その白い箱は白金長者丸の住宅街にひっそりと建っていた。
昭和のモダニズム住宅の原型ともいえる土浦亀城邸だ。1935年(昭和15年)築ということは築後80年を超えている。
日本において住宅は平均すると築30年で建て替わっているとの報告もある。木造住宅で築80年を越えて存続していることは自体ほとんど奇跡的なことといっても過言ではない。
敷地は長者丸の丘から西に向かって少し下がってゆく斜面の中腹にある。道路は下がりきったところで行き止まりとなっているため、人や車の往来がない奥まった感じのする静かな場所だ。
敷地の手前に土のまま残されている斜面があり、そこには緑が繁茂し、その一画を表通りから守っているような印象を作っている。佇むとそこだけが少し時間の流れが遅くなっているような感覚を覚える。
敷地は道路面より約2メートル程度上がっており、階段を上がってアプローチする。視線を遮っていた右側のよう壁が、奥に行くにしたがって後退し、末広がりのように空間が開け、玄関廻りのポーチが現れてくる。縦横の空間の変化とそれに伴うシークエンスの変化が心地良い。左手のヴォリュームはガレージ。
スチールの白い横桟が入ったガラスの玄関扉がモダニズム感覚の原型を感じさせる。素材と意匠が放つその若々しい感覚は今見ても新鮮さを失っていない。
建物自体は、白いスクエアなヴォリュームがふたつ、少しずれながら組合わされている。外壁は縦貼りのサイディングだ(建築当初は石綿スレートだったそうだ)。大きく張り出したバルコニーと薄い庇がシャープで潔い印象を作っている。
バウハウスにつながるドイツモダニズムの影響を色濃く感じさせる外観だ。
この住宅は建築家土浦亀城が自ら設計した自邸だ。土浦亀城は、友人が相続した土地に「同じやるならジードルンク風にやっちゃうおうよ」と仲間四人でモダニズム住宅を建てることにした、と証言している(『昭和住宅物語』 藤森照信 新建築社)。
伝説に彩られた白い箱。槇文彦は子供のころに見た印象をこう記している。
「しかし、土浦邸が子供心に与えた強烈な印象は、玄関回りの吹き抜け空間であり、鉄製の細い手摺であった。白い空間に浮かび上がってくるガラスと鉄が伝える新鮮な物質性(materiality)が印象的なのだった。」(土浦フレンズwebsiteより)
(*土浦亀城邸の居間と中二階 『昭和住宅物語』 藤森照信 新建築社 1990より)
土浦亀城邸は、日本を代表するモダニズム建築の重鎮に、モダニズムの啓示とも呼べるような空間体験をもたらした。
段差を巧みに利用し空間を相互に組合わせた内部空間は、バウハウスというよりもフランク・ロイド・ライトを思わせる。
「ハハ・・・気づきましたか。おっしゃる通りで、私はライトのスタイルから離れてモダニズムをやっていたんですが、スペースをお互いに組み込むやり方はライト譲りなんです。どうしてもそこは抜けませんでした」と土浦亀城自身が前掲書において藤森照信の問いに答えて解説してくれている。
ヨーロッパとアメリカのモダニズムが日本の東京の山の手で奇跡的に焦点を結んだ。それがこの土浦亀城邸だ。
この住宅は実験住宅という意味合いもあった。すなわち木造住宅での陸屋根、乾式壁への挑戦である。一般に耐水性に劣る木造住宅では、現在でも陸屋根は難しい。
この土浦亀城邸は、土浦亀城とその妻の土浦信(吉野作造の娘)との共同設計だった。土浦夫妻は、タリアセンでフランク・ロイド・ライトのもとで建築を学んでいる。
土浦夫妻の手許にタリアセンで撮った写真が残されている。
居間の暖炉の前で寛ぐライトとその弟子たち。左から、ライト、リチャード・ノイトラ、モーザー夫人のシルヴァ、土浦亀城、信、バイオリンのワーナー・モーザー、チェロのノイトラ夫人のディオーネ。
(*『ビッグ・リトル・ノブ』 小川信子・田中厚子 ドメス出版 2001より)
西部開拓を志して東部から中西部に移り住んだ開拓ファミリーの辺炉の夕べ、そんな雰囲気だ。まるで映画の一コマのようなアメリカン・ホーム・ライフを象徴する一枚だ。よく見ると暖炉のそばには仏像が飾られ、神棚のような飾り棚もある。ライトの日本趣味を裏付けている。
こちらは製図室で撮られた一枚。左から、ライト、亀城、ノイトラ、モーザー、信。
(*『ビッグ・リトル・ノブ』 小川信子・田中厚子 ドメス出版 2001より)
どこか求道的な空気、たとえば修道院の一室のような、が漂っている一枚だ。ライトのいでたちがそうした印象を強めているのかもしれない。おかっぱ頭の信がカワイイ。ライトは信を「ビッグ・リトル・ノブ」と呼んで可愛がった。神経質そうな相貌のノイトラも見てとれる。
日本にモダニズムを啓示した土浦亀城邸はその後の日本の都市住宅に大きな影響を与えてきた。
建売住宅においては今や乾式工法による外壁は当たり前であるし、無印良品などの箱型のシンプルな建売住宅のルーツはここに起源を持っている。
土浦亀城邸でもっとも象徴的な中二階のフロアは、いったい何のために作られたのか。土浦亀城本人が証言している。それはダンスの時の生のバンドが演奏をするためのスペースなのだと。
楽団の生演奏のための中二階を設けた家。昭和初期のモダニズムが生み出した優雅なライフスタイルに関しては、残念ながらその後の日本の住文化に全く影響を与えなかったようだ。
*初出 zeitgeist site
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