装飾とは時代遅れの産物か?
シンプルなモダンデザインが当たりまえになっている時代にあって、装飾は過去の因習や特権の象徴、時代遅れのスタイル、バッドセンスの意匠、と完全に悪者扱いである。
ミュラー邸などモダンニズム建築の先駆的な作品を作った世紀末ウイーンの建築家アドルフ・ロースは、「装飾と犯罪」(1908)と題された論文で「文化の発展は日用品から装飾を削り落としていく過程に相当する」と定義し、装飾は犯罪だとまで言い切った(アドルフ・ロース『にもかかわらず、』みすず書房、2015)。
劇作家で評論家の山崎正和は「人間の文明と文化の歴史のなかで、もっとも古い営みの一つが造形であることはほぼまちがいない」として、さらにその造形は、普遍性を志向する意志とそれに抗い個別性に固執する意志の二極への分化をはらんだ行為であるとし、前者をデザイン、後者を装飾と呼んだ(山崎正和『装飾とデザイン』、中公文庫、2015)。
建築の世界を例にとり、世界の普遍性を希求する意志(つまりデザイン)の事例として、ル・コルビュジエの《サヴォア邸》やミース・ファン・デル・ローエの《シーグラム・ビル》が挙げられ、物の個別性に固執する意志(つまり装飾)の事例として、アントニオ・ガウディの《カサ・バトリョ》と《サグラダ・ファミリア》が挙げられる。
(*Villa Savoia,source : http://it.france.fr/it/da-scoprire/alla-villa-savoia
(*Casa Batlló,source : http://bubahouse.com/casa-batllo-buba-price-250e/)
装飾とデザイン。この対立するふたつの原理がお互いに影響を与えながら展開してきたのが、造形の歴史だった。
先に挙げた、装飾を徹底的に攻撃したロース自身が「みずからの顔のみならず身のまわりの物すべてに装飾を施そうとする欲求は、造形芸術の始原である。同時にそれは絵画芸術の揺籃でもある」と記しているように、装飾は造形や芸術の始まりであった。
造形は装飾から始まった。装飾はデザインに先立つ人間の意志だったといえる。
その装飾をテーマにしたアート展『装飾は流転する』(@東京都庭園美術館、2017.11.18~2018.2.25)を見ながら、装飾とデザイン、そして芸術を考えた。
炸裂する装飾パワー ~『装飾は流転する』展~
リモアの既製品のアルミのスーツケースにエンボス加工でイスラム文様を施したのは、ヴィム・デルヴォアによる作品。
(*ヴィム・デルヴォア《リモア・クラシックフライト・マルチウィール917.73.00.4》、2015)
シンプルで機能的で現代的、モダンデザインの見本のようなリモア社のスーツケース全体に施された細密なイスラム文様。そのめくるめく装飾は、リモアのもつモダンなイメージを裏切り、日常性からの逸脱をイメージさせる、妖しくも抗しがたい魅力を放っている。
こちらは一転して、装飾が構造であり意匠であるような《ノーチラス(スケールモデル)》と題された作品。微細にレーザーカットされたひとつひとつのゴシック装飾の部品が集積してノーチラス(オウムガイ)のイメージが生み出される。ここでは全体と部分、フォルムとディテール、本体と装飾という腑分けはもはや完全に意味を失っている。
(*ヴィム・デルヴォア《ノーチラス(スケールモデル)》、2013)
考古学が明らかにしているところによれば、先のロースの言葉にもあるように、ひとが最初に意識した「もの」とは自らの身体だった。装飾の起源は自らの身体に施す造形だった。化粧やタトゥーや髪飾りや衣装、ここから造形が始まった。それを象徴するかのようなのが山縣良和の作品だ。
なかでも、装飾の持つ祭祀性という役割を強烈に印象づけ、偏執的なまでの過剰さで見るものを圧倒する《七服神》という作品。均衡やほどほど、という常識とは正反対の爆発するエネルギー。装飾という行為自体が内包する逸脱や過剰というヴェクトルを感じさせ、これでもかという領域まで行かざるを得ない、装飾の持つ暗い宿命を暗示しているかのようだ。「装飾とは造形の終わりなき延長」(山崎正和)、との言葉が浮かんでくる。
(*山縣良和《七服神》「THE SEVEN GODS-clothes from the chos」 2013春夏コレクションより、2013)
装飾とデザイン、そして芸術が葛藤する造形の歴史
装飾は、先史時代の人間が、その根源的不安を背景に、自らの身体や身近な場所や物に印づけをして「聖別」することで、寄る辺なき世界における自らと自らのいる場所を確かなものとする行為が始まりである。一方でデザインは、人間が道具づくりという行為を通じて、世界を理解し、対峙し、支配するための普遍性や抽象性を獲得したことに始まる。
その後、装飾は「見るための造形」、デザインは「使うための造形」としてそれぞれ独自の役割を担ってきたが、近代における工業化は状況を一変させる。
工業化が生み出したものは、機械を使った安易な装飾と悪しきデザインの氾濫だった。これに対抗するように誕生したのが近代における芸術という概念だったと山崎正和は指摘する。
美を生み出させない工業化時代のデザインと装飾に代わり、芸術は人間感性の絶対性の証として特権化してゆく。
これに対して、装飾は機械化の否定による巻き返しを図る。アーツ・アンド・クラフツ運動、アール・ヌーヴォー、アール・デコの動きである。一方、デザイン側の建て直しは、アーツ・アンド・クラフツ運動を契機としながらも、逆に機械化を取り込みながらドイツ工作連盟を経てバウハウスによってなされてゆく。
その後、特権化した芸術は、人間感性の優位性という自らのレゾンデートル(存在意義)をも自己否定するかのように概念化の道をたどる。頭で理解する、理性で観賞する抽象芸術やポップアートやコンセプチュアル・アートの世界だ。
バウハウスはモダンデザインとして結実し、世界に普及していくが、そのモダニズムもLess is moreのスローガンがいつしかLess is boreと称されるようになり、ポストモダンの盛衰を経て、かつてデザインという行為が希求した普遍性という価値への懐疑を募らせてゆく。
装飾の未来、デザインの未来
では、装飾はどうなったのか。建築や工芸や美術界での装飾の旗色は悪い。そんななかで装飾がそのパワーを保ってきたのが、その起源でもある身体造形としての装飾である。化粧、装身具、服飾などファッションの分野である。
今回のアート展『装飾は流転する』でも、過剰、逸脱、過激という装飾本来の持つエネルギーを最も感じさせたのが山縣良和のファッション作品だった。
とはいえ、コスパが言われ、ファストファッションが人気を集め、ミニマリストが注目され、「終わコン」とまで揶揄されるファッションに、はたして装飾の未来はあるのか。
世界のなかでの人間の根源的不安に由来する、身近な物への印づけに起源を持つ装飾を、はたして人は完全に否定しきれるのだろうか。
(*旧朝香宮邸 正面玄関 ガラスレリーフ扉 ルネ・ラリック作(部分))
モダニズムが世界を席巻していく20世紀初頭、建築界における最後の装飾の輝きといわれたのがアール・デコである。アール・デコの意匠を纏った旧朝香宮邸(東京都庭園美術館)の優美な空間は、装飾とデザイン、そして芸術のこれからに思いを馳せるのに、これ以上にふさわしい場所はないことは、唯一確かなことである。
*初出 zeitgeist site
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