第4章はこれまでの予感が事件へと展開する短いが印象に残る章。そしてマーロウとレノックスが杯を交わすのはこの章が最後となる。
テリー・レノックスが開いたばかりのバーを賞賛する有名なくだりで幕を開ける。以下がその全文。
"I like bars just after they open for the evening. When the air inside is still cool and clean and everything is shiny and the bar-keep is giving himself that last look in the mirror to see if his tie is straight and his hair is smooth. I like the neat bottles on the bar back and the lovely shining glasses and the anticipation. I like to watch the man mix the first one of the evening and put it down on a crisp mat and put the little folded napkin beside it. I like to taste it slowly. The first quiet drink of the evening in a quiet bar - that's wonderful."
レノックスの語りの文ということもあり、チャンドラーにしては素直な文章といえるが、一語一語ゆっくりと読んでみると、考えられた表現、周到な一言が選ばれているのがわかる。
例えばthe bar-keep is giving himself that last look in the mirror という表現。bar-keepはbar-keeper(バーテンダー)と同じ意味。単にlookとせずにgive a lookという言い方をしているところに注目。普通はgive a lookで「見る」という意味になるが、ここでは間接目的語として再帰役代名詞のhimselfを持ってくることによって、最後の身支度を確認している彼自身と鏡に映ったバーテンダー姿の彼が別物のような効果を生み出している。that last lookのthatも本来であればhisでもよいのだろうが、あえてthe bar-keepを受けたthatとしてことで、彼が見ている鏡に映っている姿は、あくまで彼自身とは別の、制服を身にまとったバーテンダーとしての存在であるというニュアンスが醸し出されている。鏡に映った自らの鏡像とちょっと改まった感じで対峙している人物、そんなシーンが脳裏に浮かぶ実に映像的で見事な箇所だ。
the anticipationというのもなかなかだ。最初の客を迎える前の店内に漂う微かな緊張と万全な自信のようなものが伝わってくる言葉ではないか。清水訳では「客を待っているバーテンが」とその後の文と絡めて意訳されているが、村上訳では「そこにある心づもりのようなもの」と作者の意図していた言葉のニュアンスを的確に伝える訳文となっている。
開店したてのバーのすばらしさはテリー・レノックによって「発見」されたといっても過言ではない、世界中の酒飲みが賞賛する名セリフと言っていいだろう。
その魅力を力説したレノックは、その後に起こる展開と結末を言い添えることも忘れない。lushは酔っ払い、screwing up faceは顔をしかめる、tinkleチリンチリンと鳴らすこと。
"It's nice in here. But after a while the lushes will fill the place up and talk loud and laugh and the goddam women will start waving their hands and screwing up their faces and tinkling their goddam bracelets and making up with the packaged charm which will later on in the evening have a slight but unmistakable odor of sweat."
「ろくでもない女たちがお決まりの魅力で自らを仕立て上げ始めるが、しかし、夜も遅くなる頃には、それらはほんのかすかながら紛れもない汗の匂いを放ち始めるのだ」
coolでcleanでeverything is shinyだった雰囲気が、loudでa slight but unmistakable odor of sweatが立ち込める場所に変わってしまう。
善を一皮剥けば悪が現れ、真実には必ず虚偽が隠されており、美の裏側には決まって醜悪さが存在し、幸福の陰には悲劇が潜んでいる、このような二面性はレイモンド・チャンドラーの作品に通奏低音のように鳴っているテーマのひとつだ。
7歳の時に離婚した母といっしょにイギリスの祖母の元に渡り、そこで教育を受け、23歳の時に自ら再びアメリカの地を選んだ人間は、真善美ですら都市においては二面性を持つものでしかないことを発見した。こうした都市の現実を登場人物たちは自らのモラルを頼りに手さぐりで生き抜いていく。チャンドラーの小説の決して古びない現代性はここにあるといえる。
明記はされてはいないが前後から判断する限り、この章の舞台となっているバーは、2人が最もよく行ったとされるVictor’s<ヴィクターズ>でほぼ間違いないだろう。前回のchapter3ではこの店が実在するかどうかは残念ながら不明と書いたが、その後Victor’sは実在の店だったらしいとの情報がいくつか得られた。今のところ、あくまで「らしい」の段階なのだが。
矢作俊彦が『複雑な彼女と単純な場所』(東京書籍 1987)に収められた「ヴェルマが行ったところまでは見えなかった」でロサンゼルスでチャンドラーの足取りを辿っている。その中で<ヴィクター>を探し当てたとの記載があった。
「硝子戸を開けると、スゥイング・ドアあった。しかし、それを肩であけるほど私は元気になれなかった。高い格子天井、静かな空気。店内は私のイリュージョンと寸分の狂いがなかった。しかし、そのカウンターでの一杯は私をそれほどには幸福にしなかった」
「硝子戸」、「スウィング・ドア」、チャンドラーにそんな記述があったっけ?「私のイリュージョン」?
この文章は、最後、こう結ばれて終わる。
「チャンドラーが失ったロサンジェルスで、どうして私にマーロウを追いかけることなどできただろう。この私が、自分の街をなくし続けているというのに」
見つかったという<ヴィクターズ>はこの喪失感を象徴するような似て非なるそれらしきバーだったのかも知れない。この文章が掲載された月間PLAYBOYが見つかれば写真などを確認できるのかもしれないのだが、巻末の初出一覧の記載は明らかに誤っており(何故ならそこで初出と記載された月間PLAYBOY 1979年3月号が今、手許にあるのだから)、これ以上の手がかりは得られなかった。
出石尚三『フィリップ・マーロウのダンディズム』(集英社 2006)には、<ヴィクターズ>は 北ベッドフォード369番地に実在した店であり、ヴィクター・ヒューゴの経営するレストランだった、との記述がある。
こんな面白いサイトがあった。このRaymond Chandler Mysteriesと題されたこのサイトは、チャンンドラーの作品に出てくるいくつかの場所をgoogle map上にマーキングしたオーバー・レイ・マップのサイトだ。Victor Hugo’s Restarentという店がやはり369 North Bedford Driveのところにマーキングされている。ただしこの場所は凡例によるとすでにlocation changed from Chandler's Dayとのことで、今は店はなくなっているらしい(情報のアップデイトは2008年9月24日付)。このマップにはChapter3 に登場したMusso’s<ムッソの店>も正確にマーキングされているので、情報の信憑性は低くはないようだ。
Victor Hugo Restaurantで検索してみると、同名の店が1934年に233 North Beverly Driveにオープンしていることが複数のサイトで確認できた。ハリウッドでもかなり有名な店だったらしく、残された写真を見ると構えも立派だ。しかし、同じ名前ながら、その住所は、先ほどのマップ・サイトの店とは(すぐ近くながらも)別のところであり、かつこの店は1942年までには閉店しまったらしかった。The Long-Good Byeが出版されたのは1953年だ。
それでは、369 North Bedford Driveの店と233 North Beverly Driveの店は、はたして関係しているのか?
手がかりを得るには調査に本腰を入れる必要がありそうだ。それはそれで、なんだか自分が私立探偵になったようで楽しいのだが・・・。
<ヴィクターズ>は未だ確証が掴めなかったのだが、うれしいことにThe Dancers<ダンサーズ>が8225 West Sunset Blvd に実在したThe Players<プレイヤーズ> という店がモデルになっていることが分かった。こちらも近くに住むハリウッドスターらのお気に入りの有名店だったそうだ。
当時の店はこんな感じ。
ロースルズロイス・シルバー・レイスは見当たらないが、ラジエターグリルの上に三角を乗せたパッカードなどが止っている駐車場が店のファサードの前に広がっている。マーロウがレノックスと初めて出会う場所がここだ。
2012年にはピンク色の建物(!)のその名もPink Tacoというメキシカン・レストランになっており、その前はMiyagiという日本レストランだったらしい。
Google Mapでその住所を見てみると、なんと解体前の日本レストランの姿が記録されているのだ。当然ながらチャンドラー作品の登場人物たちが闊歩したイメージは、その片鱗すら感じられない。
矢作俊彦が先の文章で「日本から来た芸能人は必ず一度寄って行くという、バカげた店」と罵っていたのはそういうことだったのだ。
マーロウとレノックの会話に戻ろう。
最近よく眠れていない、シルヴィアを気の毒に思っている、シルヴィアは正真正銘のあばずれだ、僕は弱い性格の人間だ、根性もなければ野心もない、いずれシルヴィアは僕を必要とする時が来る、しかしその時には僕はもうお払い箱になっているだろう、彼女は何かをひどく怖がっている、シルヴィアの父親のハーラン・ポッターは冷酷極まりない人間だ、などレノックスは一見取りとめがなさそうで、しかしながら暗示的な言葉を断片的に吐露する。そして最後にはテーブルのエッジに空になったグラスをたたきつけ「僕は高級売春宿のようなものだ」と自嘲する。
君はいささか自分のことをしゃべるりすぎる、と言葉を残して席を立つマーロウ。蒼白な顔のレノックスは背後から何か声をかける。
それ以来レノックスはマーロウのオフィスに顔を出さなくなる。
次にマーロウがレノックスと会うのは以下のようなシチュエーションだ。yankはぐいと引っ張る、pough(=pow)は骨を折りながらやっと進む、といような意味。朝5時にしつこいベルにたたき起こされた不機嫌で朦朧とした感じがよく出ている。
I didn't see him again for a month. When I did it was five o'clock in the morning and just beginning to get light. The persistent ringing of the doorbell yanked me out of bed. I poughed down the hall and across the living room and opened up. He stood there looking as if he hadn't slept for a week. He had a light topcoat on with the collar turned up and he seemed to be shivering. A dark felt hat was pulled down over his eyes.
He had a gun in his hand.
朝の5時、コートの襟を立て、ダークなフェルト帽を目深にかぶり、ぶるぶる震えながらドア口に立つ憔悴したレノックス。手には拳銃が握られていた。
急転直下、事件を強く暗示させる一文で幕を閉じる。
『ザ・ロング・グッドバイ』精読 Chapter5ヘ
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