プリッカー賞受賞建築家・妹島和世による最新美術館を都内で観られるのが、すみだ北斎美術館です。
すみだ北斎美術館は、『富嶽三十六景』や『北斎漫画』などで有名な江戸後期の天才浮世絵師・葛飾北斎(1760-1849)が、本所割下水(現墨田区亀沢1~4丁目)で生まれ、長年その周辺に住んだことから、亀沢3丁目の日進公園に隣接して建てられています。本所割下水跡は現在「北斎通り」と命名されています。
透明で、軽やかで、自由で、楽しげな、そんな妹島建築を観てみましょう。
<路地>を通って美術館へ
1階には、それぞれ独立した4つのヴォリュームの空間が配され、その間を通路が通っています。通路は敷地の4方に通じており、建物にはどの方向からもアクセスできるプランとなっています。
この通路に入った瞬間に連想したのが路地の空間です。
両側には建物が迫り、やや薄暗く、人が通れるだけの狭い通路が細長く先まで伸びる。建物が切れた通路の先はまた別の街の様子が見え、明るい光が先へと誘う。狭く包み込まれるような空間は、表通りの大きな空間にはない安心感や独特の居心地を感じさせる。日本の普通の住宅地によく見られる路地は、こんな空間体験を与えてくれる空間ではないでしょうか。
すみだ北斎美術館の1階の通路も、そんな空間経験を与えてくれます。
美術館のような公共建築では、しばしば建物の1階を周辺の都市空間と連続させ、市民に開放する計画とすることがあります。
その際に採られる手法がピロティです。ピロティを提唱した本人であるル・コルビュジエが設計した上野の国立西洋美術館などがその例です。
ピロティは、ル・コルビュジエの言葉どおり、地上を広々した空間として都市に開放する、あるいは前面の広場と連続させて大きな公共的空間を作るなど、いかにも西欧近代的な空間設計の手法といえます。
北斎が住んだ江戸末期の本所は、下級武士である御家人の家がびっしり密集した場所でした。縦横に走る川沿いは小さな町屋の集積によって占められています。建て込んだ建物の間を大小の路地がいたるところに通っていた街であったろうと想像されます。
北斎は異例の長寿で89歳まで生き、その間に93回の引越しを繰り返しました。そのほかにも雅号をころころ変えるなど、北斎はちょっと変わった人物だったようです。だだし移り住んだところのほとんどは、生まれた本所周辺であったそうで、北斎の本所の街への強い愛着やこだわりをうかがわせるエピソードです。奇行の人・北斎は、路地が走る下町・本所の街を愛した人でもありました。
ピロティや広場という西欧都市の大空間ではなく、<路地>を通って美術館へというすみだ北斎美術館のプランは、いかにも北斎らしい企てといえるのではないでしょうか。
外部が侵入する<まち的空間>の美術館
建物の中に入るとすぐ感じるのが、外の<まち>の空間の内部への侵入です。
床と壁を大きく切り取ったスリット状のガラス開口を介して、外の風景や空気感が凸状に内部に食い込んでいます。
最近ではガラス・カーテンウォールの外壁は当たり前であり、透明な建築は目新しいものではなくなってきていますが、床が切り取られ壁が内部に入り込んだような空間、しかも3次元的な動きを与えられたガラス開口は目新しく、外から眺めている以上に建物内部に入った際のインパクトは大きく、外の<まち>の景色がそのまま内部に侵入してきているような、そんな感覚を抱かせます。
垂直のガラス壁を挟んで見る外部はあくまで内部と対峙する外部ですが、この3次元的動きを伴ったガラススリットによってできる空間(外から見ると凸、中から見ると凹)は、外部でありながら内部、内部でありながら外部という両義的な印象の不思議な空間体験をもたらしてくれます。
こうした空間を<まち的空間>と呼んでみたくなります。
すみだ北斎美術館に所蔵されている北斎コレクションを残したピーター・モースの先祖で、明治初期に来日し、大森貝塚を発見するなど、日本の人類学と考古学の基礎を作ったエドワード・S・モースは、日本の住まいや暮らしの詳細な記録を残したことでも知られています。名著『日本人の住まい』では、鍵をかける人など誰もいない、見知らぬ人が入り込んでも縁側でお茶を出して歓待してくれるなど、近代以前の日本人の驚くほど開放的でフレンドリーな住まいと暮らしに魅了される様子がいきききと描かれています。
北斎が住んでいた当時の本所の街も、<まち>と<いえ>がシームレスに連続したような暮らしだったに違いありません。
内部に居ながら外の<まち>を感じられる<まち的空間>は、北斎が住んだ本所に建てられる美術館に実にふさわしい設えではありませんか。
反・箱型の<いえ的>な建築の楽しさ
下は北斎美術館周辺の墨田区を北側から撮った航空写真です。遠くに高層ビルが集積する都心や湾岸エリアに林立するタワーマンションが望めます。右手にはオフィスタワーの陰に国技館や江戸東京博物館の建物の姿が辛うじて見えます。美術館がある中央から左側にかけてのエリアには大小の箱型のマンションやオフィスビルがびっしりと建ち並んでおり、もはや美術館自体がどこにあるか判らないような具合です。
(*墨田区航空写真、「妹島和世SANNA×北斎」展チラシより、©妹島和世建築設計事務所)
すみだ北斎美術館はどこか<いえ的>なイメージがないでしょうか。
建物自体はモダニスムの建築言語で作られており、外装は全面アルミパネルで覆われ、ヴォリュームも大きく、家の形をしているわけはもなく、もちろん傾斜屋根など乗っているわけでもないのですが、すみだ北斎美術館の文節化された、いくつかの不整形のヴォリュームが寄り添うような姿は、家が建ち並ぶどこかの街角の佇まいを思わせます。
箱型を拒否し、立体格子を否定するこの建築は、箱型と立体格子によるマンションやオフィスで被い尽くされている今の東京の街にあって、どこかアンチな痛快さやマイナーゆえの批評性のようなものを感じさせ、妹島建築ならではの楽しさのオーラが漂っています。
展示室が狭い、上階の展示室への動線が2台のエレベーターに限られる、トイレなどへ至る共用空間が窮屈、入り口が分かりにくいなどの使い勝手上の不満もあるようですが、このすみだ北斎美術館は、そうした不満を陵駕して余りある魅力と楽しさを有した美術館です。
そしてなによりも、葛飾北斎の愛した本所の<まち>にふさわしい建築ではないでしょうか。
*すみだ北斎美術館
〒130-0014 東京都墨田区亀沢2丁目7番2号
http://hokusai-museum.jp/
TEL:03-5777-8600
*初出:zeitgeist site
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