マーロウがロジャー・ウェイドのメモに残されていたドクターVの手がかりを探す第15章。
もぐりの医者は限りなく多い、それらしい人物を見つけ出したとしても、ロジャー・ウェイドのことだから、もともと実在しない人物のことをいっている可能性もあると勘ぐるマーロウ。
And even if- I found somebody that fitted and had the right initial, he might turn out to be a myth, so far as Roger Wade was concerned. The jingle might be something that just happened to run through his head while he was getting himself stewed up. Just as the Scott Fitzgerald allusion might be merely an off-beat way of saying goodbye.
2番目の文章のThe jingleとはラジオなどで流れる短いCMソングのことだが、ここでは短いフレーズや文章のことを指しているようだ。
また、the Scott Fitzgerald allusionとは14章に出てくるロジャー・ウェイドのもう一枚のメモに記された下記の言葉のことだ。
"I do not care to be in love with myself and there is no longer anyone else for me to be in love with. Signed: Roger (F. Scott Fitzgerald) Wade. P.S. This is Why I never finished The Last Tycoon."
アイリーンによると、ロジャー・ウェイドはフィッツジェラルドのことをクーリッジ以来の酔っ払い作家だとして敬愛していたらしい。これは同じ酔っ払い作家チャンドラー自身の本音なのかもしれない。アイリーンはその思わせぶりな言葉を Just attitudinizing(単に気取っているだけだ)と一蹴している。
マーロウは手がかりを求めてカーン機関というところで働いている知り合いのジョージ・ピーターズに会うことにする。the carriage tradeとは富裕層や上流階級のこと。
So I called up a man I knew in The Carne Organization, a flossy agency in Beverly Hills that specialized in protection for the carriage trade-protection meaning almost anything with one foot inside the law.
片足が法律の内側にある限りは、ほとんどどんなことでも引き受ける、そんな組織だ。
カーン機関はキャンディー・ピンク色のビルの2階にあり、そのレセプション・ルームはブランズウイック・グリーンの壁に緋色とダークグリーンの家具が置かれた、ぞっとするような趣味のインテリアとして描かれている。
マーロウはその空間をデザインした人物のことをこう形容する。
The fellow who decorated that room was not a man to let colors scare him. He probably wore a pimento shirt, mulberry slacks, zebra shoes, and vermilion drawers with his initials on them in a nice Mandarin orange.
「ピメント(赤唐辛子)色のシャツと暗紅色(クワの実の色)のスラックス、ゼブラ縞のソックス、マンダリンオレンジのイニシアルが入った朱色のズボン下(あるいはパンツ)を履いた男」
カーンは元憲兵隊の大佐でピンク色をした巨漢の白人で建材ボードのように堅固な男だ。
Carne was an ex-colonel of military police, a big pink and white guy as hard as a board. He had offered me a job once, but I never got desperate enough to take it. There are one hundred and ninety ways of being a bastard and Carne knew all of them.
面会を希望するマーロウの名前を用紙に書き入れ、時刻を刻印する受付嬢。
"I see. How do you spell your name, Mr. Marlowe? And your first name, please?"
I told her. She wrote it down on a long narrow form, then slipped the edge under a clock punch.
"Who's that supposed to impress?" I asked her.
最後の文章には結構、悩まされた。最初はsupposed が過去分詞の形容詞的用法によりthatを形容している構文だと思っていたが、「印象を与えると考えられているのは誰か?」という意味では、なんとなくわかったようでいてイマイチすっきりしない。
ポイントはimpressが他動詞であるというところにあり、「印象深い」とか「喜ぶ」という自動詞的言い回しが一般的な日本語とは逆に、能動態では「印象を与える」、「喜ばす」という目的語をともなって完結するというところがミソなのだ。
この文はThat is supposed to impress sbを疑問文にしたもので、「それ(記名と打刻という行為)は誰に印象を与えると考えられているのか?」つまり「それをすることで一体誰が喜ぶのか?」という意味になるというわけだ。
ジョージ・ピーターズの部屋はレセプションとはうって変わって、グレーの壁、グレーのリノリウム、グレーの机、グレーの椅子、グレーの電話、グレーのペン、グレーのゴミ箱、グレーのファイルとすべてがグレーの部屋だ。カーン機関のスクール・カラーなのだそうだ。
"I'd like to look at your file on the barred-window boys"とマーロウ。
barred-windowとは鉄格子がはまった窓のこと。file on the barred-window boysとは「収監予備軍ファイル」というようなニュアンスか。当時、その手の業界で使われていた隠語かなにかだろうか。村上訳では『カゴの鳥ファイル』と原文のニュアンスを反映した訳語に、清水訳では端的に「もぐり医者のファイル」となっている。
ジョージ・ピーターズは、そのファイルは部外秘だといいながらもマーロウの申し出を快諾し、ファイルを持ってきて、Vで始まる怪しげな医師を3名ピックアップし、マーロウに情報を提供してくれる。
ジョージ・ピーターズは、「そういえばグレーじゃあないものもあるよ」といってUpmann Thirtyという名前の葉巻を取り出す。「いっしょに一服しないか?虐殺の計画を相談しているインディアン酋長たちみたいにさ」。ジョージ・ピーターズはなかなか「イイやつ」そうだ。
"Should we smoke it together, like a couple of Indian chiefs planning a massacre?"
"I can't smoke cigars."
Peters looked at the huge cigar sadly. "Same here," he said.
UpmannとはH.Upmann(H.アップマン)社のことで、ドイツ人銀行家のアップマン兄弟が1884年にハバナに設立した老舗ブランドだ。
アップマンはJ.F.ケネディが愛好していたことで有名なブランドで、キューバに対する禁輸措置を発動する前にケネディはお気に入りのペティ・コロナス1,000本分を輸入させたという逸話が残っている。
Upmann Thirty(No.30)は、いわゆるセルバンテスあるいはロンズデールと呼ばれるフォーマットで6.5インチ(165mm)×42リングゲージの長くスマートな外観の葉巻だ。残念ながら1980年代に製造中止になっている。ちなみにペティ・コロナスの方は現在でも入手可能だ。
いっしょに一服するかと思いきや2人ともシガーは苦手なようだ。そういえばチャンドラーもシガーではなくパイプ愛好家だった。
Same hereとは相手の言葉に同意して「こっちも同じだ」というときに使うフレースだそうだ。覚えておこう。
帰り際にジョージ・ピーターズが、同僚がレノックスとそっくりの男を数年前にニューヨークで見かけたが、その名前はマーストンだったとマーロウに伝える。
I said: "I doubt if it was the same man. Why would he change his name? He had a war record that could be checked."
could be checkedは仮定法で「調べようと思えば調べることができる」という意味。関係代名詞を使った簡潔な表現のお手本のような文章だ。
部屋を出るマーロウ。make senseは意味をなす、なるほどと思えるという意。
I left him in his metallic gray cell and departed through the waiting room. It looked fine now. The loud colors made sense after the cell block.
どぎつい色使いのレセプションがましに思えるほど異様なグレーの部屋。カーン機関の得体の知れない不気味さが伝わってくる。
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