ロレーン・バコールが8月12日に亡くなった。89才だった。
ハンフリー・ボガートが亡くなったのが1957年(57才)、フランク・シナトラは1998年(82才)、ジェイソン・ロバーズは2000年(78才)で亡くなっている。パートナーだった彼らに比べると圧倒的に長生きをしたといってよいだろう。
前から気になっていた自伝『私一人』(原題By Myself 1979年)を読んでみた。1980年に全米図書賞を受賞しベストセラーになっている。
本名ベティ・パースキーとしてユダヤ人の家系に生まれた出自、ベティ・デイヴィスにあこがれたニューヨークの少女時代、表紙のモデルとなった「ハーパーズバザー」1943年3月号がハワード・ホークスの奥さんのナンシー・ホークスの目に留まってハワード・ホークスがハリウッドに呼び寄せたこと、19歳で『脱出』で映画デビュー、無口でクールな雰囲気、低い声、男に媚びない態度など『脱出』のスリム役のイメージはすべてハワード・ホークスによって創り上げられたものだったこと、The Lookといわれた上目づかいのまなざしはカメラの前で震えるのを抑えるために顎を引いた姿勢に由来すること、『脱出』で共演中のハンフリー・ボガートと恋に落ち25歳差で結婚、ガンで苦しむボギーを最期まで看取った話、その後のフランク・シナトラとの恋、ジェイソン・ロバーズとの結婚と離婚、トニー賞を2回受賞したブロードウェイでの活躍など、55歳の時点で回顧された半世紀の人生が生き生きと語られる。
そのなかにボギーと出会ったばかりの頃のエピソードとしてボギーから「さよらなを言うのは少しだけ死ぬことだ、と言うが、この前きみと別れてからの僕は死んでいたようなものだった」という内容のラブレターもらったとの話が載っている。
この「さよらなを言うのは少しだけ死ぬことだ」は、レイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』に出てくる台詞として有名だ。第50章の終わりでリンダ・ローリングとフィリップ・マーロウが別れる場面で登場する。
原文ではこうだ。
We said goodbye. I watched the cab out of sight. I went back up the steps and into the bedroom and pulled the bed to pieces and remade it. There was a long dark hair on one of the pillows. There was a lump of lead at the pit of my stomach.
The French have a phrase for it. The bastards have a phrase for everything and they are always right.
To say goodbye is to die a little.
このThe Frenchとはフランスの詩人・劇作家のエドモンド・アロクール Edmond Haraucourtのことで、それはRondel de l’Adieu(別れのロンデル)という1891年に作られた詩の一節にでてくる以下のフレーズを指しているといわれている。
Partir, c'est mourir un peu
C'est mourir a ce qu'on aime
離れることは少しばかり死ぬことだ
それは愛するひとのために死ぬことだ
そしてコール・ポーターの名曲Ev’rytime we say goodbye(1944)は、このエドモンド・アロクールの詩にインスパイアされたものというのも定説になっている(あるいはフランチェスコ・パオロ・トッティが曲をつけたChanson de L’Adieuいう有名な曲もあるので、それを聞いてという説もある)。
Ev’rytime we say goodbyeというと真っ先にコルトレーンの『マイ・フェイバリット・シングス』のソプラノサックスによるモダンな演奏の方を思い浮かべてしまうが、元はラブソングの名曲なのだ。
ボギーとコール・ポーターは友人だったというし、この曲は有名なミュージカル(The Seven Lively Arts)の挿入歌なので、ボギーはきっとそれを聞いていて、バコールへのラブレターに使ったのだろう。というか当時のアメリアでは割りと有名はセリフだったのかもしれない。
チャンドラーの名台詞として有名な一節に意外にもこんなところでお目にかかるとは思わなかった。ことこの台詞に関してはフィリップ・マーロウよりもハンフリー・ボガートの方が先だったというわけだ。
閑話休題。
ローレン・バコールのデビュー作『脱出』(監督ハワード・ホークス1944年)とハンフリー・ボガートと共演した初期の2本の映画『三つ数えろ』(監督ハワード・ホークス1946年)と『キー・ラーゴ』(監督ジュン・ヒューストン1948年)を観直してみた。
『脱出』はヘミングウエイの『持つものと持たざるもの』(To have and have not)を原作に、舞台をキューバからヴィッシー政権下の仏領マルティニークに置き換え、ストーリーをハンフリー・ボガート演ずる釣り船の船長が反政府活動家のために一肌脱ぐというヒーロー物に大幅に改変して作られたものだ。
結果的に原作とはほとんど関係のない内容となり、ストーリーとしては同じボギーが主演した『カサブランカ』(マイケル・カーティス1942年)とそっくりの作品となっている。
ちなみにヘミングウェイの原作は、もちろんヒーロー物やロマンスではないし、ラストがハッピーエンドでもない。世評では、もっぱら、タイトルに見られるような社会性への問題意識を標榜しながらも結局は上手くこなしきれなかった失敗作と評されている。ただ、その混迷ぶりは、どこか当時のヘミングウェイのゆらぎのようなものを感じさせ、捨てがたい魅力を有した作品だと思う。
戦争を背景にした緊迫した雰囲気の作り方やメロドラマ性や脇役陣の魅力などの点では『脱出』は『カサブランカ』に及ばないが、『脱出』は『カサブランカ』にはない別の魅力を放っている。
それはひとえにローレン・バコール演じるマリー”スリム”ブロウニングという女性の独創的な存在によるところが大きい。
ハワード・ホークスはヘミングウェイのいう「抑圧下での優雅さ」(Grace under pressure)という態度に強く惹かれていた。
ハワード・ホークスの映画は、自身の理想を実体化する一つの方法だった。ホークスの理想主義が最もわかりやすく表現されているのが後年の『リオ・ブラボー』(1959年)だろう。それは『真昼の決闘』(1952年)に抑えがたい嫌悪感を覚えたホークスが彼の理想像を映画にした作品だ。
『脱出』はその先駆となった作品といえる。『脱出』が独創的なのは「抑圧下での優雅さ」を保持する女性を創造したことだ。
ハーワード・ホークスはボギーにこう説明したという。
「君はスクリーンで最も傲慢な男になるが、こっちはその娘を、君よりちょっと傲慢にするするつもりだ」(『ハワード・ホークス』トッド・マッカーシー)
そのためにハワード・ホークスはローレン・バコールという素材を発掘し、一からそのイメージする個性の数々を身に付けさせた。
ローレン・バコールが演ずるマリー”スリム”ブラウニングは、それまでどの女優によっても演じられたことがなかった、ほとんど奇跡といってよいぐらいに独創的で魅力的な女性だった。
寡黙で意味ありげな表情、ぶっきらぼうな物言い、つっぱった態度、上目遣いのまなざし、スマートな所作。男に媚びず、男のお株を奪うクールな態度は、自己抑制と克己心と自立した美意識の表れだ。
それでいながら、そうしたぶっきらぼうな物言いやつっぱった態度から垣間見える内面が醸し出す抑えがたい理知と繊細さと女性性。
厳しい自己抑制と克己心は、荒くれた環境下にあってナイーブで壊れそうな内面を隠す精一杯の戦略でもあるのだろう。
『脱出』の最大の魅力は、ボギー&バコールによる男と女の「抑圧下での優雅さ」の応酬という、それまでの映画には決してみられなかった新しい男と女の関係が描かれているところにある。
新しかったのは女の方だ。
「用があったら口笛を吹いて」という台詞で知られている有名なシーン。実際の台詞はこうだ。
"You know how to whistle, don't you, Steve? You just put your lips together and blow."
「口笛の吹き方は知ってるわね、スティーブ。唇を重ねるようにして息を吹く、それだけよ」
この名台詞を実際のローレン・バコールのハスキーな声で聞きいてみよう。
つっぱりながらさりげなく嫉妬を表明するシーンや初々しいセクシーさが滲み出るローレン・バコールも魅力的だ。
銃撃戦で撃たれたレジスタンスのポールの身体からハリー”スティーブ”モーガンが弾丸を摘出するシーン。医療セットを持って現れるスリム。レジスタンスの奥さんがいぶかって「あなたは誰?」と問う。それに対して「ボランティアその2」とクールにうそぶくスリム。
弾丸を摘出するのを見ていた奥さんが失神するのを抱きかかえるハリー。それを見て「体重でも測っているの?」とスリム。「君が思ってるよりはるかに重い。服を緩めた方がいい」とハリー。「お得意でしょう」とスリム。
見事な会話がちりばめられた脚本は『モロッコ』などのジュールス・ファースマンとウィリアム・フォークナーの手になる。
そして有名なラストシーン。ホーギー・カーマイケル(本人が演奏する劇中の歌曲は必聴)のピアノをバックにシェイク・ヒップでウォークしながら、初めて見せる嬉しそうな表情でボギーと腕を組んでホテルを出てゆくバコールの姿が忘れがたい。
ローレン・バコールは自伝で、自分とスリムは正反対の性格であり、笑わずに無口でいることは自分にとって最も不得意なことであり、男を手玉に取るような手練手管にも全く無縁だった、と回想している。
同時に映画における自分は『脱出』のスリムから始まり、とうとう最後までスリムのイメージであった、という主旨のことも記している。
そういえば『脱出』の直後の『三つ数えろ』や『キー・ラーゴ』はもちろん、後年の『オリエンタル急行殺人事件』(1974年)や『プレタポルテ』(1994年)でもその役柄は我々が想像するマリー”スリム”ブロウニングの晩年の可能性の姿のひとつのようなキャラクターではなかったか。
それが女優として幸いだったのかどうかは判らない。
ただしこのことは間違いなく言える。ローレン・バコールが余人を持って変えがたい存在感と演技によって、それまでには決してなかった新しい女性像を創り上げたことを忘れる者は誰もいないと。
そしてそれは今なお十分に魅力を放ち続けていると。
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