<後編>ではヒルサイドテラス第3期から最終期に当たるヒルサイドウエストを訪ね、槇文彦によって実践された「奥の思想」を探ってみる。
古代の猿楽塚を取り込んだ、時を重ねるデザイン
第3期にあたるD棟とE棟は、第2期のC棟と一体となり、3棟が猿楽塚を中央に抱くように配置される。猿楽塚は計画地に残されていた古代(古墳時代後期 6~7世紀)の遺跡だ。
「建築とはリファレンス(引用者注:参考項)が多いほうが面白くなる」、「さらに言えばいえば、何もないところで自由にやるよりも、何らかのインターベンション(干渉)があるほうが、デザイン力が喚起される可能性が高いのです」(槇文彦編著『ヒルサイドテラス+ウエストの世界』)
猿楽塚を核にした多様なルートの回遊動線、猿楽塚の形状やヴォリュームに呼応したD棟南東隅の円形状の壇状テラス、猿楽塚の地形に寄り添うようなD棟のフロアレベルなど、これらはすべて猿楽塚という非日常的な存在に対する建築側のリアクションなのだ。
ヒルサイドテラスのなかでD棟の外壁だけ、より抽象性の高いイメージのスクエアなタイル貼りが採用されている。周りとなじんだデザインが空間に豊かさをもたらすとは限らない。ここでは猿楽塚という歴史と自然を象徴する存在に、あえて抽象性の高いピュアなモダニズムのイメージを併置させことによって、思いがけない組み合わせによる緊張感やコントラストを味わえるという空間体験が生み出されている。
猿楽塚の緑越しに敷地最奥に位置するE棟が見えがくれする。完成してから四十年の時が流れ、ケヤキの高木が見事に成長し、今や鬱蒼としたイメージの、まさに都市の奥の奥とでも呼ぶべき場所に成熟している。
統一感と個性のバランスが生み出す心地よい街並み
第6期にあたるF・G・H棟は、今までの第1期~第3期の敷地と旧山手通りをはさんだ向かい側に位置する。
都市計画の変更により第二種住専となったことを受けて、建物の高さが、これまでの3階建てから最高5階建てとなっている。旧山手通り沿いの軒高をA棟以来の高さに合わせるため、4・5階のヴォリュームをセットバックさせ、旧山手通りに対するスケール感を維持する工夫がなされている。
F・G棟とも道路側のファサードは連続するガラスサッシュで構成される。F棟では贅沢にも1階の道路面がパブリックなスペースとして開放されるプランとなっており、内外の空間の相互浸透の効果は大きく、外からは内が窺われ、内からは外が望めるという、透明性を空間の襞として利用して奥性が生み出されている。
アプローチは隅入りが踏襲され、コーナーの開放性や抱きの空間性、白い円柱によるエントランスの明示など、これまでのヒルサイドテラスに配置されている記号性も両棟で反復・踏襲される。
ただしその作り込みは、F棟はコーナーの2・3階がキャンティレバーによるフレームのみのヴォイド空間、G棟は2層分のコーナー吹き抜けと、それぞれに新たな意匠が開発されている。
開発の時期や敷地が変わっても、身体的なスケール感や象徴的な空間作法は反復・踏襲しならが、一方では個々の建物ごとに素材や意匠の差異化を図り、計画全体を通じて統一感と個性が高いレベルでバランスしたアーバンデザインが実現されている。
時代に対する批評性という矜持
素材面においては外壁や庇にアルミが採用されている。これまでの棟にはない、工業製品特有の薄さを利用したシャープさや軽さが表現されている。モダニズムの建築言語をベースにしながら、時代によって異なる素材が選択されているところにも、時代の変遷や時間のレイヤーを意識したデザインが見てとれる。
ヒルサイドテラスにおける素材選択は、時代に対する批評性の表明だったことを槇自身が明らかにしている。
「80年代の高級マンションがつくり出したある種のデザイン、素材の与える無意味な贅沢さ、保守性に対するコメンタリィが第6期の表層構成の中で訴えられている」
建築と都市の倫理性を訴えて止まない槇文彦ならでは矜持だ。
絶妙な囲まれ感、ヒューマンなスケール、奥への誘い
F棟とG棟の間に設けれたプラザはヒルサイドテラスらしいパブリック性と居心地を象徴する広場だ。
低層の建物で囲まれた凹型の空間にシンボリツリーのケヤキの高木が植えられる。正面奥のF棟1階には、オープンなカフェが設けられ、プラザに開かれたガラスファサードは、カフェの奥へと視線を誘う。F棟のプラザ側の建物は高さを7mに抑えられており、ヒルサイドらしいヒューマンなスケール感が作り出されている。
プラザの先のF棟とG棟の間を抜けて奥のH棟に向かう軸線は、旧山手通りに対してやや斜めの角度がつけられており、さらにF・G棟の雁行する建物によって空間が一旦絞られることによって、奥の小プラザへの距離感や到達感は実際以上に感じられる。動線は屈曲し、階段によってレベルを変えながら、回遊する楽しさを訴えてくる。ここでも奥性による豊かな空間体験が巧みに演出されている。
この居心地のよいパブリックな空間は、人が集まるには最適で、この日もプラザ、カフェ、奥の小プラサは食のイベントで賑わいをみせていた。
パッサージュによって象徴的に空間化された奥の概念
ヒルサイドウエストは、ヒルサイドテラスの敷地から旧山手通りを約500m西に向かったところに建っている。旧山手通りに面した敷地と裏側の鉢山町の住宅街に面する敷地をつなげ、3棟の建物が配置されている。
ヒルサイドウエストは、敷地が小さく、間口も狭いため、これまでのヒルサイドテラスのように旧山手通り沿いにオープンなファサードを設え、その先に見えがくれや抜けや視線を受け止めるさまざまな襞を介して奥を設けるという空間構成は難しい。
そのかわりヒルサイドウエストでは、奥という概念を道という手法を使って象徴的に空間化してみせてくれる。
カラーを統一しながら素材や意匠を違え、緊張関係のなかでデザインされた3棟の建物を貫いて、表から裏へ、外部から内部へ、さらに内部から再び外部へと続くパッサージュ。ヒルサイドウエストには、旧山手通りの喧騒からは想像もつかない、パッサージュと名づけられた静かな路地空間がひっそり埋め込まれている。
パッサージュは旧山手通りから、その北側の一本裏の鉢山町の住宅街の通りまで、3棟のあいだを縫うように通されており、この内外空間を貫通しながら展開するパッサージュは、通行自由なパブリックな空間として位置づけられている。
吹き抜けの高い天井から低い天井へ、ブロックされる視線、屈折する動線、目の前に現れる小さな中庭、渡り廊下のような半屋外の軒下空間、段差や階段によってもたらされる視界の変化、アルミ・ウッドデッキ・打ち放しなど視線の先に展開するさまざまなマテリアル。
この狭く短いパッサージュを旅する間に体験する空間のバラエティとそのコンテクストの豊かさは、まさに都市の路地の体験そのものだ。
「さらに尾根の道から分岐して丘のひだに向かって入っていく細い道に沿って、往々にして外から想像もつかないようなひめやかな景観に遭遇する。道はきまったように屈折し、時に崖縁に沿って急激にUターンしたり、突然石階段に変貌したりする」という『見えがくれする都市』のなかの槇の言葉がリフレインする。
ヒルサイドテラスは東京へのオマージュ
空間が人の理性や感覚に訴えかけるとは一体どういうことなのだろうか、人が空間を感得するとは一体どういうことなのか。ヒルサイドテラスやヒルサイドウエストの空間に身を置くことは、いつもそう自問させる体験だ。それはほとんど、都市を感じ、東京を感じる体験と同義語だ。
A棟の竣工から25年たった後、ヒルサイドテラスと共に歩んだ越し方を回想して槇文彦はこう言っている。それは「東京へのオマージュ」であったと。
以上
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*参考文献 : 槇文彦+アトリエ・ヒルサイド編著 『ヒルサイドテラス白書』(住まいの図書出版局
1995)
槇文彦編著 『ヒルサイドテラス+ウエストの世界』 (鹿島出版会 2006)
*初出 zeigeist site
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