失われつつある東京の坂と路地を訪ね歩く「東京坂路地散人」シリーズ。
今回は年末スペシャルと題して(それにしても勝手だね!)、東京でも有数の坂路地の街神楽坂での忘年会の合間を縫ってのほろ酔い神楽坂坂路地探訪です。
この傾斜度にしてこの賑わいの坂道は都内はここ神楽坂が随一。もともとは寛政年間に毘沙門天の門前町として栄え、明治以降は料亭・待合が軒を並べる山の手随一の花柳界として名を馳せたところ。
繁華街としてのパワーは新宿にとって代わられましたが、下町の新橋や両国や柳橋などの花街が、関東大震災をきっかけに花柳界としての街の面影を失っていき、衰退していったなか、ここ神楽坂は震災に遭わなかったことが幸いし、街の個性である坂や路地が以前のまま残ることとなり、戦災を受けながらも結果的にかつての花柳界の空気を今に伝える独特の雰囲気と魅力を留める街として今日も賑わっています。
神楽坂通りからは石畳の細路地が何本も走っています。
路地を辿っていくと階段が現れ、ここが坂の街であることに気づかされます。
路地の奥には昔からの料亭や旅館が今も健在です。
一次会でお世話になったのは季節料理「渡津海」さん。新しく場所が移ってからも相変わらず路地裏立地の佇まい。店内はかつての木製ガラス戸があったような雰囲気に比べ、やや立派すぎる感はありますが、相変わらず真っ当な内容の料理を真っ当な価格で供してくれます。とはいっても、私どもはといえば相変わらず、呑んでばっかりいた訳ですが・・・。
忘年会のメンバーは、クリエイティブプロダクションのT氏、広告代理店のB氏、マーケティング会社のM氏という、仕事仲間なのか単なる呑み仲間なのか、今もって判然とはしない豪華(?)メンバー。
二次会は、地元中里町居住のB氏の案内で毘沙門天裏の隠れ家的ワインバー「ラキャバヌ」 la Cabaneに 赴きました。日仏学院も至近なここ神楽坂周辺は、今や東京の「プチ・パリ」と称されるほどに、フレンチレストランやビストロなどが十数年前ぐらいから増えているエリア。その坂や路地や階段のゆえにパリ左岸は5区のムフタール通り界隈となぞらえる見方も、確かにネ、と肯きたくなります。
「ラキャバヌ」は「チーズで食後の一杯を」というのにぴったりのグラス売りがメインのワインバー。店長ムッシュ・ロバン Monsieur Robinのオススメでいただいた南フランスのグルナッシュ種のヴァン・ルージュがミモレットに実に良く合いました。
そして、三次会のお店は、確か坂下の・・・・・。
「正月元旦。晴れて暖なり。午後雑司が谷墓地に往き先行の墓を掃う。墓前の蝋梅馥郁たり。(中略)去年の如く今年も神楽阪上の田原屋に憩い夕飯を食し車にて家にかへる。風吹出でて寒くなりぬ。」(『断腸亭日乗』 永井荷風 昭和8年(1933)正月元旦)
神楽坂は永井荷風も良く通った街。そういえば、引用にある神楽坂上の洋食屋「田原屋」には1回だけ行った覚えがあります。つい最近(2002年)まで営業していたのですが・・・・。
ここ神楽坂も予想以上に建替えが進んでいるようです。花柳界の風情を今に残す価値希少なる神楽坂の坂路地の行く末に思いをはせつつ、遠からずの(しらふでの?)再訪を誓ったのでありました。
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