタイルやファッションを語った本に『サンダーボール作戦』のセットで撮られたテレンス・ヤングの写真が載っている。一緒に写っている女性はモリー・ピーターズ。
ナチュラルショルダーのダークなスーツ、ワイドスプレッドカラーにフォア・イン・ハンドで結んだナローなソリッドタイ、ターンバック・カフ(英語ではCouctail cuffs カクテル・カフと呼ばれることも多い)など、この写真の姿を見る限り、後にジェームズ・ボンドのトレードマークとして有名になったスタイルやディテールは、元々テレンス・ヤングの好みだったことが窺える。
「テレンス・ヤングがまさにジェームス・ボンドだった」との証言があるように、映画におけるジェームズ・ボンドのスタイルは、テレンス・ヤング自身のスタイルがベースになっているのだ。
どちらかというと肉体派(ショーン・コネリーはボディービルダーの肉体の持ち主であり、ハリウッドでは「ザ・トラック・ドライバー」と呼ばれていた)でスーツなどは一度も着たことがなかったといわれるスコットランド出身の若者を、テランス・ヤングは自らのテーラーに連れて行き、自らのディレクションのもと、駆け出しの俳優ショーン・コネリーからイギリス情報部のシークレットエージェント ジェームズ・ボンドへと変身させたのである。
手がかりを探してアンソニー・シンクレアを調べていたら意外な事実が分かった。アンソニー・シンクレア本人は1982年に引退しているのだが、その名前を冠したAnthony Sinclair Ltdというテーラーがロンドンで開業しているのだ。それはデザイナーのDavid Mason デビッド・メイスンがクリエイティブ・ディレクターを勤め、アンソニー・シンクレアの弟子だったRichard W Paine リチャード・W・パインと供にやってるテーラーで、アンソニー・シンクレアの哲学を今に継承する服作りを目指している。
そのテーラー Anthony Sinclair Ltd のその名も CODUIT CUT というブログにコンジット・カットの興味深い由来が載っている。それによると、アンソニー・シンクレアの顧客にはイギリス陸軍の士官などの顧客が多く(テレンス・ヤング自身が元イギリス陸軍士官だった)、コンジット・カットとは、彼らが好んだ平服スタイルに端を発したデザインだったらしい。彼らはシングル・ブレステッドのナチュラルショルダーの上着にスリムなCavalry–cut(いわゆるモーニング・カットと同じか)のトラウザースをあわせることを好み、コンジット・カットとは、そうした好みに合わせて作り出された、動きやすいカット、適度な胸のドレープ、ロープトップのスリーブ、シェイプしたウエスト、ややフレア気味にヒップにかぶさる裾などを特徴としたスタイルで、そのイメージはHacking jacket(乗馬服の上着)から取られたものだったようだ。
この写真はAnthony Sinclair Ltd のにウェブに掲載されているContemporary Conduit Cut と名付けられて提供されるジャケットの写真だ。
この写真やその由来から判断する限り、いわゆるコンジット・カットと呼ばれているものと、例えば今回展示されていたショーン・コネリーが実際、着用したスーツとはかなり印象が異なっている。コンジット・カットはあくまでシンプルにモディファイされたサヴィル・ロウ・スタイルという感じであるのに対して、初代ボンドのスーツはもっとストイックでミニマルな印象なのだ(★2)。
日本で初代ジェイムズ・ボンドのスタイルを正確に再現したスーツを仕立てることができると言われているテーラー batakのサイトにこんな説が載っている(下の写真はそのJ.Bモデルと呼ばれスーツのジャケット)。
60年代のメンズ・ウエア界では、イタリア・モードが注目を集めており、その立役者がフルシチョフのアメリカ訪問の際のスーツを仕立てたことで有名な、サルトとデザイナーの融合をはかった先駆者といわれているAngelo Litrico アンジェロ・リトリコで、そうした流行をいち早く取り入れたのがアンソニー・シンクレアであったのではないかとの説である。確かに初代ボンドのスーツのシンプルな印象は、イタリアのいわゆるコンチネンタル・スタイルに近いものがある。
アンジェロ・リトリコと同じローマのテーラー Brioni ブリオーニが1952年にフレンツェの第3回のイタリア・ハイファッション・ショー(現在のピッティ・イマジネ・ウオモの前進)で紳士服のコレクションを発表する。1959年にはロンドンでもコレクションを発表し、柔らかい生地、ナチュラルなフォルム、フィットした着心地という、それまでのサヴィル・ロウのスーツにはなかったイタリアのスーツの魅力がロンドンでも大きな話題になる。1960年前後を境にイギリスのスーツスタイルにも新しい変化が起こり始めていたことは間違いなさそうだ。(Cristina Giorgetti Brioni FIFTY YEARS STYLE (OCTAVIA,1995))
伝統的なサヴィル・ロウのスタイルに比べて、よりシンプルなイメージのコンジット・カットを特徴としていたアンソニー・シンクレアが、ナチュラルなイタリアン・スタイルに興味を持ったことは十分考えられる話だ。あるいは、そのきっかけになったのは、やはりテレンス・ヤングだったのかもしれない。アンジェロ・リトリコを後継しているLuca Litricoのサイトに掲載されている当時のアンジェロ・リトリコのスーツ姿(下)と先のテランス・ヤングのスーツ姿は、そのソフトにフィットしている感じなどが似ていなくもない。
とはいえ、初代ボンドのスーツのラペルの細さやミニマルな印象は、アンジェロ・リトリコ、ブリオーニ、あるいはカラチェニなどの、当時のローマン・スタイルと呼ばれていたイタリアン・コンチネンタル・スタイルそのものとは思えない。ローマン・スタイルは、シンプルとはいえ、やはり初代ボンドのスーツに比べ、ソフトで艶っぽくてエレガントな印象であり、ラペルの幅ももっと大きかった。
では、ショーン・コネリーが着たスーツの、今時のスーツにも繋がるようなミニマルさは果たしてどこから来たのだろうか?
ここからは仮説なのだが、それは意外にもアメリカに由来するのではないか。その仮説をこれから展開してみたい。
下の写真はMiles Davis マイルス・デイビスの MY FUNNY VALENTINE(1964)というアルバムジャケットだ。
しなやかな生地、細いラペル幅、フィッシュ・マウスっぽいラペル、自然な肩、ロープトショルダー、胸のドレープ、短めの着丈(おそらく)など、マイルスは一見してテーラードと分かるしかもミニマルなイメージのスーツを身につけている。
マイルス・デイビスのおしゃれ好きは有名であり、60年代前半まではスーツ姿でステージに立っていた。マイルスは50年代後半あたりからブルックス・ブラザースやイタリア製のオーダースーツを好んで着ていたそうだ。(マイルス・デイビス、クインシー・トループ 『マイルス・デイビス自叙伝』 宝島社文庫)
マイルスは1949年に初めてパリに行って以来、それ以降も頻繁にヨーロッパに渡っている。そんな際、イタリアまで足を伸ばしてサルトでスーツをオーダーしていたのかもしれない。事実は不明だが、おしゃれなマイルスのことだ、イタリアのサルトの評判は当然知っていただろうし、マイルスのオーダーに応え、イタリアのサルトによる手仕事がそれまで世界のどこにもなかったクールでモダンでミニマルな一着を創り上げた、そしてそれらが基になりモダンなイメージのイタリアン・コンチネンタル・スタイルが生まれ、さらには、それらは1960年前後のイタリア・スタイルのブームのなかでイギリスの服好きの連中にも伝わった。あり得る話だ。
あるいは、こういうことも想像できるかもしれない。1957年11月、マイルスは3週間パリに滞在し、ルイ・マル監督のたっての要望で『死刑台のエレベーター』(原題Ascenseur pour l'échafaud 1958)の音楽を録音する。ラッシュを見ながら即興で演奏したという有名なエピソードが残っている。こうした話題をドーバー海峡を隔てた同業のテレンス・ヤングも当然知っていたのではなかったか。そして、服好きのテレンス・ヤングは当然、マイルスのモダンでクールなスーツ姿に注目したに違いない、と。
事実、同じ時期に、こうしたマイルスを初めとするアメリカのジャスメンらのクールでモダンな感覚が基になって、ロンドンのおしゃれな若者のあいだでモッズ Modsという流行が生まれる。モッズとは、まさにイタリアやフランスのスーツやアメリカのモダンジャズやR&Bを好んだおしゃれなロンドンの若者のことをModerns モダーンズと呼んだことに由来している。スリムでスタイリッシュなスーツはモッズ・スーツと呼ばれた。影響は若者だけに限られたいたとは思えない。
The Rat Pack と題されたThe Telegraph のサイトのフォトブックに載っている次の一枚を観て欲しい。
写っているのは左からフランク・シオナトラ、ディーン・マーチン、ピーター・ローフォード。キャプションによると『オーシャンと十一人の仲間』(原題Ocean’s Eleven 1960)のプレミアの際のラスヴェガスで撮られた写真らしい。後にコンテンポラリー・スーツと呼ばれることとなったスーツの原型と思われるスリムなスーツを着たRat Pack ラット・パック(いわゆる「シナトラ一家」のことをこう呼んでいた)の面々。スマートなシルエット、細いラペル、ライトウエイトのしなやかな生地、現在でも十分通用するリーン&ミニマルなカッコよさだ。
こうした、アメリカのジャズメンやハリウッドスター達のミニマルでスマートなスタイルは、当時のサヴィル・ロウが体現していた構築的で優雅なエレガンスやあるいはイタリア・コンチネンタル・スタイルが作り上げたナチュラルでソフトなエレガンスのいずれもにない、モダンでクールな新しい感覚の美を印象づけたに違いない。
007シリーズはイギリス映画としてイギリスのスタジオで作られているが、資本としては紛れもないハリウッド映画(製作・配給はユナイテッド・アーティスツ)だ。映画の中でCIAエージェントのフェリックス・ライターがほとんど007の単なる助手的な役割でしかなく、さらには時として間抜けな役柄に甘んじていることに反して、映画製作というリアリティにおいては、ハリウッドの影響が大きかったことは想像に難くない。事実、初代ボンド役として原作者のイアン・フレミングがイメージしていたデヴィッド・ニーブンやリチャード・バートンは、いかにもイギリス的だとして却下されている。
スーツ姿のヒーローが派手なアクションを展開するという007シリーズの基本スタイルともいえるものは、アルフレッド・ヒッチコック監督の『北北西に進路を取れ』(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー製作・配給 1959)からヒントを得ているらしい。(ジェームズ・チャップマン 『ジェームス・ボンドへの招待』 徳間書店)
有名な農薬散布の飛行機に襲われるシーンにおける、ジェントルなスーツ姿とラフな環境やタフなアクションが喚起するイメージとの落差を対比させた演出は、確かに後の007を髣髴とさせる。主演のケーリー・グラントが着用していたスーツは、アメリカの3ボタン段返りのサック・スーツのイメージをベースにしながらも、幅がやや狭めのラペル、立体的なロール、絞り気味のウエスト、ノーベント、ジェッテッド・ポケットなど、控え目でかつノーブルな印象の一着だ(★3)。ケーリー・グラントは当初ジェームズ・ボンド役としても候補にも挙がってる。
テレンス・ヤングはこう言っている。「イアン・フレミングの原作はどうしようもなく幼稚で、B級スリラーそのものだった。― ボンド映画を作るならば、パワーアップして、ユーモアを加えて、できるだけシニカルなものにするほかなかった」、「しゃれた映画にしたいと思った。できる限り洗練された作品にして、何よりも私が『ドクター・ノオ』で出したかったのは、速いテンポの感覚だった」(ジェームズ・チャップマン 前掲書)
そして、テレンス・ヤングはこう考えを進めたのではなかったか。世界中をジェット機で飛び回り、奇天烈な悪役と文字通り自らの身一つで格闘するジェームズ・ボンドの戦闘服たる「殺しのスーツ」にふさわしいのは、単なる伝統や上品さや優雅さではなく、身体の動きに追従するライトウエイトのしなやかな生地と仕立てであり、肉体の野獣性を包み隠す外皮としてのストイックで控え目な印象であり、さらに新しい時代のヒーローにふさわしいモダンでクールなイメージ、だと。
コンセプトは、野生を包み込んだストイックな外皮、「ワイルドを内包したミニマル」だ。
このコンセプトは、サヴィル・ロウの伝統を踏まえながら、軍隊的な合理性やストイックさを有したコンジット・カットを創造したテーラー アンソニー・シンクレアにとっても容易に理解でき、大いに賛同できるコンセプトだったはずだ。熟練したテーラーの腕によってショーン・コネリーの身体的特徴が入念に取り込まれる(★4)。その結果、生まれたのが初代ジェームズ・ボンド ショーン・コネリーのスーツだったのではなかったか。
それは、イギリスとイタリアとアメリカのそれぞれのスーツ文化にルーツを有し、身に纏うことによって裸体の時以上に男らしさを発信するという、スーツそのものの本質に迫るスーツの誕生だった。
だからこそ、今日までショーン・コネリーが演じた初代ジェームズ・ボンドのスタイルが、それ以降のあらゆる時代の007の参照項であり続けているのだ。
外皮がミニマルでストイックであればあるほど、何気ない仕草における身体性は強調され、折々にそこから溢れ出る野生味は魅力を倍加し、ミス・マネーペニーやボンドガールたちを魅了する。
魅了されるのはボンドガールズだけではない。ジェームズ・ボンドの「ワイルドを内包したミニマル」は、ボンドの宿敵を嫉妬させ、ことさら演技的な会話や劇場的な一騎打ちを画策させ、さらにはおよそジェームス・ボンドとは無縁のしょぼくれた日常を生きる世界中の男達をも魅了し続けているのだ。
(★1)映画でのジェームズ・ボンドのスーツに関しては THE SUITS OF JANES BOND というサイトが詳しい。NY在住の(おそらくは)服好きのボンドオタクのグラフィックデザイナー Matt Spaiserが書いている。
(★2)Anthony Sinclair Ltd 自身が、Contemporary Conduit Cut は、かつてのコンジット・カットやショーン・コネリーが着用したスーツのデザインとは異なるものである旨を述べている。
(★3)『北北西に進路を取れ』でケーリー・グラントが着用したスーツはサヴィル・ロウのテーラーKilgour French and Stanburyによるビスポークスーツ。一説によってはビヴァリー・ヒルズのテーラーQuintino製という説もある。CLOTHES ON FILM によれば撮影用として同じ型のスーツが複数のテーラーによって16着作られたのだそうだ。
(★4)ボディビルダーであったショーン・コネリーの、がっちりした肩、並はずれて広い肩幅、大きく突き出した胸板という肉体的特徴を極力、エレガントに見せるために、ナチュラルショルダー、ゆとりある胸のドレープ、控え目なウエストのシエイプなどの仕立てが採用されたということも忘れてはならない。この辺の事情はさすが当時の状況に詳しいAnthony Sinclair Ltd のサイトに興味深いエピソードが紹介されている。
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