もちろんフォークルは知っていたが、なんといっても始まりは「サイクリング・ブギ」(72年)。ファーストアルバムの『サディスティック・ミカバンド』(73年)は、T・レックス好きのロック少年が日本のロックバンドで始めて買ったアルバムになった。「サイクリング・ブギ」が収録されたドーナツ盤がおまけで入っていたのも楽しかった。それにしても、いくら探しても見つからないこのアルバムはどこに消えてしまったのだろうか?
忘れもしない、74年のコンサート。友達を誘ったが誰もいっしょに行きたがらなかったこと、なんとサディスティック・ミカ・バンドがキャロルの前座(前座だぜ!前座。キャロルの!)だったこと、ガラガラの客席など、この偉大なバンドの当時の日本での人気のなさは今思い返しても実に寂しい限りだった。
そして、いわずと知れた『黒船』(74年)。楽曲の質の高さ、メンバーの超絶テク、音の厚さや奥行き、全体の一気呵成な流れと個別の曲のメリハリ、コンセプトとそれが隅々まで行き届いている目配せ、ハード&ストレートでいながらあくまでスマートさを併せ持ったバランス、トータリティとはこういうものか、オリジナリティとはこういうことかと、その迫力と濃密感に文字通りぶっ飛んだ。そして加藤和彦の常にどこか壊れそうな雰囲気をたたえているメロディと歌声。相変わらずのお茶目ぶりもちりばめられた文句なしの傑作。プロデュースのクリス・トーマスとは、あの『狂気』のクリス・トーマスだったと知って再び驚いた。
伝説のロンドンツアー(75年)前後のメンバー、なかんずく加藤和彦のモッズっぽいファッションの輝いていたこと!
スタジオ録音の最後となった『ホット・メニュー』(75年)の前作とうって変ったなんら統一感というものの欠如した豪華一品主義もミカバンドらしくて良かった。「それ行け!トーマス」、「ファンキー MAHJANG」などなど。“ハチイチヨンイチ”とはなんのこっちゃ?そしてやりたいことをやりつくしたかのように同年解散。
安井かずみとのコンビによる3部作の第1作目『パパ・ヘミングウエイ』(79年)で開拓したとびきり垢抜けていてライトでミーハーで幸せな世界観。「アラウンド・ザ・ワールド」の“Jambo, Caravel, DC8 Plane, Gate Number 2, Baby, Hurry Up!”というところがなんともキマッており、何回も真似して口ずさんだこと。ジャケットデザインは表も裏も実に秀逸だった。一連の作品の「欧米並みの自然体で世界を楽しんでいる(楽しめる)自分」というコンセプトが当時は最高にお洒落に見えたこと自体が今は気恥ずかしくなるぐらい懐かしい。
そのアルバムが録音されたバハマのナッソーで撮ったらしい、生成り色のサファリっぽいデザイン(おそらく当時はさきがけだったイタリアもの)の長袖のコットンシャツとコットンの白のトラウザースと白のシューズといういでたちの加藤和彦。黒のサングラスをかけ、左胸のポケットにはさり気なくハイビスカスか何かの花がさしてある。胸のボタンのはずし具合や袖の捲くり上げ具合など、今見てもンーん、まいったという感じのカッコ良さ。当時は全員で銀座の「マルボロ」にエポレット(肩章)付きのコットンシャツを買いに走ったものだった。
確かその当時、どこかの雑誌のどんなスタイルが好きか?とのお決まりに質問に「スタイルがないのが僕のスタイル」と嘯いて煙に巻いていた加藤和彦も飛び切りクールで素敵だった。
旧TBS会館の地下の「ざくろ」で加藤和彦・安井かずみ夫妻を見かけたのもその頃。周囲に漂う、当時おそらく日本一お洒落なアトモスフィアに魅せられたはつい先日のよう。
2度目のニューヨーク滞在時には、『ニューヨーク・レストラン狂時代』(加藤和彦・安井かずみ著 渡辺音楽出版)を読んであこがれていた「ペトロシアン」に満を持して予約を入れた。そうそう、期せずして(こちらも載っている)今はなき「ウィンドウズ・オン・ザ・ワールド」にも行ったっけ。
『優雅の条件』(91年)という、いかにも加藤和彦らしい気障を承知で、しかしながらそれがまた様になってしまっているのがすごい!ストレートなタイトルの本の「アフター・ディナーは本屋で」で語られた、夜の食事の後で本屋で時を過ごす楽しみ。のん兵衛にして本好きから言わせると良くぞ語ってくれました!という思わず親近感を覚え膝を叩きたくなるような話。最も加藤和彦の場合は、行き着けであったであろう六本木のABCに加え、「ニューヨークの57丁目の5番街をちょっと折れた所にあるリゾリ書店は特に好きである。」などと書いてしまうわけですが。
そして、06年のミカバンドの再々結成。『ナルキソス』のストレートなサウンドながら肩の力が抜けた、そして確かに今っぽいミカバンドらしさが良く出た仕上がりに思わずニンマリしたものだった。いろんなごたごたがあり、コンサートを見逃したのが今でも返す返す悔やまれる。”in deep hurt” を聞いた時もユキヒロのことばかり気にかかっており、まさか・・・・・・。
19日にとある件で知らずに赴いたところがなんと加藤和彦の現自宅のマンションのある場所。偶然なのか窺い知れぬ縁なのか。先週某夜も久々の深夜のタクシーの中でふと目を上げると密葬から数日たった碑文谷会館がそこに佇んでいた。
そして「タイムマシンにお願い」を聞いていての不覚の落涙。めちゃめちゃポップな曲のくせに。
Oh, I can tell you every story
胸がはりさけそうさ
So, I can tell you すべてを
心がこわれてく
そうしてこの傷も やがては消えるかな? だからそっと過ぎる今を見てる
加藤和彦のいなくなった日本は、また少しばかり暗く重たく感じられるようになった気がする。
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