先日、めずらしく平日の昼時に銀座にいたことから、昼飯は久々に「タイガー食堂」だ、と銀座一丁目の路地に向かったところ、その目印だった袖看板と緑のストライプの日除けが跡形もなく消え去ってしまっていた。
銀座一丁目の「タイガー食堂」は、まさに「食堂のかたちをした昔」と形容したくなる佇まい。
ペンキで塗った木製枠の入り口のガラス戸、天井ファンがゆっくりと回転する店内、壁際に伸びる一人客用のカウンター、無関心に流されているテレビ中継、さして効果がなさそうな扇風機、無造作に壁に張られた手書きの品書き、お決まりのデコラのテーブルと背と座面がビニール張りのパイプ椅子とペラペラのアルマイトの灰皿、どんぶりで供されるライス、フライものが異常に充実したメニュー構成、いろいろな盛り合わせが最高にお得感のあった「今日のランチ」、定番のスパゲティナポリタンの付け合せetc.
そして名が体を現すごとく、店名が記された看板は紛れもなく昭和時代の街の洋食系食堂のアトモスフィアを醸し出していた。
やっぱりネ、いつかこうなることは薄々わかっていたハズだ、今になって慌てても後の祭りの勝手な感傷というものだ。ともあれ、銀座からまたひとつ孤独のランチにふさわしい食堂がなくなってしまった。さて、どうしよう、こういうのはいやなシチュエーションだ、心に決めた店に入れなかった時、ましてや跡形もなく消失してしまっていた時に、次に入りたくなるような店などきっと見つからないだろう。スイッチが切り変らないのだ。ショックを隠しながら、ここでもない、あそこでもないとやっているうちに、きまって昼飯時を逃してしまう。そうなったら、いっそ潔く昼飯抜きの方がせいせいするというものだ。
「タイガー食堂」。入居しているビルの解体に伴ない2008年11月に閉店。
銀座での孤独なランチに最もふさわしい店といえば、なんといっても日比谷の三信ビルディングの1階の「ニュー・ワールド・サービス」に止めを指すだろう。
なんの雑誌で読んだのか今や判然としないのだが、自分が私立探偵物の小説を書くとしたら、主人公の借りる事務所は三信ビルディングの一室であり、その探偵のとる昼飯はきまって1階の「ニュー・ワールド・サービス」でなければならない、としたエッセイがあった。
今や書き手が誰かも記憶の彼方なのだが、読んだ時はもちろん、今もって蓋し卓見だと思う。
2層吹き抜けのヴォールト天井と吹き抜け空間を渡る優雅な手摺の渡り廊下が圧巻だった、今やなき三信ビルディングは、1929年(昭和4年)の竣工。この、戦前の東京の空気を纏った建物は、現代社会に対する孤高の批評家の役回りを演じなければならない探偵物語の主人公の事務所にはまさにうってつけだと思った。
その三信ビルディングの1階にあった「ニュー・ワールド・サービス」はその名の通り、進駐軍時代からの雰囲気を漂わせるレストラン。「スナック バー」と書かれた看板がなんとも泣かせる存在だった。
ソフトクリームとハンバーグを日本に広めたとされるこの店の、ほの暗い雰囲気の、いかにも「喫茶店」風のソファのテーブル席で、ハンバーガー(オーソドックスでまことによろしかった一品)かなにかを食して、コーヒーを啜る一人のランチタイムは、孤独な外回りのプライドにふさわしいプライベートでしかも不思議と自由な時間でもあった。
この、名探偵(?)とそして孤高のビジネスマンたちに孤独なランチというプライドを提供し続けた「ニュー・ワールド・サービス」も三信ビル解体に伴ない2007年3月に閉店。
遡れば、銀座8丁目の「キッチンフロリダ」、旧交詢社ビルの地下のビアホール「ピルゼン」など孤独なランチにふさわしい食堂が銀座の街から姿を消して久しい。かつての銀座は決して百貨店とブランドショップと高級クラブだけの街ではなく、インディペンデントな気概をもった存在たちの日常にふさわしい店がそこここに点在している街でもあったのだ。
名探偵や孤高のビジネスマンたちが、とっくの昔に消え去ってしまった現代において、そうした店だけが生き残っている筈もなく、時代の趨勢とはいえ、なんとも寂しい感じではある。
今も昼下がりに銀座の路地に迷い込んだ際など、叶わぬことは分かりつつも孤独なランチにふさわしい匂いのする店を探して、いつの間にか時間も忘れて歩き回ってしまうのである。
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