日本における鉄筋コンクリート造の集合住宅について、その100年の歴史を展示するのがUR都市機構の集合住宅歴史館です。すでに取り壊されてしまった歴史的な集合住宅(部分)が移築・復元されています。
前回<2>、前々回<1>に続き、八王子のUR集合住宅歴史館で今の日本のマンションのルーツを体験してみました。
1955年(昭和30年)に発足した日本住宅公団が、それまでの郊外立地、3~5階建て、2戸1階段室型、南面並行配置という、いわゆる団地の基本フォーマットを捨てて挑戦したのが公団初のエレベーターつき高層集合住宅の晴海高層アパートです。
戦後の住宅不足は深刻さが続いており、当時でも270万戸住宅が不足しているといわれ、高層化は住宅量産の切り札でした。
晴海高層アパートはSRC造10階建、総戸数168戸の規模を誇り、設計はル・コルビュジエに師事した前川國男。晴海の埋め立て地、現在はトリトンスクエアとなっている日本住宅公団晴海団地の敷地内に建てられました。
ル・コルビュジエは、自らの理想都市「輝ける都市」の実現化を、いくつかのユニテ・ダビタシオンで試みました。建物を高層化し、太陽と緑を享受するというビジョンの住宅版です。なかでもマルセイユのユニテ・ダビタシオン(1952)が有名です。
晴海高層アパートは、師コルビュジエのユニテを手本に、弟子の前川が挑んだ日本の集合住宅史に残る傑作です。集合住宅歴史館に展示されている全体模型でその全容がうかがえます。
マッシブなヴォリューム、バルコニーからやや飛び出して納まる小梁、格子のようにみえるRC手摺、足許で裾広がりとなる柱などに、前川らしいどこか民俗的、土着的な雰囲気を宿した建物です。
建物をピロティで地盤から持ち上げ大地からの解放を宣言し、コンクリートの構造体を人工の土地に見立てて、縦に積み上がってゆく都市を構想する。屋上は空中の庭として住民に開放される。縦の「輝ける都市」であるユニテ・ダビタシオンのコンセプトです。
残念ながら晴海高層アパートでは、設計当初にあったピロティは公団の意向で途中で住戸化されてしまい、屋上も開放されることはありませんでしたが、人工土地の発想に基づく、将来の可変性や自由度に関しては、むしろは晴海高層アパートの方がはるかに先進的でした。
晴海高層アパートでは、メガストラクチャーと命名された3層毎のSRCの構造体のなかに、3層×2スパン計6住戸が嵌め込まれる構成になっており、横方向はもちろん、縦方向へもユニットの変更が可能になっていました。模型でも3層・2スパンごとに太い柱・梁が設けられているのがわかると思います。さらには、ブロック積みの戸境壁や室内に露出した配管など、空間の可変性と将来の更新性を強く意識した設計がなされていました。
こうした空間と時間の更新性をインストールした建築という、後のメタボリズム(建築・都市の新陳代謝をコンセプトにした1960年代の日本における建築運動)やその後、スケルトン・インフィル(SI)として注目される発想が既に具現化されているのに驚かされます。
このほかにも、フラットな型枠による左官仕事の軽減、工業化されたプレキャスト部材の導入、日本初のプレス加工のステンレス流し台の採用、伝統的な寸法にとらわれない畳(900×2,400)、モジュールを合わせた木製サッシュと障子、天井高いっぱいまで開口としたガラスの欄間など、晴海高層アパートには随所に、合理的な発想と住宅の量産化への先駆的な試みがなされており、モダニズムの倫理性や社会性にこだわった前川國男の意気込みが感じられます。
全体模型や妻側からの写真を見ると、漠然と抱いていたイメージよりも、はるかに横長でかつ奥行きが薄い建物であることがわかります。奥行方向の柱スパンは7.4mしかありません。奥行きの薄さはユニット面積の小ささを反映してのことです。
コルビュジエのユニテでは、メゾネット住戸が互い違いに噛みあうように2住戸ペアになって、3層ごとの架構のなかに収められる構成でしたが、同じ3層ごとの架構ですが、晴海では全戸フラット住戸であり、3層ごとの共用廊下から、2戸1で設けられた共用階段を上り下りして、上下の非廊下階の住戸にアクセスするという方法(スキップアクセス)が採用されています。
晴海においても設計段階ではメゾネット住戸が検討されていました。しかしながら、メゾネット住戸は住戸面積が狭い場合は、間取りに無理が生じ、事実上不可能であるため断念されました。ユニテの住戸面積が約100㎡・3LDKであるのに対して、晴海のそれは35㎡(廊下階住戸)、44㎡(非廊下階住戸)の2DKとその半分にも満たないレベルでした。
下の写真はバルコニー側からみた非廊下階住戸(44㎡・2DK)の室内です。居室はDK以外は畳の続き間になっており、引き戸とガラスの欄間により、動線の回遊性と天井までの抜け感など、今どきのリノベマンションのような開放感があります。
下の写真の手前左にあるのが日本初のステンレスキッチンです。手前右に露出の配管がみえます。さすがに排水音は気になったようです。
正方形でモジュールをあわせた障子と木製サッシュがモダンな印象です。約5mのフロンテージと室内に柱・梁が露出していないため、開口面積が大きく、室内はとても明るく感じられます。写真奥にプレキャストのバルコニー手摺が見えます。縦の部材は連子子(れんじこ)のような菱形の断面をしています。この辺がどことなく日本建築っぽい外観の印象を醸し出している理由です。
3層おきに設けられた廊下は幅は約2mと今のマンションに比べ広めです。高層住宅においても住民同士が交流できる場を身近に設けるというアイディアとして、実際に立ち話や子供の遊び場になっていたそうです。とjはいえ、廊下のスラブ下は下階の住戸の専有部分であるため、音の問題があり、遊び方などを制限していたそうです。廊下階の住戸の玄関扉は、扉を開けた際に扉が廊下にかからないように引き戸となっています。今のマンションの開放片廊下の寒々とした味気ない印象に比べ、どこか路地空間を思わせる親密な居心地を感じさせます。
日本の集合住宅史を画する数々の新しい試みが組み込まれ、世界の集合住宅史という視点からもユニークな存在だった晴海高層アパートは、1997年、築後わずか39年で取り壊されてしまいます。
メガストラクチャーによる更新性や可変性など、今日のスケルトン・インフル(SI)を先取りしているアイディアも一度も試されることなく終わりました。
「ユニテの東洋版」(ロジャー・シャーウッド)と称されながら、前川の晴海高層アパートが辿った運命は、コルビュジエのマルセイユのユニテ・ダビタシオンが、築後68年たった現在でも現役であり、集合住宅のプロトタイプとして世界中の研究者やマンション好きを魅了し続けているのとは、実に対照的なものでした。
(参考文献)
植田実「晴海高層アパートに託された都市高層集合住宅の夢」『新建築』2008年8月号(新建築社)
ロジャー・シャーウッド「現代集合住宅プロトタイプ」『都市と建築(a+u)』臨時増刊号(エー・アンド・ユー、1975年)
■UR都市機構 集合住宅歴史館
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*初出:東京カンテイ「マンションライブラリー」
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