釈放されたマーロウを新聞記者のロニー・モーガンが迎える第10章 。
ロニー・モーガンはこんな風に登場する。bleakは寒々しい、うら寂しい、griferはペテン師、knock off は仕事が終わる、beatは~番、~詰めと言う意味。
He was about six feet four inches tall and as thin as a wire.
"Need a ride home?"
In the bleak light he looked young-old, tired and cynical, but he didn't look like a grifter. "For how much?"
"For free. I'm Lonnie Morgan of the Journal. I'm knocking off."
"Oh, police beat," I said.
"Just this week. The City Hall is my regular beat."
ロニー・モーガンは「身長193センチ、針金のように細い」と形容される。拘置所内のグレゴリアス警部やスプランクリンのような太った男たちとは対照的な設定だ。
looked young-oldについては、清水訳では「年齢(とし)のわりには老けていて」、村上訳では「若いようにも、年をくっているようにも見えた」となっている。はたしてどちらのニュアンスなのだろうか?
マーロウの見立てどおりにロニー・モーガンは "They ride you in," he said, "but they don't worry how you get home. " などとシニカルにつぶやく人物だ。
第1章ではレノックスをマーロウが車で送るが、この第10章ではモーガンがマーロウを車で家まで送る。出番は少ないもののロニー・モーガンはその後、重要な役割を担うことになる。
"I live way out in Laurel Canyon," というマーロウのセリフのway outが分かりにくい。way out は普通、出口を意味するが、前後からするとway outは名詞ではなくliveを形容する副詞の役割だろう。way には副詞や前置詞を強調する使い方があるそうだ。したがってlive way out で「ずっと遠くに住んでいる」という意味だろう。
ロニー・モーガンは「誰かがレノックス事件の周りに壁を立てているのだ」と事件へ疑問を口にする。
"Somebody's building a wall around the Lennox case, Marlowe. You're smart enough to see that, aren't you? It's not getting the kind of play it rates, The D.A. left town tonight for Washington. Some kind of convention. He walked out on the sweetest hunk of publicity he's had in years. Why?"
"No use to ask me. I've been in cold storage."
"Because somebody made it worth his while, that's why. I don't mean anything crude like a wad of dough. Somebody promised him something important to him and there's only one man connected with the case in a position to do that. The girl's father."
It's not getting the kind of play it ratesのところは、playは新聞や報道での取り上げ方や話題を意味しており、直訳すると「事件の大きさにふさわしいような取り上げ方になっていない」となる。
後半の方に出てくるsomebody made it worth his whileは日本語にしようとするとなかなか悩ましい。この場合のwhileは、時間や労力を意味し、worth sb’s whileでsbが時間を割いてまでする価値がある、あるいは骨を折ってまでする価値がある、という意味になる。使役動詞を直訳すると「彼がそれをわざわざする価値があるように、誰かがそうしている」となるが、分かったような分からないような感じだ。普通の日本語では「誰かが彼が損をしないようにしてしている」あるいは「誰かが彼にそれ相応の見返りを与えている」という感じだろうか。
その「見返り」の文に続いてでてくるcrudeは生の、wad は束という意味。doughはパンの生地のドウのことだが、ここでは口語で現ナマを意味している。crude like a wad of doughで「札束のような露骨な手段」ということになる。
ロニー・モーガンは、シルヴィアの父である新聞王のハーラン・ポッターが手を回し、レノックスの自殺を促し、D.A.にもそれ相応の見返りを与えて手を引かせ、幕引きを図っているのではないか、と問いかける。
ロニー・モーガンはこんなこともつぶやく。「レノックスはそもそも彼女を殺していなかったのかもしれない」と。
いずれに対してもマーロウの反応は鈍い。それもそのはずで、ロニー・モーガンの疑問は、拘置所にいる間からずっと抱いてきたマーロウ自身の疑問でもあるからだ。ロニー・モーガンはマーロウの分身のような役回りなのだ。
車はローレル・キャニオンのマーロウに家の前に停まる。「一杯やっていくか?」と誘うマーロウ。「またにするよ。一人になりたいだろう」と答えるモーガン。マーロウの分身もやっぱりクールなのだ。
I got out. "Thanks for the ride, Morgan. Care for a drink?"
"I'll take a rain check. I figure you'd rather be alone."
"I've got lots of time to be alone. Too damn much."
"You've got a friend to say goodbye to," he said. "He must have been that if you let them toss you into the can on his account."
"Who said I did that?"
He smiled faintly. "Just because I can't print it don't mean I didn't know it, chum. So long. See you around."
rain checkとは雨で中止になった試合などの振り替え券のことだそうだ。I'll take a rain checkとはなかなかうまい言い方だ。
「あんたにはさよならをいうべき友達がいた。彼のせいで留置所にぶち込まれても良いと思えるような友達がね」とロニー・モーガンはレノックスとの関係を知っている様子。"You've got a friend to say goodbye to,"というのはまさに作品のテーマを言いあてているような名セリフ。
久しぶりに家に戻り、明かりをつけ、すべての窓を開け、コーヒーを淹れるマーロウ。
I made some coffee and drank it and took the five C notes out of the coffee can. They were rolled tight and pushed down into the coffee at the side.
このコーヒー缶のなかの5枚の100ドル札(the five Cnotes)は、第5章でレノックスがティファナの空港で別れ際に言った、お礼としてマーロウに内緒で残してきた例の500ドルだ。
何をしても落ち着かないマーロウ。ベッドに入ってもロニー・モーガンの言葉を反芻するようにレノックス事件を考え続ける。
As Lonnie Morgan of the Journal had remarked-very convenient. If Terry Lennox had killed his wife, that was fine. There was no need to try him and bring out all the unpleasant details. If he hadn't killed her, that was fine too. A dead man is the best fall guy in the world. He never talks back.
「死人ほど無実の罪をかぶせるのにふさわしい人間はいない。死人は決して反論したりはしない。」
『ザ・ロング・グッドバイ』精読Chapter11ヘ
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