第3章はテリー・レノックスがギムレットについて講釈する有名なくだりが登場する章だ。
クリスマスの3日前、マーロウはラスヴェガスにいるレノックスから、今、シルヴィアと2度目のハネムーンの最中なのだという手紙を受け取る。おまけにクリスマス・プレゼントということで100ドル札まで同封されている。
その顛末をマーロウは新聞の社交欄で知る。dog vomit、マーロウは社交欄の記事を嫌悪してこう形容する。vomitとは嘔吐物のことだ。
I threw the paper into the corner and turned on the TV set. After the society page dog vomit even the wrestlers looked good. But the facts were probably right. On the society page they better be.
they better be のニュアンスが分からない。このtheyはやっぱり直前のfactsを指しているのだろう。リーダース英和辞典によるとhad bettre be ~で強い勧告や脅迫のニュアンスを表現する言い方があり、口語ではhadが省略されることがあるという。「~で当り前」、「~以外ありえない」というニュアンスだろうか。そうするとthey better beはthey had better be right の略で、直訳すると「社交欄で書かれていることにまず嘘はありえない」という感じに解釈できる。清水訳ではBut以下が省略されている。村上訳では「新聞の社交欄で嘘っぱちを書いたら、ただではすまない」となっている。なるほどこなれた日本語だ。
記事はシルヴィアがサンフランシスコの億万長者ハーラン・ポッターの末娘であり、レノックス夫婦が住むのは18のベッドルームがある「あばらや」(shack)であることを伝える。
なにか裏切られたよう気分のマーロウをチャンドラーはこんな風に比喩する。loafはぶらつくという意味、R/TとはRadio telephonyの略で無線電話のことをこう呼んでいたのだそうだ。
But I had no mental picture at all of Terry Lennox loafing around one of the swimming pools in Bermuda shorts and phoning the butler by R/T to ice the champagne and get the grouse atoasting. There was no reason why I should have. If the guy wanted to be somebody's woolly bear, it was no skin off my teeth. I just didn't want to see him again.
「バーミューダショーツ姿でプールサイドをうろつきながら、シャンパンを冷やしてライチョウをあぶっておくようにと執事に命じているレノックス」。豪邸に納まる人間の様子をこんな道具立てで語る作家はチャンドラーをおいていない。
ところでno skin off my teethとは口語で「俺の知ったこっちゃない」という意味だそうだ。何故こういう意味になるのだろうか。by the skin off my teethが、「ギリギリで」、「かろうじて」を意味することから考えると、「かろうじてですらない」、つまり、「全く関係ない」ということになりそうだ。英語でいうこの「歯の皮」とは、日本語でいう「首の皮一枚」や「間一髪」の「一髪」という感じなのだろうか。
その約3ヵ月後、レノックスがマーロウの事務所にやって来る。以前とは違った様子のレノックスをチャンドラーはこう描写する。brain emporiumとは「知の殿堂」とでも訳すのだろうか。roll with a punchとは口語で、逆境を生き抜く、という意味。
It was five o'clock of a wet March evening when he walked into my down-at-heels brain emporium. He looked changed. Older, very sober and severe and beautifully calm. He looked like a guy who had learned to roll with a punch. He wore an oyster-white raincoat and gloves and no hat and his white hair was as smooth as a bird's breast.
小雨の夕方に探偵事務所の戸口に静かに立つ、オイスター・ホワイトのレインコートと手袋に身を包み、髪の毛を鳥の胸の羽毛のようにスムーズに撫でつけた、何ものかを悟ってしまったかのような表情の男。ここでも道具立てが秀逸。先のバーミューダショーツのくだりとの対比が鮮やかだ。
レノックスはどこか静かなバーで一杯飲もうと誘い、2人はレノックスの運転する錆色のジョウエット・ジュピター Jowett Jupiterで<ヴィクター>に行く。ジョウエット・ジュピターは英国製の2シーターのロードスター。ペールカラーのレザーシートに金物一式がシルバーで仕上げられたこのコンバーチブル(英国風に言うとドロップ・ヘッド)は、I’m not too fussy about car (fussyはこうるさいという意味)と自ら言うマーロウをして did make my mouth water a little と言わしめるほど見事な車だ。
ジャガーXK140をやや寸づまりにしたようないかにも英国車というスタイリング。ジャガー同様、後姿がセクシーだ。
そのジョウエット・ジュピターをめぐって始まる2人の会話。「結婚の贈り物かな?」と聞くマーロウにレノックスが答える。pampereは手厚く扱うという意味。
"Just a casual 'I happened to see this gadget in a window' sort of present. I'm a very pampered guy."
"Nice," I said. "If there's no price tag."
He glanced at me quickly and then put his eyes back on the wet pavement. Double wipers swished gently over the little windscreen. "Price tag? There's always a price tag, chum. You think I'm not happy maybe?"
"Sorry. I was out of line."
"I'm rich. Who the hell wants to be happy?" There was a bitterness in his voice that was new to me.
"I'm rich. Who the hell wants to be happy?" 「僕は金持ちなんだぜ。その上、幸せになる必要なんかどこにある?」この作品の中でも屈指の名セリフと言えるだろう。
そしてレノックスが「本当」のギムレットの教えを垂れる箇所。最後のbeat~hollowは、~より遥かにすぐれている、という意味。
We sat in a corner of the bar at Victor's and drank gimlets. "They don't know how to make them here," he said. "What they call a gimlet is just some lime or lemon juice and gin with a dash of sugar and bitters. A real gimlet is half gin and half Rose's Lime Juice and nothing else. It beats martinis hollow."
このローズのライム・ジュースを使ったギムレットがレノックスがいうように果たして「本当」かどうかはなかなか悩ましい問題なのだ。有名な『サヴォイ・カクテルブック』(ロンドンの名門ホテル「ザ・サヴォイ」のバーテンダー ハリー・クラドックが1930年代に書いたカクテルブックの古典的存在)には、このジンとローズのライムジュースが半々のレシピが載っているそうなので、イギリスではこのレシピで飲まれていたのかもしれない("本当のギムレットを求めて")。
では、この「本当」のギムレットは本当に美味いのか?22章に再びローズのライムジュースが登場し、イギリス人とライムの関係という本質にまで話が及ぶところがあるので、そこで詳しく検討しよう。
レノックスのギムレットへのこだわりに対してはマーロウは、あっさりと"I was never fussy about drinks” と言って、違う話題に話を向ける。またしてもfussyが登場。ただし、チャンドラーが語らせるレノックスのrealと同様にマーロウのfussyも額面通り受け取るわけにはいかないような気がする。
それ以来、夕方の5時頃にレノックスがマーロウの事務所に現れ、2人で飲みにいくのが習慣のようになる。全く違う世界に住む者どうし、親しい友人というわけでもない、それでいてお互いが気になっており、また、どこかしら気が会う、そんな不思議な関係の2人がバーを舞台に交わす会話がこの章の目玉だ。
いちばん多く訪れたという店<ヴィクターズ>は実在したレストランだという説もあるが、残念ながら今のところは不明だ。
ある日の<ヴィクターズ>の店内の様子をチャンドラーはこう書く。
We were drinking gimlets again. The place was almost empty. There was the usual light scattering of compulsive drinkers getting tuned up at the bar on the stools, the kind that reach very slowly for the first one and watch their hands so they won't knock anything over.
There was以下が分かりにくい。usual light scattering of compulsive drinkers getting tuned up at the bar on the stools とはどういう状況か。scatterは散在させる、散乱する、compulsiveは強迫感にとらわれたという意味。カンマ以下はdrinkersを形容する句だろう。
まずgetting tuned up だが、turn upは、袖口や裾を折り返す、あるいは音や温度などを上げるという意味があるが、この場合は、後者の意味合いで、ある状態をUPさせるという意で使われていて、getを伴った過去分詞としてdrinkersの状態がUPする、つまり酔いが進む、というニュアンスを表現したのだろう。
それにしてもusual light scatteringという動名詞を使って「いつものように強迫観念にとらわれた酒飲みの少数の散在があった」という表現は分かりづらい。あえてそうした表現をしたのは、たぶん、日が落ちると決まってグラスに手を伸ばさざる得ないような半分アル中の酔っぱらいが何人か、すでにバーのスツールの上で出来上がりつつあるといういつもの店内の様子を、酒場のお定まりの風景として冷めた視線で眺めている、というニュアンスを込めたかったからではないかと理解したがどうだろうか。lightはその前のemptyと対比的に使いながら、少量の、わずかな、すいている、商売がヒマな、というニュアンスを含んでいるのだろう。
何故、住んでる世界が異なる私立探偵なんかを相手に酒を飲むのか、さぞかし満ち足りた家庭生活なんだろう、とやや自嘲気味に、と同時にやや意地悪に聞くマーロウ対して、レノックスは"I don't have any home life."と答えた上で、自らの暮らしぶりをこう説明する。lotは敷地や区画に加えて映画撮影所という意味もある。plumberは配管工のこと。
"Big production, no story, as they say around the movie lots. I guess Sylvia is happy enough, though not necessarily with me. In our circle that's not too important. There's always something to do if you don't have to work or consider the cost. It's no real fun but the rich don't know that. They never had any. They never want anything very hard except maybe somebody else's wife and that's a pretty pale desire compared with the way a plumber's wife wants new curtains for the living room."
“Big production, no story” 「大作だが、ストーリーがない」(村上訳)もハリウッドを舞台としたこの作品の名セリフのひとつだろう。後半に出てくる金持ちの欲望なんて「配管工の女房が居間に新しいカーテンをほしがるのに比べたら実に淡白なものだ」(村上訳)というのもいかにもチャンドラーらしい比喩だ。
その日の別れ際に交わされた2人の辛らつなやりとり。
He had a remote little smile. "You should, wonder why she wants me around, not why I want to be there, waiting patiently on my satin cushion to have my head patted."
"You like satin cushions," I said, as I stood up to leave with him. "You like silk sheets and bells to ring and the butler to come with his deferential smile."
"Could be. I was raised in an orphanage in Salt Lake City."
「何故シルヴィアが僕をそばに置きたがるのか?君はむしろそれについて考えるべきだ」と意味深な問いかけをするレノックス。そしてその意味は後々明らかになる。サテンのクッション、シルクのシーツ、執事を呼ぶベルの音、うやうやしい執事の微笑み、そしてソルトレーク・シティの孤児院、相変わらず絶妙な道具立てだ。
孤独で誇り高い2人の男の会話は、マーロウが何故?と深入りすることはなく、レノックスもその事情を安易に口にすることはない。
一人になったマーロウ自問する。
I liked him better drunk, down and out, hungry and beaten and proud. Or did I? Maybe I just liked being top man.
「酔っぱらて、落ちぶれて、腹をすかせて、打ちひしがれていながらプライドを持っていたときのレノックスの方が私は好きだった。でも本当にそうか?単に自分が優位に立つのが好きなだけかもしれない」
He would have told me the story of his life if I had asked him. But I never even asked him how he got his face smashed. If I had and he told me, it just possibly might have saved a couple of lives. Just possibly, no more.
「あのとき私がレノックスに尋ね、彼が答えてくれていれば」と自責するマーロウ。同時に「しかしそれはあくまで「あるいは」であり、どこまでいっても「あるいは」でしかない」(村上訳)という冷めた諦観が併記されてこの章の幕は下りる。
Just possibly, no moreと原文は、いつものように突き放したような余韻を漂わせながら終わる。
『ザ・ロング・グッドバイ』精読 Chapter4ヘ
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