今からちょうど100年前の1917年、後年20世紀美術史最大の事件として記憶されることとなる出来事が起る。
ニューヨークで開催が予定されていた独立美術家協会の展覧会に、Fountain 《泉》と題された作品が参加費用とともに送られてきた。それは逆さにされた男性小便器であり、R.MUTT(R.マット)とサインがされていた。
(*Fountain photographed by Alfred Stieglitz,source:http://www.cabinetmagazine.org/issues/27/duchamp.php
理事会は当然、展示を拒否し、理事の一人であったマルセル・デュシャンは即刻、これに抗議して理事を辞任する。その後、デュシャンは自らが発行する小冊子「ブラインド・マン」第二号に「リチャード・マット事件」と題する無署名記事を掲載する。
もちろん《泉》の送り主はデュシャン本人である。
アルフレッド・スティーグリッツが撮影した写真がかろうじて残されているものの、《泉》のオリジナルそのものは、その後行方が知れないこと(ゴミと一緒に廃棄された?)や後年、複製の申し出をデュシャン自身が快諾したことなど、《泉》をめぐる一連の出来事は、波紋を広げ、今では20世紀美術史最大の事件として記憶されることとなった。
作ること(創造)は芸術に必須ではないのか、目利きは芸術家か、何らかの美的要素は不要なのか、作品のオリジナリティとは、芸術の主体性とは。マルセル・デュシャンは、芸術とはなにか?それを存立させている根本理由を問い正した。
論争を呼びながら、《泉》は立派なアートとなり、デュシャンの影響は、絵画分野に留まらずに芸術全般に及び、その後、芸術はなんでもありといわれるぐらいに領域を拡大した。
デュシャンの影響は芸術分野に限らない。デザインなどのクリエイティブな分野はもちろん、アートとはほど遠いビジネスの分野まで、世の中のすべてのフィールドはデュシャンの手の内といっても過言ではない。
実態や機能よりコンセプトやコミュニケーションが尊ばれ、既存のものを組み合わせる編集は新たな価値を創造する手法として確固たる地位を占め、オリジナルと複製の差は、テクノロジーの進歩でますます曖昧になり、SNSや画像投稿サイトの登場でアーティストと観客という主体論も既に無意味なものに見えてきてしまっているのが、今の世の中だ。
デュシャンは、《泉》のほかにも、量産される日用品(例えば、車輪やシャベルやコート掛け)を使った一連の作品やモナリザに髭を描いただけの《L.H.O.O.Q.》やパリで製造された中空のガラス容器に《パリの空気》と名づけた作品など、レディメイドと呼ばれる作品群により、芸術を問い直すような活動を続ける。なかでも生涯の大作とよばれているのが、《彼女の独身者によって裸にされた花嫁、さえも》、通称《大ガラス》と呼ばれている作品だ。
1915年-1923年の間に制作され、途中でガラスにひびが入って制作が放棄された作品だ。ちなみにデュシャンはガラスに入ったひびを歓迎したという。オリジナルはフィラデルフィア美術館に収蔵されている。
デュシャンは同名の作品として詳細な資料を残しており(通称《グリーン・ボックス》(1934)と呼ばれる)、これに基づいて制作された複製が世界で4つ存在している。日本では、東京大学教養学部美術博物館に東京ヴァージョンの《大ガラス》(1980)が展示されている。
高さ227.5mm、幅175.0mmのこの作品は、2枚のガラスをあわせてその表面と内部に油彩、鉛、埃など施し、自立させたもので、《泉》とは正反対に、手の込んだ手仕事と難易度の高い制作方法で作られている。
画面の大半は透明なガラスで占められ、視線は背後に容易に突き抜けてしまい、作品を見ているのか、背後の空間にあるものを見せられているのか、見るものは、いきなり宙吊りの状態に陥る。
普通の絵画とは異なり、裏側からも観賞できるが、興味本位で裏側に廻った者は、裏側からの観賞はほとんど意味をなさないことを痛感させられるだけである。
ある物語(作品下部の独身者たちの性欲が気化して上部の花嫁の脱衣を促すという性愛をめぐるストーリー)が描かれており、その解釈もさまざまになされているが、描かれているものにその象徴や必然性を見ようとしても、徒労感に襲われて終わるだけだ。さらにその物語の意味やタイトルにつけられた《さえも》の意味するところなどを考え始めると、さらなる迷宮の深みに陥る。
謎に包まれた内容、もちろん美的感興などは催させない、それでいてひどく手の込んだ作られ方をしているこのモノは、はたして芸術なのか。何のためにこんなに知力と労力と時間をかけて作られているのか。
それは究極の無意味さを芸術と命名することに成功するための周到な企てとしか思えない。
意味や目的や達成やあるいはその結果としての美的感興などは、まったく芸術とは関係ない、との宣言だ。人間の生に意味がないのと同じように、芸術にも意味がない。デュシャンはそう言いたげだ。
本当にそうかどうかはわからない。作品の真意や意図を問われたデュシャンは決まって「わかりません」、「遊びでした」、「単なる気晴らしでした」「何も考えていませんでした」などの言葉で、相手を煙に巻いた。
(*Marcel Duchamp, source:http://www.theartblog.org/2009/09/michael-taylor-tells-all-a-talk-on-etant-donnes/)
《大ガラス》以降、すっかり制作を放棄してしまったデュシャンは1968年に死去する。
ところが、デュシャンの死後、遺作とされた作品が公開され、再び世間は驚愕する。生前に20年間に渡って秘密裏に制作されていた《与えられたとせよ1.落ちる水2.照明用ガス》と題された作品である。
複製どころか、移動することも不可能な、そしてしっかりと作り込まれたこの大作は、これまでのデュシャンに貼られたすべてのレッテルを反転さるような反デュシャン的作品であると同時に、<作らないこと>と<作ること>という概念をも等価にしてみせたような、究極のデュシャン的作品だった。
マルセル・デュシャンの最大の作品は、その人生だったといわれる所以である。
*参考文献 : マルセル・デュシャン、ピエール・カバンヌ、『デュシャンは語る』 (ちくま学芸文庫、1999)
カルヴィン・トムキンズ、『マルセル・デュシャン』 (みずず書房、2003)
展覧会カタログ、『マルセル・デュシャンと20世紀美術』 (朝日新聞社、2005)
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