息を飲む、まさにそんな光景。世界で最も美しい家と言われてきたマラパルテ邸(Casa Malaparte カーサ・マラパルテ 1939)である。
(*source : http://lisaparigi.com/2016/07/casa-malaparte/)
(*source : http://lisaparigi.com/2016/07/casa-malaparte/)
マラパルト邸は、ナポリ湾に浮かぶカプリ島の東に突き出たマッスーロ岬の突端、切り立つ岩の上に身を伏せるように建っている。3方を海に囲まれた崖のてっぺんに、まるでどこからともなく舞い降りたような、そんな形容が似つかわしい家。
北にティベリウス帝の別荘(ヴィラ・ジョビス)のある切り立った崖、その先のベスビオ火山、東にはソレント半島が眺められ、南西にはファランジーニの巨岩が真近に迫り、南東方向遥かに先にはポセイドン由来の古代ローマ遺跡の町パエストゥムを望む。ヨーロッパ文明の源流地ギリシャとローマを手中に収めるたような場所に、この家は建っている。
テラコッタ・レッドの姿が地中海の海の青さ、空の青さと強烈なコントラストをなし、末広がりに拡大しながら屋上テラスに達する三角シェイプの階段は、誰もがひと目見たら忘れられない印象を残す。
(*source :http://www.wallswithstories.com/architecture/casa-malaparte-the-story-behind-the-majestic-villa-from-godards-contempt.html)
もともとの設計はアダルベルト・リベラ。ジュゼッペ・テラーニらとともにグルッポ7を結成、イタリア合理主義建築を提唱し、後にはムッソリーニの下、ファシズム時代を代表的建築家として活躍した。
リベラの当初の設計は、箱を2段に重ねたごく普通のモダニズムイメージの建築であり、マラパルテ邸の最大の特徴である屋上テラスに達する三角形の階段はない。オーナーのマラパルテ自身が地元の石工と共同で作り上げたというのが定説になっている。この住宅はマラパルテ自身の作品なのだ。マラパルテは、この景色は私がデザインしたと、アフリカ戦線に赴く途中に立ち寄ったロンメル将軍に自慢している。
マラパルト邸は、ジャン・リュック・ゴダールの映画『軽蔑』(1963年)の舞台となったことでも有名だ。
『軽蔑』はこんなストーリーだ。
ハリウッドから来た映画プロデューサー(ジャック・パランス)は、監督(フリッツ・ラング)の下、ホメロスの『オデュッセイア』を下敷きにした映画を撮ろうとしているが、もっと通俗的な内容にするためにシナリオ改変の書き手を探している。劇作家の夫(ミシェル・ピコリ)は、妻(ブリジッド・バルドー)との生活のために、この仕事を引き受け、夫婦で撮影現場であるカプリ島の別荘に赴く。何故か妻は夫を寄せ付けなくなり、軽蔑すると言い放つ。夫はその理由を問いただすが、妻は「あなたのせい」とだけしか言わない。
男女二人のやりとりに、ゴダールが当時結婚していたアンナ・カリーナとの関係が反映されていると言われてもいるが、軽蔑の理由が最後まで不明なところ(理由などない?)など、映画のストーリーは原作に忠実だ。原作はアルベルト・モラヴィア。
『オデュッセイア』は、イタケーの王である英雄オデュッセウスがトロイア戦争の勝利の後に、妻ペーネロペーの元に戻るまで10年間に渡って地中海エリアを漂流する物語である。
マラパルテ邸は、まさにオデュッセウスが漂流した地中海(ティレニア海)を見下ろす場所に建っている。有名なエピソードであるセイレーンが住む島があったとされる場所も望める。
当時29歳のブルジッド・バルドーは、その自慢の肢体を惜しげもなく晒して眼下の海で泳ぎ、屋上テラスで日光浴をする。妻の居場所を捜して、末広がりの階段を駆け上がるミシェル・ピコリは不安げな足取り。窓の外にファランジーニの巨岩が映されるリビングルームでは、登場人物たちの気まずい雰囲気の会話が続く。輝く太陽と眩い地中海とは正反対に、陳腐なイメージの劇中劇の撮影風景が白々しい。屋上テラスから見た海と空が溶け合う水平線がラストショットだ。
マラパルテ邸を建てたクルツィオ・マラパルテ(Curzio Malaparte)という人物は、その家にもまして破天荒で危険な魅力を持った人物だ。
(*source:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Curzio_Malaparte_alpino.jpg)
(*source:http://www.lastampa.it/2008/02/06/cultura/la-conversione-di-malaparte-JWdKSlui2Mcmmvc0ymZrwI/pagina.html)
本名クルト・エーリッヒ・ズッケルト。1898年トスカーナに生まれたドイツ系イタリア人。当時の政治的・文学的英雄ガブリエーレ・ダンヌンツィオと同じ名門校チコニーニの出身だったことを生涯誇りにした。早熟な政治少年はイタリア参戦前から義勇兵として第一次大戦の前線に。ジャーナリストとして処女作は発禁処分。その後ファシスト党に入党。数々の雑誌を創刊、編集する。ファシストでありながらファシスト批判を繰り返す。ヒットラーを女のようだと痛罵したことで有名な『クーデターの技術』(1931)は左右両陣営から批判をあびる。度重なるムッソリーニ批判により、ついにはファシスト党員証を剥奪、逮捕、リーパリ島に流刑。第二次大戦ではイタリア軍の戦地特派員として再び前線に赴く。ドイツ戦線での体験に基づいた小説『壊れたヨーロッパ』(1944)は、ヨーロッパの戦場を描き衝撃を与える。敗戦後は反ファシストとファシストの両方の理由で逮捕と釈放が繰りかえされる。密かに共産党入党を申請し、ロシア、中国を訪れる。1957年、第一次大戦の戦場で受けた肺の損傷が遠因となり死去。死の床にあってイタリア共和党とイタリア共産党から党員証が届くが、最期はそれらを捨てて、プロテスタントからカトリックに改宗したと伝えられている。
ペンネームのマラパルテとはイタリア語でバッドサイド、バッドパートという意味。ナポレオン・ボナパルトのボナパルテ(グッドサイド、グッドパート)を茶化したシニカルなおふざけの陰に、その向こうを張ろうとするヒロイックな自己意識も見え隠れする。
作家、ジャーナリストであり編集者。あるいは、共和主義者であり、ファシストであり、共産主義者であり、キリスト教徒。ファシスト批判を繰り返すファシスト。権力志向と権力批判の奇妙な共存。
英雄願望のニヒリスト。あらゆる価値の紊乱者にして生粋の非順応主義者。矛盾だらけのとっ散らかったエピソードの数々。
マラパルテはその住宅を“A house like me” 「私のような家」(イタリア語でCasa come me)と呼んでいた。
孤高であることと、ヒロイックでロマンチックな生を同時に求めるような、まるで観客のいない自己劇化のための舞台のような家。
崖に張りついた堅固な要塞にして、同時に今にも海に向かって漕ぎ出そうとしている船舶のような自由な漂泊のイメージも漂う家。
それが建つ、地中海の輝きとヨーロッパ栄光の地のイメージとは正反対の、どこか監獄や独房を思わせるような、暗く閉鎖的な雰囲気。
(*source:http://www.arquiscopio.com/pensamiento/la-villa-malaparte/?lang=en)
マラパルテ邸は、なんとそのオーナーの人生に似ていることか。
「イタリア文化のギャングスター」(アントニオ・グラムシ)と呼ばれ、終生、胡散臭さがつきまとったマラパルテだが、窮地に陥った芸術家をその政治信条や宗教いかんにかかわらず寛大に援助するという美徳を持っていた。モラヴィアもその一人で、ブルジョワジー批判の危険な作家としてムッソリーニから睨まれていたモラヴィアをトリノの新聞の特派員としてロンドンとパリに脱出させたのもマラパルテだった。マラパルテ邸での二人のツーショットの写真が残されている。
イタリアが生んだ20世紀屈指の詩人ウンベルト・サバもその一人だった。ユダヤ人迫害から逃れる逃亡の旅に疲れ、窮地に陥っていた詩人をマラパルテは助力している。イタリアの辺境トリエステに生きた、マラパルテとはおよそ正反対のイメージの叙情詩人は、ローマの病床でマラパルテにこう話しかけた。
「きみは達者だ。じつに達者だ。しかし、きみのなかには、クルツィオ――わたしにはわかっているとも――謙虚なところ、と同時に善良なところといった気性が、隠されている。これは私の願いだが、きみがやがて老いて疲れはて、そして”成功”に飽き飽きしたときに、神様がきみの霊感を吹き込んで、彼がきみにあたえたもうた業でもって、きみの死のあとにはじめて出版される一冊の本を(したがって”成功”とはまったく無縁だ、この世のきみにとっては)きみに書かせてくれたらよいのだが」(『壊れたヨーロッパ』 古賀弘人の解説より)
ヒロイックな生の願望の陰に隠されているナイーブな真性を射抜くような、サバの鋭くかつ愛情に満ちた言葉に、マラパルテはじっと耳を傾けていたそうだ。
このエピソードに登場するマラパルテも、矛盾に満ちたクルツィオ・マラパルテの人生のなかのひとつの真実の姿であったことは間違いない。
(*source :http://www.wallswithstories.com/architecture/casa-malaparte-the-story-behind-the-majestic-villa-from-godards-contempt.html)
*参考文献 : クルツィオ・マラパルテ『壊れたヨーロッパ』、晶文社、1990
クルツィオ・マラパルテ『クーデターの技術』、中公選書2015
アルベルト・モラヴィア『軽蔑』、角川文庫1964
映画『軽蔑』(監督ジャン・リュック・ゴダール、1963)
Michel McDonough MALAPALTE A HOUSE LIKE ME、Clakson Potter 1999
*初出 zeitgeist site
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